作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 透析生活10年目 (8) 】

2006-10-25 18:55:37 | 09 透析生活15年目


週に1回「神経ブロック」を打ちにいく整形外科
の先生が、最新の血液検査データを見せてくれと
言うので持参した。

ひと目見るなり「これは透析直後のデータでしょう」

「いいえ、直前のデータです」

「えっ! これが直前のデータ? ああクレアチニン
が高いのか。なるほど透析直前ですね。BUNは高い
けど、こんな程度ですか。惜しいなぁ~、2項目だけ
で透析なんか行く必要がないぐらい完璧なのに」

そうなんです。ボクの血液データは素晴しい。

肝臓関係でいえば、

GOT 7    GOP 9

LDH 120  γーGTP 21

一般データでは、

中性脂肪      87

総コレステロール 151

血糖値       88  

透析患者が気をつけなきゃいけない、

カリウム       3.9

無機リン       3.8


まあ、病気に無関係の方々には、単なる数字で
何の意味もなさないけれど、糖尿とか脂肪肝とか
健康そうで、その実検査をしたらって人が見たら
凄げぇや!と思うはず。

このブログ、ボクが自慢したくて書いたんじゃない。

せいぜいご自愛の上、自己管理をキチンとしたら
腎臓が壊れたヤツでも、この程度には成れると、
そういいたかっただけ。




                                       パパゲーノ


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【 透析生活10年目 (7) 】

2006-10-25 18:54:30 | 09 透析生活15年目


透析患者の誰もがもっともストレスを感じるのが
透析と透析の間の48時間または72時間の間に
どれだけ体内水分が増えたかということ。

特にボクのように100%無尿の患者は200cc
の麦茶を飲めば、必ず200グラム体重が増える
から、飲んだものが何であろうと、スープや味噌汁
であろうと、直ちに数字が増えるわけ。

健常者ならオシッコになって排泄できるものが体内
にとどまる。血液中に流れ込んでいる、いわば汚水
を、透析という血液洗浄によって取り除く。

除水量をいくらに抑えるかで、透析のシンドさ、
心臓への負担、他臓器への悪影響が左右される。

ボクの場合、水金は1500から1800ぐらいで
単位はccです。月曜日は中2日あるから2000
か、あと200増えるかといったところ。

実はこの数値、優等生なんで、多い人は4000とか
5000に達する。もちろん4時間透析では取りきれ
ないから5時間を覚悟して病院に来る。

健常者が一日に排尿する量が1800~2000。
もちろんビールなどガブ飲みしてたら、もっと多量の
排尿がある。

透析患者なのにアルコールの魔力から離れられない
人々が、5時間透析覚悟で5000も増やして来る
のでしょう。

ボクも精神衛生上、月に2~3回はバーなどに行く。
行ってブランデイかウイスキーの水割りを1杯だけ
ゆっくりと飲み、あとは同行者の飲む姿で満足する。
酒場の雰囲気が好きだから行くのであって、仕事を
離れた諸々のハナシで盛り上がります。

もともと晩酌が必要な人間ではなかった。それでも
ビールのグラス2杯ぐらいは毎日飲んでいました。

TVCMでもっとも刺激的だったのがビールをグ~イ
とやる場面。

10年目に入って、我が家のビールはただの苦い水
になったから、もう困ることもない。

月に1回ぐらいはある、何かの会ではちゃんと付き
合います。ワインでもビールでも。そんなときは
珈琲を控えるとか、なんらかの措置を自然に取って
います。

朝起きたときと夜寝るときは、冷たい水を200cc
ほど一気に飲み干す。これで血液のドロドロ化が
防げるから。

みなさんの中に透析なんて不幸な方は居られないと
思いますが、ひょっとしてご家族や友人の中には
居られるかもしれない。そう思って何かの参考に
なればと書いています。




                                       パパゲーノ


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【 透析生活10年目 (6) 】

2006-10-25 18:52:42 | 09 透析生活15年目


なんといっても毎週月水金の午後は縛られているから、
まだ現役で仕事をしている身としては、拘束時間が
長いことは事実です。

透析そのものは3時間半ですむが、クリニックへの往復
や、着替えたりの準備、終わって止血を確認するなどの
後始末もあるから、結局透析日には午後2時10分には
会社を出て、帰宅すると午後7時40分ぐらいに。

