狐は田の神の眷属だと思われていたようです。
狐塚という地名があちこちにあるようですが、この眷属たる狐を祀った祠があったのかも知れませんね。
稲荷神とはその名のとおり、稲の神様、田の神様、農業神です。その眷属であった狐が、やがて稲荷神と同一視されるに至った。それだけお狐様は稲の普及に尽力したのかもしれません。ある方がおっしゃるには、
「眷属たる狐は、稲の束を加えて、日本中を駆け回った」のだそうですよ。私にはわかりませんが、もしそうなら、大変な苦労をされたことでしょうね。
お狐様が走り回ったどうかはともかく、少なくとも大和国家は、稲作を列島中に広めることを至上命題としていたように、私には思えてなりません。列島中に黄金色の花を咲かせることが、
「神」より与えられた使命だと考えていたのでしょうか。
そう、稲は単なる穀物ではない。神より日本の民にあたえられし格別な「糧」なのである、と信じていた。
「表」側から大和国家が、「裏」からお狐様が、稲作を広めるべく働き続けた。しかし、素直に言うことを聞く輩ばかりではなかったでしょう。
特に「蝦夷」と呼ばれた剛直なる東北の民は強力に抵抗した。
そしてその軋轢は、
悲しい「争い」を生んだ……。
日本人がなぜこれほどまでに、稲というもの、米というものを「特別視」してきたのか。それは国家規模の一大事業だったからであり、その事業を裏側から支えるための、お狐様の大いなる働きがあったのかもしれません。
物心両面から、神より与えられし特別な「糧」を広めようと努力しつづけた。
米を特別視する価値観は、このようにして、日本人の心深くに浸透していったのではないでしょうか。
しかし稲作が広まっていく過程で、多くの争いがあった、多くの人の命が犠牲になったこともまた、事実です。
私はその事実を、忘れずにいたいと思う。
一膳の飯、一粒の米、
大切に、有り難く
「いただきます」
神より与えられし特別なる「糧」、それが「米」。
仇や疎かには、食べられません。
ど○兵衛の方が好きなんだけど……(笑)