震災後、陸前高田市内の海沿いを走る国道45号線。すべてが波に攫われ、なにもない中ポツンと立っていた、ガソリンスタンドの看板がありました。
高田の街を訪れる度、モニュメントのように立つこの看板がとても印象的でした。何もない中、一つだけポツンと立ち続けていることで、逆に津波の凄まじさを象徴している、そんな看板でした。
この度、土地のかさ上げ工事に伴い、この看板が撤去されすました。2キロほど離れた場所に新たに建てられるスタンドの看板として移転するのだそうです。
あちこち傷ついた、震災の爪痕生生しいあの看板をそのまま使うのでしょうか。場所は移転しても、震災のモニュメントとしての役割を果たし続ける。
後世に伝え続けるために。
町の様相は変わり、少しずつですが復興は着実に前へ進んでいるようです。
あれからもう、7年……。
外国人農業実習生がいるので、海外から見たときはどうだったのかと聞くと、日本のニュースでは編集されていましたが、海外では人が津波にのまれてる映像がニュースにそのまま流れていたとか。それを見て、実習生の親が大使館に電話して子供を国に帰して、とかパニックだったとか。
本当は体験した人達には、私達が思うより壮絶なこと、一生忘れちゃいけない出来事。
大船渡だったか、津波が街中を上がってくる映像のなかに、父親の姿を発見した方がいたそうです。父親は走り疲れて坂をゆっくりと歩いて上っており、その後ろから波が凄い勢いでせまってくる……。そんな父の姿を見た方は、映像を撮影した方に対し「父の最後の姿を見ることができました。ありがとうございました」と、礼を述べたそうです。なんていったら良いのか……ただただ胸が詰まります。
せめて我々は、忘れずにいたいと思います。