銀行をはじめ、来客は午前中か、午後1時間だけしか
アテンドが出来ません。
フル活動は火木だけとなる。

良いこともあって、毎月2回の血液検査があるし、月1
で胸部レントゲン。心電図測定も月1回。
加えて毎回、顔色や歩き方、口の聞き方などで総合的に
ドクターやナースが診てくれているから、考え方に
よっては長期の人間ドックに入っている感じ。

希望すれば循環器、眼科などとの連携があるし、画像も
すぐ予約できる。

ボクの場合、ズバリ腎機能を表すBUNとクレアチニン
は流石に異常値を示しますが、それも腎透析患者の中で
は良い方にいる。

肝臓関係の各数値や、中性脂肪・コレステロール・血糖値
などは極めて優秀だし、ガンの気配もない。

透析で脆くなるはずの骨も、計測したら同年齢の標準者に
対し180%もあった。

負担がくるはずの心臓も、駆縮率という、いわばポンプ力
が理想の70%に近い68%で、医師がとても透析患者と
は思えない。えっ! テニスもやってんですかって驚いて
いた。

腰部の狭窄症が泣き所ですが、こっちは内臓と違い手術を
覚悟さえすれば、ほぼ100%治ります。
みのもんたと同じ症状だから。

テニスコートには必ず復帰します。




                                       パパゲーノ


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【 透析生活10年目 (5) 】

2006-10-25 18:51:47 | 09 透析生活15年目


腎臓移植のことは当然考えました。

ただ、臓器売買をやってまで、貧困層の人から腎臓
を買うことだけはイヤでした。

長い間ボクの身体を診て下さっていたN子先生
とそのご主人の、兵庫医大M教授ご夫妻は、
ロスアンジェルスに行きなさい、あちらに親しい
腎臓の権威が居る。移植は必ずできると勧めて下さっ
たが、おカネはなんとかなるとして、妙な倫理観?
が働いて行動がとれませんでした。

M教授に、本来の診察時間を外して、特別の心臓
検査を徹底的にやっていただき、これならテニス
どころか、もっと激しいスポーツにも耐えるとの
お墨付きをいただいた。
そのM教授も亡くなられました。今のボクの年より
若くして。

透析の主治医は途中で交代したが、二人とも移植には
大反対でした。

報道されるのは成功例ばかり、その影に多くの失敗例
がある。入退院を繰り返し、人としての面影が無い。
そんな症例をたくさん見ました。

だから移植はもう絶対に考えません。

これが心臓や肝臓だったら、もっともっとタイヘン。
腎臓だから週3回、1回3時間半で済む。残った時間の
方がはるかに多い。そして自由に使えます。




                                       パパゲーノ


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【 透析生活10年目 (4) 】

2006-10-25 18:49:10 | 09 透析生活15年目


一般の方からは、よく間違った見方をされますが、
腎不全に陥って透析の身になる人たちは、大きく
分けて、腎臓そのものを痛め、それが悪化した人と、
糖尿病を悪化させた結果血管をボロボロにして、
毛細血管の塊で出来ている腎臓の機能を失った人の
双方があります。

糖尿病が出発原因の人は、自己管理で腎臓までの影響を
抑えることが出来る。

腎臓自体を痛めた人は不可抗力で、ウイルスに犯され
高熱が長く続く病気に罹ったときに、その影響が腎臓に
及ぶ。

ボクのは典型的な後者で、糖尿の気配は全くなく、まだ
赤ん坊のときのしょう紅熱と、小学校入学直後に患った
ジフテリヤの二度の法定伝染病が遠因だと、すべての
医師がそう判定します。

