あまり表だっては語られませんが、東日本大震災の被災地にも、いわゆる「怪談話」というものがあります。
大概は興味本位的なものが大半だし、どこかで聞いたことがある話ばかり。実際、話の発端となるような出来事はあったのかもしれませんが、人づてに伝播していくにつれ、さまざまな「尾ひれ」がついていく。
その「尾ひれ」とは、大概、以前よりあちこちで語られていた怪異譚がほとんどで、こうして各地の怪談話は、地方色を留めながらも画一化の方向に進んでいくわけです。
この傾向は被災地でも変わりません。各被災地に似たような話が伝わっていることが多いようです。
その一つとして、よくあるのが「タクシー怪談」の類です。
流しで拾った客が、いつの間にか消えていた、というパターンですね。被災地の場合の特色としては、乗せた客が、「自分は生きているのか死んでいるのかわからない」と言って、津波で壊滅した場所を目的地に告げる、といったパターンがあるようです。
ありがちな怪談話、なにやら不謹慎な感じすらして、あまり気持ちの良いものではありません。
しかし中には、こんな話も伝わっています。
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仙台市内を流していたタクシーが、街中で一人の客を乗せます。
客が告げた目的地は、閖上(ゆりあげ)の港近く。閖上は東日本大震災の津波によって、町のほとんどが壊滅しています。
運転手さんは不信に思いつつも、その目的地へ向かいました。
行く途中でバックミラーを見ると、乗せたはずの客が消えていました。それでも運転手さんは、そのまま告げられた目的地へと向かいました。
目的地につき、運転手さんは誰もいない後部座席のドアを開けると、誰もいない空間に向かって、静かに語りかけました。
「ご苦労様でした」
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この話のどこまでが本当なのか、分かりません。この話もまた、人づてに伝わるうちに「尾ひれ」がついていったものかもしれない。
でも、このような「尾ひれ」がつくなんて、なんだかとても「素敵」だな、と私は思う。
「ご苦労様でした」この一言に、被災地に暮らす方々の、亡くなられた方々へのありとあらゆる「心情」が込められている気がします。
縁あって「生かされた」人々の、亡くなられた方々に対する、語りつくせぬ「思い」そのすべてを、この一言に込めて、運転手さんは代弁したのでしょう。
「ご苦労様でした」と。
この話が本当か嘘かなんて、どうでもいいことです。こういう話が伝えられていること、そのこと自体に意味がある。
これは「鎮魂」の怪談です。
東北人って、日本人って
素敵だね。