作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 腎臓の機能を失った私ですが 】

2012-02-15 11:18:11 | 09 透析生活15年目

私は昭和9年生まれの77歳ですが、誰からも実年齢より
10歳は若く見られており、現に今も硬式テニスを続けています。
テニスで最も難易とされるバックボレー、それもネットから離れて
守備範囲を広げ、相手のボールに備えるのを特意技としています。
つまり反射神経には、すぐれていると自負しているのです。


腎臓は幼児の時代から弱いと指摘され、小学・中学と病弱児
として知られていました。
95年に神戸を襲った直下型の激甚地震で電車路線も失われ、
道なき道を探りながらのマイカー通勤のストレスは言語を絶し、
それが原因で人工透析を週に三回受ける身体になり15年が
経ちました。


透析生活が始まり、元々病弱児だった私が、心身の鍛錬にと
始めたのが硬式テニスです。
クラブの仲間から「やり過ぎ」を注意されながら、自分でも確かに
やり過ぎだと意識した時はすでに手遅れでした。


ある日突然、腰から脚にかけて強烈な痛みが走り、立つことも
一人では出来なくなってしまいました。


腰部脊柱管狭窄症と診断され、しかも相当な重症とのことで、
多くの病院訪れたけれど、手術は無理といわれました。
個人経営の整形外科で週に一回の、神経ブロック注射で
誤魔化しながら、インターネットで「黄金の腕を持つ外科医」を
探す毎日でした。


09年5月に知りえた先生が名医で、たった一時間半の手術で
完治という幸せを頂きました。
ただ麻酔の先生の判断で多量に過ぎた麻酔薬で、翌朝の4時
半まで昏睡状態が続き、夢の中で例の川の岸辺にも立って
いました。


夢の中のボクは、不思議なことに立派な武将になっていて、廻り
には多くの将兵がざわめき、侍女なのか女どもも多く従えて
いました。
突然一陣の雲に覆われ、気がついたら誰もいなくなり、うっすら
と見える彼方に川が。
その川を渡りかけた時に、向こう岸に一人の武者が現れ、
ひざまづいて言った。
「あいや、お待ちくだされ。この辺り一帯は我が前田の手勢に
よって成敗してござる」
もはや、御自らこちら側にお渡りになるのは及びませぬ。


と、その時に、夜勤のナースがボクの様子を見に来て、顔を
近づけていた。
目を覚ますと、そのナースの二つの眼が、まさに眼の前にあった。
ボクも驚いたが、ナースも驚愕したと思います。
おかげで、例の川を渡ることなく、現世に舞い戻った。


多量に過ぎた麻酔薬による、多機能障害に悩まされる、想定外
の体験については、小林真一と入れるだけで、グーグル検索
でトップに出てきます。
その中の「多機能障害からの生還」に、詳しく書き込んであります。


身体障害者一級に認定されて15年。週三回の透析は、
11~14時半。
そんな身体ながら、毎朝八時半には出勤、ブログを打ち、
小説を書き、休日にはテニスを愉しんでいます。


08年には世界最多作家としてギネスブック認定も受けました。

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