ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

今年の締めくくりは、新聞記事に翻弄されて哀しい日々(2)

2007-12-26 11:20:15 | 草の根地域福祉

  新しい年を迎えるまで、残り僅かというのにととろサンは鬱々とした日々なのです。ことの起こりは今月半ばのN新聞(大手地方紙)一面記載の特集”ふるさと再生シリーズ”大きな囲み記事。(ととろサンは今こんなカッパさん状態)

今回のテーマは『黄昏れる街・・・ベッドタウン』(題からして“暗い”)その第2回に、なんと我が地区が掲載されたのです。「そんな馬鹿な!」目を通すうちに、怒りがこみ上げてきました。地図も入っております。

ととろサンはプライベートでは、余り怒ったり、他人と争ったりしない性格だと思っているのですが、この時はまさに『怒り心頭に達して』状態。心を落ち着けて何度も読み返し、『なぜこんな記事が出たのか』

今月はじめ【ちょっと早目のクリスマス】を開催、また【花想会・・・話そう会】(70歳以上対象)の皆さんに、福祉部ひまわりさん手作りの”干支のねずみ”を年末の挨拶の手紙とともに届け、「早速玄関に飾りました。可愛らしくて。有難うございました」と感謝の電話を頂いたりしていた矢先だっただけに。

ここは、40数年前に新しい団地として建設され、当時のサラリーマンの方たちが退職後、緑が多く静かで歴史ある町として入居。確かに太宰府市44地区のうち高齢化率4番目(以前は3番目)。世帯数150余、人口700余、70歳以上130人余。子供の数が一桁になるのではないかと思われる時もありました。だからこそ!自治会役員はじめ皆さんが頑張って福祉を中心に『温もりのある町』めざして、今は社会福祉協議会からも『モデル地区と思っています』と言われる程なのに。

記事はまず、N子さんという若い家庭(1歳の坊や)を取材。・・・公園に遊ぶ子供の姿はない(本当にそうか?)若い家庭が少なく、いまだに『N子はまだ近所の”ママ友”ができていない』とぽんとインパクトの強い投げ出すような結びで、いかにN子さんが黄昏れたトシヨリの町で、寂しく暮らしているかが浮き彫りにされていましたが、実情は・・・

我が家の近くに住むN子サンは時々メールも交わすし、勿論顔見知り。月に一度の『井戸端サロン』にもお子さん連れで参加してくれている。

★私のメールへのN子サンのレス(掲載許可いただいています)

『実はママ友達も出来て、?番号の交換もしています。取材の時その話もしたのですが、私達家族が明るすぎて記事内容と合わず・・・・ここは公民館活動も活発だし、今建設ラッシュで新しい家族が入居されています。新聞記事はさておき、いつも良いとこに引っ越してきたと話しています。』(他に若い家庭を取材したら、貴女のところは没にするとのことだったが、他の取材が出来なかったらしい。で、『友達ができていないことにして欲しい』と。彼女は前から『ここは近所の方も良くて密でいい』と話してくれている、人の良い明るい奥さんなのです。

現・区長から取材のいきさつを聞いた。

まず、大宰府担当の記者が『サポート隊のことを取材したい』と、(大宰府にはまだそういう形のものを持っている地区がないから、今までも何度か話を聞きに来られた地域福祉を目指す地区の人たちもいた。) 区長ならずとも『良い方向の取材だ』と思い込むのは当たり前。だが、記者の頭には「サポート隊というようなものを作らねばならぬ程に老齢化した地区」とのイメージがあったのか?

