おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

88年前の文楽映像 @ 早稲田大学小野記念講堂

2009年12月23日 | 文楽のこと。
88年前の文楽映像 @ 早稲田大学小野記念講堂

 新聞でもかなり取り上げられていましたが、早稲田大学の演劇博物館が、フランスのアルベール・カーン博物館が保存していた88年前(大正10年)の文楽映像を購入しました。
有り難きことに、誰でも参加できる無料上映会があり、拝見して参りました。

 映像は40分超。人形浄瑠璃文楽座の看板、劇場全景、看板前の白井松次郎(松竹の創業者)というイントロダクション的な映像の後に、人形拵えや技芸員が談笑している楽屋風景など。そして、そのあとに、「妹背山」の道行恋織苧環と、「廿四孝」の十種香と奥庭狐火の映像という構成でした。

 で、なんで、これが大正10年の映像だと断定できたのか-というのが、すごくドラマチックなのです。1938年に刊行された「初代吉田栄三自伝」の中の大正10年の項で、「有楽座での興行中に松竹から話があって活動写真を撮ることになった」という記述があるのです。しかも、演目が「妹背山」と「廿四孝」で、十種香はサハリしかやっていないとか、床は古靭さんと清六さんだった、「私が八重垣姫を遣った」などということが克明に書かれていて、どう考えても、このフィルムの撮影のことを書いているとしか思えない符合ぶり。

 そして、皆さんが寛いでいるステキな楽屋風景も、栄三自伝により、ヤラセであることが発覚。「急造りの場所なので、楽屋らしくする為、私が暖簾なんかを持っていきました」と、バッチリ書いてあるんです。まさか、松竹の人も、88年後にヤラセが暴かれるとは思わなかったでしょうね。
 
 で、本編部分はと言えば、「廿四孝」に関しては、88年という年月を経ても、基本的な演出はほとんど変わっていないのです。

なんか、感動してしまいました。「伝承」という手法によって、戦争・敗戦を乗り越えて、88年という長期に渡って文化を保存できるって、やっぱり、人間の力って凄いですよね。(たまたま、88年前の映像で確認ができただけで、実は、もっと、さらに長期に渡って保存し続けているのだけれど…)。 そして、廿四孝が、これほどまでに西欧文化を受け入れ、経済大国(まだ、一応、大国?)になった日本でも、観る者をハイにしてくれるなんて…。

ほんと、人間の力って凄いです。

ちなみに、吉田栄三は昭和に入ってからは、座頭格の立役遣いとして人気だったそうですが、この映像では、両方とも赤姫。しかも、可憐なんです。立役も女形もきっちり遣える名人! まるで、今の勘十郎さまのよう!? 

この映像の解析に携っている、早稲田大学の内山美樹子先生は、「あの栄三が、楽屋で笑顔でいたなんて!」「古靭を立派な大夫に育てた3世清六の映像が残っていて感激~」「咲大夫の父である八世綱大夫が、楽屋で下働きしているのよ!」と興奮状態。昔から文楽を知っている人にとっては、歴史に名を残す名人達の若かりし映像に萌えてしまうんですね。

 誠に、貴重な映像を拝見させていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 今回の上映会に参加できなかった人も、遠からず、演劇博物館の視聴覚ブースで誰でも無料で視聴できるようになるそうです。太っ腹、早稲田大学!  

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