アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

大数の法則

2020年11月10日 | Weblog
 大数の法則って知ってましたぁ?もちろん私は知りませんでしたが、作家であり数学者である藤原正彦さんのエッセイから知りました。
 どんな法則か?簡単に言ってしまうと、「ギャンブルにおいて、客は必ず負ける」という法則。これって、数学者でなくても気づいていることですよね。
 私も「大数の法則」に気づいたらしいので、ギャンブルは、やりません。パチンコも、賭け麻雀も、宝くじも…うまくいけばお金が儲かるというものは一切しません。なぬ?「株をやってるでしょう」って?か、株はぁ、ギャンブルとは違います。企業への応援です。
 学生時代は、競馬(住んでいたのが、京王線の多磨霊園。東京競馬場まで徒歩15分)、競輪、オートバイ、競艇(これも、多摩川競艇場まで徒歩10分)など一通りやりましたが、連戦連敗。たぶん「大数の法則」気づいたらしく綺麗さっぱり足を洗いました。
 で、藤原正彦さんのエッセイによりますと、「大数の法則」を熟知している藤原さんご自身が・・・ラスベガスのカジノで30時間ギャンブルをし続け、目的地への航空運賃と、当面必要と思われる50ドルを残し、全ての現金とトラベラーズチェックを使い果たしたという…。
 藤原さんは、IR(=カジノ解禁)について語っているのですが…
1 治安の悪化・・・これは心配ないという。なぜなら、治安が悪ければ人が集まらないから。
2 ギャンブル依存症・・・これはあり得る。日本はパチンコ依存症が500万人もいるから。で、ヨーロッパのカジノは、「身分証の提示」「男性は黒スーツ、つまり気楽に入れないから依存症が少ない。日本のカジノの場合、「金儲け目当て」なので、敷居を高くするかどうか疑わしい。
3 品格ある国家の毀損・・・出ました、品格!ここなんですよ、私が今日この題材で書き始めた理由は!日本は、「お金は、汗水たらして得るもの」なのです。「あぶく銭は、不道徳なもの」なのです。ああ、気分がいいなあ!
 IRは、「賭博は不道徳」という日本の伝統を捨てることになる。とんでもないこと。 日本にはIRは、不要なんじゃないかな…。

「フルネーム」って生年月日?

2020年11月09日 | Weblog
<入院中ちょっと笑えた話>
 6人部屋でしたが、トイレなどへ行っている人、検査で呼ばれて行っている人、空きベッドなどで、部屋には私一人の時でした。私はカーテンを引いて中が見えないようにして、しょんぼりしておりました。
 そこへ、女性の看護師さんが入ってきて部屋の中央で立ち止まりました。そして、大きめの声で独り言…
 「あれっ?私、何しにここへ来たんだろう?」
※ そういうときって一度戻って、一からやり直すと、思い出すんだよねえ。

 <まじめな対応のご老人>
 看護師:酸素濃度計ります。指を貸してもらっていいですか?
 ご老人:いいよ。だけど僕の指、取り外せないんだよねえ…
※ まあ、いわゆる「オヤジギャグ」だけど、80歳で言うあたり、いいと思いましたね。この80歳の凄いところは、「正論」を読んでおられたところ。
 なぬ?「よく、そういうところまで見ているものだね」って?まあ部屋頭(勝手に就任)としましては、どの患者が何を読み、間食で何を食べ、何時から手術し…みんな知っておかなきゃね。観察力の鋭さは、日本全国で、「上位1億番以上」には、入ります。ハードル低っ!
  
<入院中耳にしたこわい話>
 男性看護師2人が、私に聞こえているとは知らず小声で話していました。
 「痛み止めの処方でさあ、眠剤(睡眠薬)出しちゃってさあ、大変なミスだよねぇ!」
※ あ、あ、あのね、相談しなくても「重大ミス」ですから!こういうことが日常的に起こっている…怖いことです。
 
  <入院中耳にした心温まる話>
 処置のために病室に看護師が来た。そして患者に言った…
看護師 「〇〇さん、確認のため、お名前をフルネームで言ってください」
患 者 「し、昭和52年1月29日です」
看護師 「…はい、点滴しますよぉ…」

