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この作品においては「母性」が重要なテーマであることは間違いありません。
成人検査を通過し教育ステーションに集められた子供たちが最初に見せられるのは、S.D体制の成り立ちと地球〈テラ〉についての映像です。故郷や両親の記憶を消され不安の中にある子供たちは、この映像によって教育(洗脳)され、両親への思慕の念を地球(テラ)に対するものへと置き換えていく。地球〈テラ〉という生命の「母」のために働くことが、自分たちの責務であると教育(洗脳)されるわけです。
そういう意味では、「母性」を慕う気持ちが完全に消えてしまうのはかえってマズいことになります。母親への想いが完全に消えないのは、そのような意味もあるのでしょう。
セキ・レイ・シロエの「マザコン」ぶりが気に入らない方もおられるようですが、こういっては身も蓋もありませんが、男なんてえもんはみんな、程度の差こそあれみんなマザコンですよ(笑)。特に日本の男はその傾向が強い。
それにシロエはまだ14歳の子供なんです。この14歳という設定が一つのミソであり、母親の呪縛から解放されようとする自立心と、まだまだ母親に甘えていたい気持ちとが錯綜する、丁度いい年齢なんですね。この年代の男の子の真っすぐさだとかガラスのような繊細さだとか、そうした部分に竹宮さんはある種の「愛しさ」を感じているのではないだろうか。
この作品を読んでいると、そんな感じを強く持ちます。
この物語は大いなる「母性」、地球〈テラ〉の胸に、ミュウも人類も還ろうとする物語だといっていい。
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育英惑星アタラクシアを脱出したミュウたちは、銀河の辺境の惑星ナスカへ降り立ちます。
この地でひと時の安らぎを得るミュウたち。ジョミーは人類と争わず、共存する道はないかと頭を悩ませます。
ミュウたちはこの地に家を建て、作物を育て、暮らしをたてていきます。そしてS.D体制発足以来絶えてなかった、自然妊娠、自然分娩による子を授かるようになります。
惑星ナスカでの平和な暮らしに、若いミュウたちの間では、このナスカに根を下ろして生きていこうと考える者たちが出始めます。もう、地球〈テラ〉を目指す必要はないのではないかと。
この若者たちの考えに、長老たち、ソルジャー・ブルーと行動を共にしていた長老たちが反発します。みんなてんでバラバラに自分勝手な意見を言い始めるミュウたち。そこには、かつてソルジャー・ブルーの下に一つに結束していたミュウの姿はありませんでした。
どうしていいのかわからない。ジョミーは判断に迷い、己の潜在意識深く潜行していきます。
深い深い眠りについたジョミーに、慌てふためくミュウたち。
そのころ、辺境惑星ナスカ周辺で立て続けに起こっている原因不明の事故に不信を抱いた地球〈テラ〉政府は、一人の男を調査のために派遣します。
その男こそ、若きメンバーズ・エリート、キース・アニアンその人でした。
つづく