区長から「2回目は暗く書きすぎたので、3回目は明るくサポート隊のことを書きますと記者が言っていますので、期待してください」と前・区長で今は顧問の夫に電話が入った。が・・・明るいどころか、サポートで実例に関わった人たちの気持ちを逆撫でし、区長は言葉の後先を省かれて、違う雰囲気に使われてショックも大きい。しかも、これは取材後の電話での雑談の時のこと。(わが地区は大宰府で3番目の女性区長、頑張ってるんです)記者は「私達はどんな時でも、取材の対象とします」だったら、きちんと前後の言葉も、その時の状況も掲載すべきではないだろうか。テーマに添うように、聞いた言葉を切り取って細工して、なんとしてでも我が地区を黄昏れてしまった町に仕立て上げたったのだろう。

気分が滅入るような暗い記事、読み手の心を逆なでする表現、そこから何が生まれるというのだろうか。リタイヤ後の夫が区長を引き受け、以来役員さんや地域の皆さんと頑張った姿を傍で見、ととろさんも少しは手伝い、成果の程もわかっているだけに、やりきれない気持ちでいっぱいである。

問題提起から啓蒙へ、再生への希望をよびおこすような記事であってこそ、『ふるさと再生への道』という取り組みにふさわしいのではないだろうか。

地域のTさんのメール(掲載許可頂いています)

・・・読んでいて不愉快でした。あれは、事前に記事の構想が出来ていて、形だけのインタビューをしてネガテイブな面だけを記事にした感じですね。『井戸端サロン』の時、N子さんの他にも若い奥さん達がお子さんを連れて来て、和室(地域公民館)で歓談していらしたので、『良いことをなさってますね』区長に言ったものです。サポート隊」のことも、当事者がこの記事を読んだらどんな気持ちになるか、分かるだろうに、これは表現の暴力ではないかと・・・。

この団地には温かい風が吹いています。ここに住んでいることを、嬉しく思います』と便りを下さったご年配の方、『明るい、元気がいい』と言ってくれる方。地域福祉は試行錯誤。住民も十人十色、関心のない人もいる。静かに自分の世界で暮らしたい人、もっと大きな市の中央や福岡に目を向けて行動している人、それは人それぞれでいいと思う。多数の住民が”住んでいることに満足を覚える地域”であったら、それでいい。

<やれる人がやれる時にやれることを>

<ぬくもりのある町をめざして>・・が、この小さなわが町の掲げるスローガンである

夫さんが月に一回発行の地区便り(ととろさんの写真や記事も)カラフルに明るくシンプルな地域情報紙。7年目に入りました。おかげで好評です。

追記(12月26日)★今日は最後のひまわり会の話し合い。来年一月に開く『ちょっと遅めの新年会』70才以上の『花想会』の方を招いて、「ひまわりサン」達との新年会。日時・内容などについては、あっという間に決まりましたが。その後、N新聞の記事のことで、私達地域のものは本当のことを知っているけど、知らない人たちはあんなに大きく新聞の一面に出たら、信じるよね・・・と。 

若い人たちも入居して三世代共存する町のモデルで、取り上げられたというならわかるけどなどと、年の瀬なんだけど、腹が立って落ち着かない!皆さん、福祉部で頑張ってくれているだけに・・・とても情けなくて仕方がないようです。 こんな救いのない記事書いて!地価が下がるよ、若い人が入居するのをためらうよね。

★道で最近越してきたばかりの、若いお母さんに会いました。女のお子さんが二人。先日のクリスマス会がはじめての行事参加です。転勤で来られたのですが、前任地の友人から電話「どうしてそんな過疎地に、住んだの」「そうじゃないと思う。」とクリスマスも楽しかったし、子供達にも子ども会のお母さんや子供さん達が『一緒に遊ぼう』と声かけて下さったし、近所の方も優しいし・・・といったけど、あんなに大きく一面に書いてあるから、やっぱり、新聞の方を信じているみたいで」家を建てようかとか引っ越して来ようかと思っていた人は、ためらいますよね。とそのお母さん。

 第一回目の他地区のことを読んだ時から、なんか不安になって・・・。静かだし環境がいいなと思って、夢を持って越してきたのに・・・」ととろサンの説明を聞いて、ほっとなさったみたいでしたが(説明できたり、直接状況が解る人はいいけど)新聞の力はよくも悪くも強い。ペンの暴力ですね。

    もう暫く、喧騒ともどかしい戦いが続きそうです。

この企画を『黄昏れる街』を企画した人は、何を意図していたのでしょうか?報道人の良識を疑いたくなります。

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