神戸は六甲山を背景に東西に長く展開する市街である。
JRの駅名の中には、国鉄が神戸まで伸びた当時から
神戸駅があるが、戦後は東の三宮駅が神戸市の表玄関の
ようになり、神戸駅はやや西に寄り過ぎて寂れた感じ。
三宮というからには、お宮さん、すなわち神社があるはず
だと思っていたのだが、なんと神戸大丸の東玄関と辻を
はさんで向かい合う場所にある、小さな祠が三宮神社で
あった。神戸には三宮の他に一宮から八宮まで八社が
揃っていることも知った。
三宮神社の境内に、河原霊社というこれも小さな祠がある。
源平の合戦で平家側が生田の森に木戸を構えて源氏勢を
迎え撃つ。
源氏勢の中に、武蔵の国の住人、河原太郎高直、次郎盛直
という兄弟が居て、先陣の名乗りを上げて木戸に攻めかかっ
たが部下も持たぬ悲しさで、兄弟ともにあえなく討ち死にを
遂げる。
両人の霊を慰めようと、頼朝が祠を建てたが、戦災などで
場所を転々とし、今は三宮神社の境内の中に居場所を
得ているものらしい。
この兄弟は、いわゆる武蔵七党の一つ、私市党に所属する
武士であった。
義経の手勢の中に居たとも言うが、義経は別働隊を率いて、
はるか西方の須磨一の谷で、歴史に名を残す逆落としの
奇襲に成功し源平の勝敗を決めてしまう。
兄弟は範頼が率いる大手勢の中に居たのであろう。
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