屁理屈居士 参上!テヘヘ

2020年11月08日 | Weblog
 わが北国の田舎町では、本格的なストーブの時期が到来しております。しかし、まだ日中は日が入り室温も上がるので、ストーブの火力を弱くしておくことが多いです。
 カミサンは、「ストーブ消して!」とか「ストーブ小さく(大きく)して!」と、私に命じます。そのたびに私は、「マジシャンじゃないんだから!」と、言いながら火力調節レバーを操作しています。
 「消して」は、スイッチをOFFにしろということで、「小さく(大きく)」は、火力調節のこと。それは解っていますが、屁理屈をこねないとアンティークマンじゃないんじゃないかと。
 マジシャンなら、ストーブくらい消せる(なくする)でしょうが、私には無理。鉄製のストーブを、大きくしたり、小さくしたりも私には…と、いうか常人には無理でしょう。なぬ?「屁理屈をこねないで、とっととストーブを消せ」って?はーい!わかりましたぁ!
 自粛癖で、「GoTo!」と言われても、出かける気にはなれませんが、出かけていた頃は、(観光地等で)「スミマセ~ン、シャッターを切っていただけませんかぁ?」と、頼まれることがしばしばありました。カメラのシャッターを押してくれという依頼なのですがね。カメラのシャッターって金属製なので、「切って!」と頼まれてもね…。私が、「金属を切る鋸を持ち歩いているオジサン」に見えたらしい。
 私が中学生ぐらいの男の子に、「シャッターを押してもらえる?」と頼んだことがありました。男の子は、困惑しておりましたが、私のカメラを受け取ってしまっているので、突き返せない状況。写真を撮ってもらって、丁寧にお礼を言っているところへ男の子のご家族が追いついてきました。
 「え、えっ??〇〇ちゃん写真を撮ってあげたの??!(一瞬絶句)が、が、頑張ったわねえ!!」と、母親。驚嘆の表情。男の子は、「他人には反応を示さない子(施設に入所中)」だという。その子が、見知らぬオヤジの写真を撮った!保護者にとって「驚天動地」だったらしい。私が神々しい人に見えたわけで…。泣き出さんばかりにお礼を言われてしまいました。 
 見知らぬ人に「写真を撮ってください」と頼む…頼まれた人にとって、人生を変えるかもしれない効果があることもある…!自撮棒もいいけれど、「スミマセーン、シャッター押していただけませんかぁ!」も廃れさせたくない文化だと感じています。
 「鍵(かぎ)をかける」これも、普通に使いますが…元々は、「鍵と錠」がありまして、錠(じょう)の穴に鍵(かぎ)を入れて解錠するわけですから…「錠(じょう)をかける」が正しい…ですよね?!
 警察官や暴力団が持っている、「手錠」も、鍵で解錠します。
 世の中、「鍵をかける」で、通じるようになっていますから今さら、「おかしい!」と唱えたところでしょうがないですね。
 「節電のため、コンセントはこまめに抜きましょう」コンセントは、和製英語。英語圏の人は、「アウトレット」とか「タップ」といってます。日本のコンセントは、「プラグ受け」のことですから、抜いたり入れたりするのは、プラグです。コンセントを抜いたらぁ…壁が壊れてしまいます。
 「プラグは、こまめに抜きましょう」…これで、家は壊されずに済みまーす。

