アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

サビオが通じない

2024年07月05日 | Weblog
 北海道から東京へ越して来て、通じなくて困る単語が、「サビオ」。私と医療関係、介護関係の方々との会話…。

私:  「傷口には、サビオを貼ったので大丈夫です」
関係者:「えっ?何を貼ったんですか?」
私:  「サビオなんですがぁ」
関係者:「・・・サビオ?錆を?貼ったぁ?」

 サビオが通じないなんて、「東京も遅れているんだなあ。北海道でサビオが発売されたのは、61年前だぞ!」と、思いました。我が家に出入りしてくださる面々は、「絆創膏(ばんそうこう)」と、呼ぶのだそう。サビオが市民権を得ているのは、「北海道・和歌山・広島」だけなんだと。この、三道県に、何か共通するものがあるのか?サビオ以外にはなさそう。
 新潟県は、「絆創膏」ですが、佐渡島だけは、「サビオ」だという。曽我ひとみさんも、「サビオ」と、言っておられるのかなあ。薮から棒に、曽我ひとみさんを出してくるのかって?佐渡島が出てきたからには、曽我ひとみさんを出さなければなりません。
 人には、それぞれ「歴史」があります。曽我ひとみさんの人生は、「波瀾万丈」そのもの。19歳で北朝鮮へ拉致され、そこで24年間暮らさなければならなかった。その間、元米兵で北朝鮮へ亡命(米軍から脱走)した人と結婚。2人の女児をもうけた。これらは、もちろん波瀾万丈です。
 私が特筆したいことは・・・曽我さんは中学校を卒業したあと、昼間は「準看護学校」、夜間は「定時制高校」で学んだということ。高校の放課後は部活動。帰宅は午後11時過ぎ。この頑張りを続けたというところが素晴らしい。
 もちろん、このような生活を経験された人は多いと思います。曽我さんだけが頑張ったということではありません。たとえば、昼も夜も勉強漬けの地道とも言える青春時代を過ごした人がいるとします。すっかり忘れていた当時のこと、今、曽我さんがそのような努力をしてきたことを知ると、「自分って、頑張ってきたんだなあ!」と、瞬時でも「自己有用感・自己肯定感」に浸ってくれたらいいなあという思いで、曽我さんのことを書きました。

 あらら、サビオの話しがあらぬ彼方へ行ってしまいました。
 ちなみに、ガーゼ付き絆創膏のことを「カットバン」と呼ぶところは、東北地方・山梨・岡山・鳥取・島根・山口・愛媛・高知・佐賀・長崎・鹿児島。
 「バンドエイド」と呼ぶところが、関東地方・大阪・京都・兵庫・滋賀・三重・愛知・岐阜・香川・徳島。
 「リバテープ」が、福岡・熊本・大分・宮崎・沖縄・奈良。
 「絆創膏」は、新潟・長野・石川・福井・静岡。※東京は、地方出身者の集合体のため、絆創膏以外の呼び名で通じることも。
 薬の本場富山県は、「キズバン」なのだそう。

 絆創膏のカタカナ名、様々な呼び名があるんですね。
 誰が名付けたか、「絆創膏」というネーミング自体が秀逸です。
 「絆(きづな)」を「創(つくりだす)」「膏(くすり)」。う~ん、素晴らしい。


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