作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 歴史エッセイ (14) 真田昌幸が生きておれば 】

2006-11-23 15:40:12 | 05 歴史エッセイ


大阪城の陣、特に冬の陣は、豊臣方に
充分勝利の可能性がある戦いだった。

淀をはじめ女共をひっくるめ、誰もが
信服する武将に采配を任せることが
出来ていたら、勝ったと思う。

真田幸村と後藤又兵衛の人望が高かった
と伝えられるが、全軍の指揮一本化とは
いかなかった。

後世の我々は、幸村の智謀に長けた
戦ぶりを知っているから、幸村で
良かったじゃないかと思いがちである。

当時となれば、特に真田丸での活躍が
行われる前は、父真田昌幸こそ、徳川軍
を二度も惨敗させた知将として知られて
いたものの、次男幸村の実力は誰も知る
機会がなく、かの昌幸の子息というだけ
では、寄せ集めの「我こそは」を束ねる
人材かどうかが分からなかった。

九度山に流遇のまま生涯を終えた昌幸が、
もし生きて入城していたら、城内に籠もった
全員が、昌幸に采配を任せるに異論は起き
なかったろう。

幸村でさえ、あれだけの活躍で家康に
和議を言い出させ、守りの要の堀を失った
夏の陣でも、家康をあわや切腹の場面まで
追い詰めた。

昌幸だったら、みんな勝手な死に急ぎは
しなかったろうし、もっと早く入場して
いたら、大砲で大阪城を固め、より堅固な
要塞にしていたことだろう。

徳川家康が大軍で城を囲み、大敗を喫する
三度目が見られたものを、惜しいことをした。

歴史にはイフが無いのだといえば実もふたもない。

たら・ればを大いに駆使して歴史を読み取れば、
単なる暗記物として高校生に嫌われる歴史が、
活き活きと蘇るのである。



                パパゲーノ


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