癒しの巨人
「癒しの巨人」。
つい先ごろ、私の心の中でそう異名を取ったのは、フラメンコ舞踊の森田志保さんである。
********** ********** **********
森田さんと云えば、独立前に師匠の公演に出演していたころより、周囲から大いに注目されていた逸材で、日本フラメンコ協会新人公演(第三回)でも奨励賞を受賞されている。
「あの人って、なんか癒されるんだよね」と、映像ディレクターの寺田さん(スタジオ・オズ代表)はそう云う。
美しい透明感をともなうふしぎな存在感のただよう人で、いわゆるフラメンコ系とはちょっと異なるタイプなのである。
無内容であるが体脂肪率的な存在感にあふれるこの私と、ちょうど正反対のタイプと云ったらわかり易いだろうか。
********** ********** **********
『HANAシリーズ』は初めて観た。
えっと意表を突かれたのは、フラメンコには稀なシュールリアリスム系の舞台だったからだ。
どちらかと云えば苦手なテリトリーなのだが、出演者のクオリティがめっぽう高くて、一気にラストまで持っていかれてしまった。
終わってみれば、不思議に好ましい余韻にしっぽり包まれるかのような心持ちである。
恐るべき水準で白熱するフラメンコ・シーン以外の、アッと驚く演出を含むさまざまなエピソードの意味が私にはわからなかったが、終演暗転と同時に、いきなりそれまでの舞台全体がひとつのイメージにつながった刹那の感触は忘れがたい。
後でほかの連中に聞いたら、やっぱり同じような感想をもらした。
共通するイメージは、傷つくことを恐れない「巨大な癒し感」である。
やってくれるじゃねえか、と思った。
********** ********** **********
地球上にただひとり、彼女だけの感性の光を観た。
………それは、過酷な現実に真摯に向き合うことではじめて生じる、高い透明度の、クールな余裕をもった、しかし程よい湿度のとても暖かな光線だった。
私個人の好みからは、大きくかけ離れたフラメンコだった。
そのことは、取りも直さず「私個人の好み」のテリトリーがいかに狭いものであるかの証明でもあった。
くやしがりながらも、何だか私はとてもうれしかった。
※『癒しの巨人』はパセオフラメンコ・ホームページ「フラメンコつれづれ日記」から手ぬき転載し、若干手を加えたものです。