作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

歴史・エッセイ・小説・時事ニュース・・・なんでもござれのブログです。どうぞよろしく。

【 天智も不思議なことが多い人物(歴史エッセイ110) 】

2012-01-12 18:49:05 | 05 歴史エッセイ

後に平安京が出来たから、大津といっても京都の傍じゃない
かで済むが、
天智が近江朝を開いた時点では、飛鳥から大津
とは、突拍子も無い辺地であった筈。

御陵の中に沓の片方だけとは前述したが、天皇の地位にある
者が狩に出るのに
供をする十名ぐらいは居って当然。

中大兄皇子という、即位前の名前からも、「中大兄」すなわち、
「中」で兄が居たことを
示唆している。
天武の母は半島から来た人とは、知られたことだが、本当は
異母兄弟の
天武の方が長兄ではなかったか。
それなら娘の持統を年長の義兄に与えたとしても納得がいく。

聖徳太子の時と同じく、蘇我入鹿を自らの刃で倒すほどの
豪気な皇子が、大兄皇子を
名乗ったまま、女帝斉明の新羅
征伐に参加した事に、不思議を感じないか。
新羅との戦は、唐の新羅側参戦もあって、惨敗に終った。

飛鳥から遠く近江に都を移したのは、唐の侵攻を怖れての
逃避と見るのが自然。

異母兄にあたる天武との仲は、良くはなかったと思う。
天武が天智も、その子大友皇子も殺し、王朝を簒奪したという
のが、天皇家に伝えられた
話。
故に桓武は天武の系統を先祖と認めなかった。

日本書記も古事記も共に、年長者とはいえ、母が半島系の人
であったことに、コンプレックス
を抱いていた天武が、自らを
天智の弟と、皇位を継ぐことを正当化させるための編纂命令
であった。

以上がボクの推察である。すべてが自然に見えてくる。

もうひとつ、天武には天智に恨みがあった。万葉の名歌人、
額田王を盗られたことがある。

ブログランキング・にほんブログ村へ     ← A001 応援クリックお願いします  3hearts 

                          「歴史エッセイ」目次へ≫

                       「華麗な生活」目次へ≫

                                    総目次へ≫


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
古代史は難しいですね。龍馬暗殺の面白そうな本が... (郁の)
2012-01-14 15:00:10
古代史は難しいですね。龍馬暗殺の面白そうな本がでますよ。

「龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた」 出版:彩流社  1月19日

 内容紹介(「彩流社」HPに出ている。)

・闇に葬られていた日記が語る衝撃的新事実!!
・暴かれた黒幕と新撰組の近藤勇らが複雑に絡み合った背後関係。
・巧みに仕組まれた暗殺の実行過程が詳らかに…。

 
返信する

コメントを投稿