子供時代に病弱だったのはそれが影響しているし、とにかく
疲れやすい体質でした。

腎機能に障害が見つかったのは1969年ハンブルグ。

海外店でも年2回の健康診断をやれと本社からの通告があり、
当時ハンブルグ郊外の研究所に一年留学中の東大医学部の
K助教授に会社に来てもらった。

この紙にオシッコひっかけて来いといわれるまま、紙を見せる
と、K助教授が顔色を変えた。

「あかん、タンパク降りとるぞ」
血圧も高く、すぐに専門医に行きなさい。

商社の第一線のこんな海外店に居るの自殺行為だ。直ちに
帰国して庶務課かなにか仕事のラクなところに部署替え
してもらえとも言われました。

激務は絶対にダメ。重たい荷物も持っちゃダメ。睡眠時間を
長くとるように。ストレス溜めちゃイノチ取りだ。

それから透析導入の2007年までの28年間、減塩とタンパク
制限を徹底的にやって、阪神大震災を経験するまでは、大阪で
最高権威とされる、I先生から生涯透析を必要としない、
「自己管理の見本」として学会に報告するとまで言われて
いました。


震災で神戸は他地域と交通面で遮断された、二本の国道は
復旧車両の専属道路となる。

六甲アイランドと本土をつなぐ六甲ライナーの橋げたが列車を
乗せたまま海中に落ちたし、高速道路湾岸線は鉄橋の繋ぎ
目がずれて走行が出来ない。

隣町の芦屋に出るのに2時間近くかかります。芦屋川が渡れ
ない。大阪千里にあった会社まで、地震後2ヶ月経っても
5時間ぐらい掛かる。帰りはクルマの周りをバイクで囲まれ、
そのバイクがさかんにぶつかり合っては倒れる。ちょっと
でも、それに触れたらこっちが事故に巻き込まれます。
そのストレスったらない。

これで一気に血液データを悪くした。

それから2年間持たせたが、尿毒症がどんどん悪化するのが
自分でも良く分かった。最後の家族旅行と北海道富良野に行き
新富良野プリンスホテルに5連泊もしたが、どこに行くのも
シンドイし、食欲が無いばかりか年中ムカムカしていて、
名物のジャガバタも美味くないし、市内で有名なそばやも
つゆの匂いが胸にくる。美味いと思ったのは麓郷で食べた
スイカだけでした。




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【 透析生活10年目 (3) 】

2006-10-25 18:47:15 | 09 透析生活15年目


丸9年ともなると、亡くなった先輩患者も多い。

昔の帝国陸軍はこうだっただろうと思える新人イビリが
あった。何かと嫌がらせをする。嫌なことを聞かせようと
する。

勘弁ならんヤツは、ロッカールームなどで、二人だけの
時間を作り、これ以上皆が嫌がること言うたらタダじゃ
おかんぞと威嚇もした。

そんな輩が死ぬと、やはりウシロメタイ思いがした。

「片足切り落とすことになる」
「首筋が石灰化して首が回らなくなる」
「穿刺の場所が無くなって、太ももや首に刺すことになる」

女性患者が顔色変えて「もうそんなハナシやめて」と悲鳴
をあげる。新人ビビらせて喜んでいた輩だが。

とにかく先輩患者で死んだ人。知ってるだけで20人を超す。

5年ほど前に、主治医に頼んで透析時間を3時間半に縮めて
もらった。3ヶ月ほど様子を見るという条件だったが、透析
効果も悪くはならず、毎月2回の血液データも、整形外科の
先生が「透析後」のデータと見間違えるほどだから、そのまま
5年も続いているのです。