「病院でビール」いいじゃないか、94歳だもの

2020年11月07日 | Weblog
 このたびの入院では「点滴」はありませんでした。周囲は、点滴をしている人ばかり。で、「点滴」と聞くと思い出す人がおります。
 場所は、ドイツのミュンヘン。個人で何度か行き、家族でも訪れた素晴らしい町です。必ず行くのが、大好きなビアホール、「ホーブロイハウス」。住み込みたいほどいいビアホールです。子どももOKで、我が家の子たちも歓待を受けました。日本人の子どもが、ホーブロイハウスへ行くのはかなり珍しい様子でした。客も従業員も、みんなが家族のよう。入れ替わり立ち替わり、「日本人の子ども見物」に。もちろん私には、お客さんからのビールのサービスが、テーブルには、大ジョッキーが6~7杯ほど並びました。そんなに飲めないってば!
 ミュンヘンの病院で、入院中の94歳の男性がおられた。その日は、男性の誕生日。さて、祝ってくれる人がいない。「自分で祝うしかないかぁ!」。
 点滴中だった男性は、点滴の管を引きちぎった。針は刺さったままで多少の管が付いていたが、歩行に支障はなかった。
 目的地はもちろん「ホーブロイハウス!」。病院は、誰にも見咎められずに抜け出すことが出来た。さて、ホーブロイハウスは病院から遠いので、地下鉄に乗ることに。地下鉄駅構内を、自分では「颯爽と」歩いているつもりでしたが、傍目には「よれよれ」だったらしい。
 地下鉄の利用客が、左手に点滴の針が刺さったまま駅構内を歩くこの高齢男性に気付き、駅員に知らせた。当然だよね。
 94歳男性は、あっさり警察に捕まり、病院へ連れ戻された。
 94歳まで生きていることでも、私など畏敬の念さえもちます。点滴の管を引きちぎり、歩いて地下鉄駅まで行く。凄すぎる。捕まっちゃったけど、ホーブロイハウスにたどり着いたとしたら、ホーブロイハウスはどんな対応をしたかなあ?おそらく、「ハッピーバースデイ!」と祝ってくれて、ビールをたくさん飲んでいただいてから、病院へ連絡したと思います。
 点滴から始まった心温まる話、以上までで十分温まったのですが追い討ちがあります。
 「病院に戻されたこの94歳。医師からは特別に、好きなビールを飲むことを許された!」
 嬉しいじゃありませんか!ドイツの94歳も凄いが、医者も凄い。日本では、入院患者が病室で「養命酒」を飲んで叱られたことがありました。養命酒って体に良いはずなのに!ドイツでは、医師の判断でビールOKとなる。
 あと、特筆すべきは、「点滴の針を射したまま歩いている人見つけて、警察へ通報した人」。対人関係の稀薄化著しい日本では、このような人がぁ…多くはないよね。「腕に点滴針?奇抜なアクセサリーね。どこで売ってるのかしら」「アハハ!ジイサンが腕に注射針刺したまま歩いてる。バカか?」「無視、無視!ああいう人には近づかないの!」こういう人ふえてるんじゃないの?特に、コロナ禍のいま、人との接触は極力抑える風潮だしねぇ…。

爺さんの靴下を洗う美女

2020年11月06日 | Weblog
 レジ袋が有料になっちゃって、たかが3円とか5円とかなのに買うのに抵抗があります。なぬ?「貧乏人はしょうがないなあ」って?まあ、トランプさんよりは貧乏。何とも、3円、5円がもったいない。親に言われたものです、「1円を笑う者は、1円に泣く」。1円足りなけりゃ、電車に乗れない。
 清水の舞台から飛び降りる決意で、3円の袋を買っても、商品は自分で袋へ入れなければならない。3円出した人へのサービスってものがない。
 米国の場合(現在はどうなっているか分かりませんが)、「バッガー」という職業がありまして、どんな職業かといいますと、「スーパーのレジで袋詰めをする専門職」です。
 お客は、ショッピングカートの商品をレジへ持っていきます。レジを打った商品は、レジ係の横にいるバッガーが、商品を袋へ入れてくれる…!袋はもちろんスーパーの袋、多くは紙袋。買い物客は、袋に入れられた商品を持ち帰ればよい。
 入院を何度も繰り返して思うのは、「親身になってお世話してくださる看護師」と、「通り一遍のお世話をしてくださる看護師」がいるということ。
 ある看護師さんなど、私の靴下の替えが無いと知り、「私、洗ってきます」と、洗ってきてくれたのですから!爺さん(私なんですけどね)の靴下など洗わなくてもいいのに…。また、そういう人って、すこぶる美人なのです(気のせいじゃないかって?マジマジ!)。「その美しい手で、私のよれよれの、臭うような靴下を洗ってくれたのかい…」と、涙が出てしまいます。
 靴下の替えがないと知っても、何の反応も示さない看護師が多いのに…。
 で、米国に、「ダブルバッガー」という言葉があります。なぬ?「マックの新商品か」って?全く違います。「バーガーじゃなくて、バッガー!」。ダブルはそのまんま、二重という意味の「ダブル」。「バッガー」は、スーパーで、商品を袋へ入れてくれる人。
 「ダブルバッガー」は、気配りの素晴らしいバッガー(人物一般にも使う)という意味です。「ビン類など重い商品が多いとき(紙袋の)底が抜けないように袋を二重にする」という気配り。仕事への積極性、気配り、工夫の象徴。いいねえ!こういう人を、「ダブルバッガー」と、呼びます。
 シングルバッガーは…時計を見ながら時間内だけ仕事をして時給以上のことはやらない。問題解決への意欲?ないない。口から出る言葉は、不平や弁解。 靴下を洗ってくれた看護師さんは、もちろんダブルバッガーです。
 あとぉ…入院が長かった(4週間!)ので、病院関係になりますが…
 食事の配膳係の人なのですがね。私の手が不自由なことを察知し、「パンの袋、ジャムの袋、牛乳のストローをパックに差し込む、ドレッシングの袋を開けてサラダにかけてくれる…」そういうことをしてくれる配膳係の人がおりました。配膳だけで自分の職務は済んでいるのに。ダブルバッガーですよね。
 看護助手さんが、私を車いすに乗せて整形外科の受診に連れて行ってくれました。その帰り道、外来の患者さんが、私の車いすを押してくれている看護助手さんに、「心電図室はどこですか?」と、尋ねました。助手さんは、「このラインに沿っていって、あれ、あそこを右にぃ・・・ご案内します」と、私の病室とは違う方向へ進みました。心電図室まで患者さんを送り届けたあと助手さんは、「アンティークマンさん、遠回りしちゃってゴメンナサイ」と、謝りました。
 私は、「いえいえ、私はこういうの大好きですから!」と。
 車いすを押してくれているので顔は見えませんでしたが、助手さんは私の言葉が意外だったらしく「うっ!」と、詰まって泣きそうになっていたと思います。
 この助手さん、「ダブルバッガー」ですよね。
 どんな職業でも、「ダブルバッガー」がいいですね。

