作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 透析生活10年目 (4) 】

2006-10-25 18:49:10 | 09 透析生活15年目


一般の方からは、よく間違った見方をされますが、
腎不全に陥って透析の身になる人たちは、大きく
分けて、腎臓そのものを痛め、それが悪化した人と、
糖尿病を悪化させた結果血管をボロボロにして、
毛細血管の塊で出来ている腎臓の機能を失った人の
双方があります。

糖尿病が出発原因の人は、自己管理で腎臓までの影響を
抑えることが出来る。

腎臓自体を痛めた人は不可抗力で、ウイルスに犯され
高熱が長く続く病気に罹ったときに、その影響が腎臓に
及ぶ。

ボクのは典型的な後者で、糖尿の気配は全くなく、まだ
赤ん坊のときのしょう紅熱と、小学校入学直後に患った
ジフテリヤの二度の法定伝染病が遠因だと、すべての
医師がそう判定します。

子供時代に病弱だったのはそれが影響しているし、とにかく
疲れやすい体質でした。

腎機能に障害が見つかったのは1969年ハンブルグ。

海外店でも年2回の健康診断をやれと本社からの通告があり、
当時ハンブルグ郊外の研究所に一年留学中の東大医学部の
K助教授に会社に来てもらった。

この紙にオシッコひっかけて来いといわれるまま、紙を見せる
と、K助教授が顔色を変えた。

「あかん、タンパク降りとるぞ」
血圧も高く、すぐに専門医に行きなさい。

商社の第一線のこんな海外店に居るの自殺行為だ。直ちに
帰国して庶務課かなにか仕事のラクなところに部署替え
してもらえとも言われました。

激務は絶対にダメ。重たい荷物も持っちゃダメ。睡眠時間を
長くとるように。ストレス溜めちゃイノチ取りだ。

それから透析導入の2007年までの28年間、減塩とタンパク
制限を徹底的にやって、阪神大震災を経験するまでは、大阪で
最高権威とされる、I先生から生涯透析を必要としない、
「自己管理の見本」として学会に報告するとまで言われて
いました。


震災で神戸は他地域と交通面で遮断された、二本の国道は
復旧車両の専属道路となる。

六甲アイランドと本土をつなぐ六甲ライナーの橋げたが列車を
乗せたまま海中に落ちたし、高速道路湾岸線は鉄橋の繋ぎ
目がずれて走行が出来ない。

隣町の芦屋に出るのに2時間近くかかります。芦屋川が渡れ
ない。大阪千里にあった会社まで、地震後2ヶ月経っても
5時間ぐらい掛かる。帰りはクルマの周りをバイクで囲まれ、
そのバイクがさかんにぶつかり合っては倒れる。ちょっと
でも、それに触れたらこっちが事故に巻き込まれます。
そのストレスったらない。

これで一気に血液データを悪くした。

それから2年間持たせたが、尿毒症がどんどん悪化するのが
自分でも良く分かった。最後の家族旅行と北海道富良野に行き
新富良野プリンスホテルに5連泊もしたが、どこに行くのも
シンドイし、食欲が無いばかりか年中ムカムカしていて、
名物のジャガバタも美味くないし、市内で有名なそばやも
つゆの匂いが胸にくる。美味いと思ったのは麓郷で食べた
スイカだけでした。




                                       パパゲーノ


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