たった30分だけど、人より短いのが何より嬉しい。

自己管理の悪い人は5時間透析をやらされている。

透析をやると心臓に負担が掛かると誰もが言う。

7月に循環器のエコーを撮ったが、心臓のポンプ力。
駆縮率が理想の70%に対して68%あった。
とても透析の人とは思えないと言われました。

透析をやると骨が脆くなるとも言われる。
骨密度を計ったら、年齢の標準を100として、180も
ありました。

ここらは全部テニスのおかげでしょう。




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【 透析生活10年目 (2) 】

2006-10-25 18:46:25 | 09 透析生活15年目


導入から一ヶ月後に、高校の同窓会が開かれました。

場所は有馬温泉。医師に退院を一日早めてもらって、
自分で運転して芦有道路を上って行った。

よっぽど顔色が悪かったらしい。

淡路の人は遠慮がない。

「どないしたんや、まるで死人やないけ。
お~い、コイツもうあかんで、もうすぐ死んにょら」

先生のトナリに座らされた。

「お前なぁ~、お前がアタマええよってに先生のトナリ
ちゃうぞ。死ぬ順番や」

あれからやった同窓会、20回近い。まだ生きている。
どころかエイジレス社会を標榜しミッキーマウスと
張り合っています。

この間に、ボクに同情し慰めてくれた同級生が5~6人
亡くなった。

「水分は一日800mlだけですよ」

ナースがやかましく言うから、余計にのどが渇く。

導入後10日ほどでオシッコが全く出なくなった。

体内に水分が溜まるほど、次の透析が辛くなる。

排尿が無いんだったら発汗で排泄と考えて、せっせと
サウナに通った。

最初は30秒で飛び出した。あんな暑いとこ、と驚いた。

だんだん身体が慣れてきて、10分は当たり前になり、
それを3本から5本、7本と増やしていった。

汗をかいた分はビールが飲める。ビール飲みたさの
無茶なサウナだった。

身体にいいワケがない。

そう悟って、テニスをやろう。

会社のトナリに神戸ベイ・シェラトンがあり、
中にスポーツクラブがある。テニスコート2面。

最初は5分も持たない。2~3分でへたりこむ。

それが一日7時間もコートに立てるようになるとは。




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【 透析生活10年目 (1) 】

2006-10-25 18:44:49 | 09 透析生活15年目


この10月で腎人工透析10年目を迎えました。

導入したころは、刺す針の太さに驚愕し、それが
皮膚を破って穿刺、まさに穿が正しく刺なんて生
やさしいモンじゃない。

たまたまトナリのベッドで、ボクより先に穿刺を
受ける患者が、穿刺の度に「ギャーッ!」と叫ぶ。
針は2本刺すから、2回「ギャーッ!」を聞かされ、
いい加減ビビッてから、ボクがやられる。

その痛いこと、まさに「ギャーッ!」

叫びたいところを、格好悪いから見栄をはって我慢。

その状態で4時間耐える。半時間ぐらいでナースに
訊ねる「あと、どれぐらい」。「3時間半」と冷たい答。

「こんな思いをしてまで、生き延びる必要あるんだろうか」
毎日そう思っていた。

先輩のなかにも、同じ思いをした人々がいて、
「病院の屋上に登り、ここから身を投げたら楽になる」
そう思って何度も屋上まで行ったとの述懐を聞いた。

透析を受けると、血中水分が急激に減るから、血圧が
急降下する。どうかすると上が60を切る。そうなると
意識を失う。ボクは最悪40ぐらいまで下がった。
ご臨終なみの超低血圧。

終わっても自力では立てない。座り込むとマシだから、
透析室から入院の部屋までも、ナースの押す車椅子の世話
になった。

毎晩くれる睡眠薬を、何日分貯めたらいいのか、まじめに
考えていました。




                                       パパゲーノ

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【 安倍総理は幸運なだけだろうか。 】

2006-10-25 11:03:32 | 04 時事ニュース


北朝鮮の核実験は、最初の試験でヤマが当った
ようなもので、安倍総理は強運の持ち主という
ほかないと、日経のコラム書き(カトー)と
いう人が書いているが、そうかなぁ~。

やることなすことのすべて決断力があり行動も
素早い。

それを好感しての補選2勝だと思うんだが。

経済失速が失敗だという。(カトー)氏は
専門家らしいが、就任に嫌がらせするかの
タイミンングで、北が動いたのを、見事に国家
の意思を明確にさせた手腕こそ誉められるべき。

経済問題の諸案件の殆どは、小泉のスローガン
言いっぱなしの後始末。特に役人どもの怠慢と
意図的抵抗による部分が多い。

せっかく好スタートをきった安倍総理の足を
引っ張るのがコラムニストの商売なんですか。


                 パパゲーノ


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