贋作じゃないよカニカマは

2020年11月05日 | Weblog
 「開運!なんでも鑑定団」に、夫婦で出演しました。なぬ?「何度か書いただろう」って?う~ん、書いたような書いていないような…。
 浮世絵2枚をひっさげて勇躍の出演。46万円の値段を付けたのですがね。カミサンは、「こんなもの、たいした価値がない」とこき下ろす役回り。「ジャカジャン(鑑定士の鑑定金額が示されるときのBGM)」の結果、「2万円」。
 「鑑定団に出演して」というオファーがあったとき、カミサンは、かたくなに出演を拒否。私は出たがりなので、なんとしてもテレビ出演したかった。カミサンを説得した決め手は、「交通費はテレビ局持ちで、(東京、千葉、静岡の)子どもたち、孫たちに会えるよ」でした。カミサンは、テレビには出たくなかったが、子、孫に会いたかった。
 今や、カミサンは、なにをおいても、「開運!なんでも鑑定団」を必ず観ます。異様なほどの大ファンになってしまっております。
 この、「開運!なんでも鑑定団」…出演してわかったのですが、「バラエティー番組」ですね。面白くしてなんぼ!私ども出演の収録後、担当ディレクターが笑顔でやってきて、うちのカミサンに言いました。
 「一番面白かったです!いやー、ありがとうございましたぁ!」と。この日のMVPを獲得ってことですかね。
 なぬ?「カミサンがひょっとこ踊りでもしたのか」って?するわけないでしょ。司会者との短い会話が、バカウケしたんです。
 私が「アキレス腱を3回断裂させてしまった」という話題になり…
司会(石田 靖さん):3回もぉ!なんでぇ?
カミサン:趣味で…。
司会:ワイの趣味、アキレス腱切ることやでぇー!!
 おっと、アキレス腱の話じゃなくて鑑定団。「依頼人の評価額100万円」「鑑定士の評価は500円」なんてこともある。このギャップで笑いをとる。
 鑑定士の評論・・・「いやー、ひどいニセモノですねえ!」「このニセモノ、いいところを見つけようとしましたがぁ…何もないです」・・・笑わせる技術ですね。

 庶民がお宝だと思い込んでいるものの中には、ニセモノ(贋作)が多いことは間違いないよう。
 ただぁ…世の中、ニセモノ天国ですよね。「コピー商品」、名前はかっこいいが、早い話が、ニセモノ。そんな中で健闘しているのが、ニセモノを意識した本物の「カニカマ」。

