ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

湯の児温泉→→出水の鶴へ

2008-12-10 09:57:27 | 旅&温泉紀行

湯の児温泉(ゆのこ)

12月3日一泊で、熊本県水俣市の海岸沿いにある温泉へ出かけた。初冬とは思えぬ暖かさだった。 横浜の娘宅に2週間近く滞在していた間”留守居役”を勤めてくれた夫サンの慰労が主たる目的?とはいっても、温泉大好きなととろサン、いつでもスタンバイOK(懐と相談というのがあるから、高価なところは無理だが)。

夫サンが「太刀魚のしゃぶしゃぶと伊勢えび」の謳い文句に目をつけた。(二人とも海の幸好き)温泉は、近くには二日市温泉(車で10分)や原鶴・嬉野など30分程度で手軽に行ける温泉もあるのだが、今回は私は初めてなので、旅気分をそそられた。 (昭和30年に建てられた本館は、今も凄く安い宿泊料金で泊まることが出来るそうだ。古い佇まいが絵になる趣だ)

 

水俣といえば”水俣病”で有名になったところだ。昭和40年ごろ原因が解明されない当時は奇病とか伝染病、遺伝病などと思われ、罹った人たちは病状の苦しみもさることながら、周囲の理解もなく、精神的な苦痛を余儀なくなれた。どんなにか辛かったことだろう。胎生感染で生まれてきた人もいる。

原因は、新日本窒素工場からの廃棄水が海に流され、メチル水銀などで魚などが汚染された結果、それを食した地域の人たちに、酷い中毒性中枢神経障害が出たのである。最初の頃は、踊り狂った挙句に死ぬ猫たちが見受けられ、【猫おどり病】などとも言われたそうだ。日本が高度成長を遂げる中で起こった悲惨な出来事は、水俣病をはじめとして、四大公害病【水俣病・第二水俣病(新潟の昭和電工による)・イタイイタイ病・四日市ぜんそく】と認定された。めざましい経済大国となっていく中で、大きな被害があったのである。

水俣病と命名された頃から半世紀以上の歳月が流れ、水俣の海もその眺同様に、海水そのものもきれいになり、太刀魚やさまざまな魚や海老などの漁場として蘇っている。

わが家から車で高速走って   時間。1500M~2000M台の長いトンネルを三つ通り抜ける(佐敷太郎・赤松太郎・津奈木太郎という三つの峠を抜けるのだ。昔はこの峠越えは大変だったことだろう

宿が何軒か並ぶその前は通路を挟んで静かな海がゆったりと広がる。、まるで春の海のようになめらかで波一つない。鏡のような・・・という表現のままだ。後は山。山を削って建てる時に、岩盤があまりに固いので、そのままトンネル【洞窟】として、そこに豊富な温泉を流したという大洞窟風呂と銘打ったのが、呼び物の山の中腹を利用して建っている山海館というホテルだった。

ホテルの前の海沿いの散策路の突先には、橋が架かって小さな小さな島に繋がっている。夜は橋がライトアップされていた。湯の児温泉の発祥はなぎさに流れ着いた傷ついた大亀が、くぼみに湧き出た温泉で傷を癒したという伝説があり、その島には石の亀さんが海を眺めていた。

【湧出量】 豊地下150mより毎分210L、掛け流し。
【泉質】ナトリウム-炭酸水素塩泉・塩化物泉
【効能・効果】
神経痛、筋肉痛、疲労回復、五十肩、打撲、切り傷、慢性皮膚病、冷え性、慢性婦人病など
弱アルカリ重曹泉の「美肌の湯」

さて、【大洞窟温泉】はどんなものか?

  

(長い洞窟温泉が売り物)  (夜景はこんな感じに)

 大きさではなく、そのトンネル状の洞窟の全長が日本一なのだそうである 丸いトンネル状、幅は1M弱。岩盤の中にたっぷりとお湯が流れてる。深さは太ももあたりまで。このお湯の川のトンネルが枝分かれして4つのお風呂に突き当たる。

女性用二つ、男性用二つ。お風呂の先には海を見下ろす露天風呂(バス状で小さい)を備えているところもある。勿論男性用、女性用入り口は別だが、途中で一箇所交差するところがある。短い距離だが、フロントで「バスタオルを巻いてお通り下さい」そこを過ぎてまっすぐ行けば男性用、女性用は横道に小さな扉があり「これからは女性専用です」と書いてある。

平日の、しかもまだ忘年会などには早すぎる12月の初旬だったので、なんと三回の入浴、この九州一永いトンネルのお風呂に独りっきり。あっちこっちウロウロ(笑)一度男性(オジイ様方2,3人と交差。バスタオル巻いててよかった。洞窟のお湯は太腿までしかないんだもん)

