日本文化は稲作農耕が主体であり、日本人は農耕民である。
確かにそうなのですが、だからといって、非農耕の道を選んだ人々のことを切り捨てていいのか?それだって立派な日本の「文化」じゃないか!
私は以前からそう思ってきたし、これからもその考えは変わらない。
ただね、こういう考えを口にする人は、えてして「反天皇」的思想に走りやすい。私はそれは嫌いです。
私はそっちじゃありません(笑)その点は明確に否定させていただきます。
天皇と日本人の関係は、単純に「支配するもの」と「されるもの」という関係ではありません。そこのところを見誤るから、間違った論旨を展開することになる。
非農耕民も決して天皇は否定していなかった。
木地師が所有していた由緒書には、木地師の祖は皇族某の家臣であった小椋某であり、木地氏は皇族某より、日本中の山に入るのを勝手とする許可を得ている、として日本の山中を徘徊していました。現在では、その由緒書は偽書であろうとされていますが、いずれにしろ木地師たちは、皇族との関わりに誇りを持っていた。
非農耕民もまた、皇室を敬っていたのです。その彼らの思いを無視して、「反天皇」的な論旨を展開するのはいかがなものか?
そうした点を見誤ることなく、日本と日本人と日本文化というものを見ていきたい。まったくの素人ながら、そんなことを思う今日この頃です。
さて、田の神信仰です。
水田稲作が入ってきたのは紀元前10世紀頃、と考古学上ではいわれております。それ以前は1万年に亘る縄文文化が日本を席捲しており、大自然森羅万象すべてに神宿るとして敬う日本神道の源流はここにあると思われます。
水田稲作は後発のものです。しかしながら稲作は弥生以降の日本人の社会を形成する基盤となっていき、それに伴って稲作農耕に関わる祭祀が、神道の中心的祭祀となっていきます。
では縄文的祭祀、神観念はまったく否定されてしまったのか?それは違うと、私は思う。
水田稲作は大量の水を必要とします。ではその水はどこから流れてくるのか。
冬の間に山々に積もった大量の雪が、春の雪解けとともに、大量の水を麓に流し、生きとし生けるものを潤わせる。
山の「恵み」によって、稲は育つわけです。人々は山の恵みに感謝し、山の神と田の神とを結び付けた。
山の恵みに感謝する。これは縄文時代の信仰と基本的には変わらないんですね。縄文人たちは山=森の恵みを享受し、感謝しながら暮らしていた。田の神信仰もそれに従するかたちで発展したとみていいでしょう。
さらに森があることによって、水は保水されますから、人々は村の近くの森を整備して「里山」として維持することを心掛けます。この里山で生態系が保持され、人々はこの森の「恵み」をも享受するわけです。
山と森の恵みに感謝する。生業の主体は変わっても、信仰の根本はほとんど変わることがなかったんです。
田の神は冬の間は山にいて、春の訪れとともに里へ下りてくる、とされています。まさに冬の間に積もった雪が、春の雪解けとともに麓へ流れてくるのと軌を一にしているわけですね。
山の神信仰は、そのまま田の神信仰に繋がったわけです。
また、先祖は山に帰るとする、日本古来の祖霊信仰とも繋がっている、という考察も成り立つでしょう。このように田の神信仰の形態の中には、様々なかたちで縄文以来の信仰形態との繋がりを見ることができるのです。
縄文から弥生へ、日本人の精神文化は途切れることなく繋がっていたのです。1万年に亘って続いた縄文文化を舐めちゃいけませんね(笑)
稲作文化のみをもって日本文化とする視点が、いかに狭く軽々しいかということ、わかってもらえるとありがたいです。
日本文化は奥が深いのです。
中学までの歴史の授業で、縄文、弥生とかサラっとやりましたけど、別に稲作が日本分化だとか習った記憶もありません。
米が育ちにくかった地方は蕎麦が美味しい♪(長野のお蕎麦は美味しかった^0^)とか、代わりの食が発展した、くらいのイメージはありますし、日本の主食は米で、やっぱり米が美味しいと思ってる人が多い、とは思いますが、蕎麦は日本食じゃないと思ってる人が居るわけでなし、稲作こそが日本文化だなんて、逆に初めて聞いたような気がします。
てか、江戸時代だって、あわやひえを食べてたわけだし、こんなにお米を普通に食べられるようになったのって戦後からくらいじゃないでしょうか?
そんなに、「稲作=日本文化」だなんて思ってる人、逆に居ないんじゃないか?と知識のない私は思ってしまうのです。。。
そばや稗などの雑穀類は、米が食べられないからこその救荒作物として育てられたものです。そばが名物になるということは、それだけ米を食べられなかった人々が大勢いるということでもあります。
おいしいそばの裏側に、そうした人々の悲しみが流れている、なんて言ったらそばをたべられなくなるかな?
とにかくね、現代の日本にに生きる我々は本当に幸せなのです。名物の旨いそばを食べられることに
米をたらふく食べられることに
感謝しましょう。