 カニカマは、コピー商品ですよね。潔白を主張するために、ネーミングで、「本物だなんていってませんよ」と、商品名の工夫をしています。
「ほぼカニ」…「ほぼ」をつけて、詐称じゃないよと主張
「カニ風味カマボコ」…風味だけよぉ~。本物じゃないからね~。
「カニ蒲鉾」…カニじゃないよ、カニ蒲鉾だよ。蒲鉾だもんね。
「タラバガニみたいでごめんなさい」…名前で、謝罪している。
 ニセモノ界の優等生だね。スーパーへ行ったら、面白い名前のカニカマ見つけてね。

元来日本人は人種差別をしない民族

2020年11月04日 | Weblog
 ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ)…当たり前。特にぃ…といえば語弊があるが、有色人種の一人として、黒人には親近感さえおぼえます。
 自分がはじめて黒人を見たときのことは忘れてしまっていますが、長男(当時11か月)が、初めて黒人を見たときの様子は、はっきり記憶しております。
 ボストンダウンタウンの「フォーサイスデンタルセンター(ハーバード大学の歯科部門)」で、歯科の順番を待っていました。清掃員が床を拭きながらやってきました。60歳前後と思われる小柄な黒人男性で、漆黒の肌、大きな丸い目、失礼ながら団子っ鼻…。見たことはありませんが、クンタ・キンテのおじいさんはこのような人だったんだろうと思いました。(映画のクンタ・キンテは鼻筋が通ってましたね…)
 その男性が、「おや?東洋人の乳幼児がいたな。愛想してあげよう」と思ったらしく、長男の顔をのぞき込んで、「おどけた顔」をしてくれたのです。
 長男は一瞬にして金縛り状態。目は、黒人男性の大目玉より見開いておりました。呼吸ですか?もちろん息をすることなど出来ません。その反応に、少々がっかりした男性は、職務に戻っていきました。我に返った長男は、その後ろ姿を伸び上がって見続けておりました。
 乳幼児のリアクションですから、「人種差別」の要素は皆無。純粋にびっくりしたのでした。
 初めて日本へやってきた黒人を見た日本人の反応は、どうだったかなあ?おそらく初めて日本へやってきた黒人は、イエズス会イタリア人宣教師ヴァリニャーノの従者兼護衛だったと思われます。日本名は、「弥助」。なぬ?「弥助ならだれでも知ってる」って?
 そうだよね。弥助は、NHK大河ドラマに何度か出演していますからね。「信長 KING OF ZIPANGU(1992)」、「秀吉(1996)」、「軍師官兵衛(2014)」「麒麟がくる(2020)」。
 「弥助が京都に来たときは、弥助を一目見ようと、大勢の人出で大騒ぎになった(「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」著者は、ロクリー・トーマス:日本大学法学部准教授)  
 さて、弥助見物(そのときは、弥助という名前ではなかったでしょうが)の人々は、黒人をどう思ったか?「差別してやろう」「迫害してやろう」と思ったか?まず、それはなかった。むしろ畏敬の念さえもった。
 織田信長は、弥助の評判を聞きつけ、小姓として破格の待遇で召し抱えました(天正9年。天正年間は、1573年~1592年)。信長は、人種差別の逆のことをしていますね。弥助が信長に仕えて1年3か月後、本能寺の変。弥助は、獅子奮迅の戦いぶり。本能寺から、信長の嫡男の信忠がいた二条御所へ。二条御所でも戦ったが、信忠が切腹したので、弥助は明智軍に投降。光秀は弥助を殺さなかった。ロクリー・トーマスさんは、「遠くからやってきて知らない国で殺されるのは忍びないと考え、殺さなかった…光秀の人間性が表れている」と。光秀って、人種差別をしないどころか「温情」の持ち主だったんですね。
 日本人は、本来黒人を差別しない複数民族である!
 なぬ?「弥助はその後どうなったか」って?
 その後の弥助は…「イエズス会宣教師の護衛を続けたという説」「船員になったという説」などがあるようです。立派に生きたことは間違いないようです。

 4週間にもわたる入院から帰って参りました。このたびの入院は、「ステロイド剤の服用を注射(アクティムラ)に切り替えるため」のものでした。しかし、その前段…乱高下する血糖値の調整だけで4週間…。でも、とりあえずは、生きて帰れたので良かったです。