しかし・・・かなり大きなホテルだったので、大勢の客の場合、このトンネルを通り抜ける時は行列になって・・・なんて想像すると、「ああ、人のいない時でよかった。

女性専用には、洞窟でないこんなお風呂も。

お料理は、こんな風。小さいけれど、伊勢えび一人一匹。刺身の甘味がなんともいえない。食べたあとはお味噌汁に。これも美味しい!この他に洋風なお洒落なものもあったり、あと何品出たかしら。私達世代にはちょっと多すぎかな。温泉などに行くと、シニアには品数を少なくして、その分宿泊料金を、安くしてくれるといいのだがと思うこともしばしば。(”シニア料金”を取り入れているところも、あるようだが)このコースの料金は2食(朝・夜とも部屋食)つき、15000円。

 

太刀魚のしゃぶしゃぶは、身がくるりと。胡麻タレで。なかなか乙だった。太刀魚はお刺身も淡白だが、こりっとして美味。「今度はぜひ太刀魚釣りに、お出かけ下さい」とのこと。銀色に輝きながら、名の如く大太刀のような魚が上がってくる様子は、美しく壮観だという

 伊勢海老の赤出し汁も美味でした。

  

温泉宿も今は4軒のみ。海の他はなんにもないこの温泉で、のんびりゆったり過ごす。まるで目の前の滑らかで静かな海のように、何事もなくひたすら穏やかな時だけがゆっくりと過ぎていった。

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恥ずかしいやら、情けないやら。

2008-12-01 23:23:22 | 日々の中で

Img_9521_2  先日のこと、二階から降りてくると居間は冷え冷え。もう冬になるのだから当たり前だけど。

早速暖房を入れ暖かくして、まだ夜の帳が明けぬ頃から、宝満山のあたりの空を茜色に染めながら、太陽がめざめ、光の矢がガラス戸から眩しく差し込む頃まで、書きかけていた本業(笑)の歌舞伎関係のものをまとめてしまおうとパソコンに向かっていたととろサン、一区切りついたし、夫サンもそろそろ起きだしてくる頃と、着替えを置いた筈のガスヒーター(をリビングでは使っています。寒がりのととろサンは、そのヒーターの前に着替えをおいて、暖かくして着替えるという無精者なんです)

が、何もありません。「あれ?」和室に行って”乱れ籠”を見るとここも空っぽ。和室の押入れみてもないのです。二階の寝室をそっと探してもありません。思い違いで昨夜は用意しないままだったのかも・・・と別のものを用意して、着ていたガウンを脱ごうとしたら?

「えっ?いつの間に?」ガウンの下はパジャマではなく、ちゃんと服を着ていたのです。探してもない筈。じゃあ、パジャマは?・・・・洗濯機の中に納まっていました。起きてきてすぐに着替えたんでしょうね。しなれないことをしたから、記憶が欠如・・・というの言い訳ですね。なんと情けない!着替えて寒かったので、その上にガウンをまた羽織ったのに。すっかり忘れてしまっていたのです。初老性痴呆の始まり?

これは友達の話。

ある時天神に行ったそうだ(福岡市の中心、三越などのデパートやショッピング街の集中するところ)電車から降りて改札口に向かいながら、コート(スプリング)を脱ごうと思って、ふと下に目をやると、なんと!スカートを着用していなかった!ペチコートだけだった。

「脱ぐ前に気がついたからよかったけど」スカートの鍵ホックが緩くなっていたのが気になっていたのでしっかり糸で留めて・・・といったん脱いだ時に?。電話を終えた時はスカートのこと忘れてしまって(コートはもう着ていた)そのまま出かけたんですって。しっかりコートの前を押さえながら、デパートに飛び込み、サイズだけで選んでトイレに駆け込んだそうな。

以前地域公民館で講演をしてくれた医者が「昨日何を食べたか、思い出せないのは普通のボケ、食べたかどうか思い出せなかったら、医者へ行ってください」と。よしよし、食べたことはしっかり覚えているから、まだ大丈夫・・・・でもそれにしても・・・。そのお医者さんがおっしゃいました。「男性の場合は色ボケになりやすく、女性の場合はお金ボケが多い」と。そういえば、しっかり者で痴呆などとは縁がない筈の姑の痴呆は「ここにおいていた1万円がない」がはじまりでした。

けれど、いつ誰がどうなるのか?解からないし、仕方のないことでもあるし。”今日”という日を私なりに大切に今生かされていることの有り難さを感謝して、残りの人生をっ時を積み重ねながら、創って行くだけ、歩いて行くだけです。

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