上州無宿の渡世人、紋次郎。
人との関わりを避け、困っている人がいても、基本、助けることはしない。例え女が犯されていようと、例え死体を見つけようと、「あっしには関わりのねえこって」と通り過ぎていく。
人呼んで『木枯し紋次郎』
幼いころに親に間引きされそうになった経験から、人の情というものを信じることができない。それ故に他人との関わりを拒絶し続ける紋次郎さん。「人様の言うことは信じねえことにしておりやす」「あっしには人との繋がりはござんせん」と嘯く紋次郎さん。
そんな紋次郎さんに関わろうと、執拗に寄ってくる者たちがいる。
大概は腹に一物ある者たちばかり。そうして紋次郎さんは、人の世の穢さ、哀しさばかりを見ることになる。
こんなエピソードがあります。紋次郎さんが旅先で出会った母と子。母親(北林谷栄)は、生きるために自分の息子(寺田農)に「寄生」し、息子を意のままに操るため、息子と駆け落ちしようとした女性を縊り殺し、その罪を紋次郎さんになすりつけようとします。
鬼の形相で紋次郎を睨みつける母親に、紋次郎さんのセリフ
「やはりこの世に、おふくろなんてえもんは、おりやせんでした」
もう一つ、何日も飯が食えず、倒れそうになっていた紋次郎さんに、一杯の粥を恵んでくれた、お熊婆さん。
このお熊さんはホントに良い人で、この土地の親分はいい人だから、草鞋を脱ぐように勧めます。しかし、どこの親分さんの下にも草鞋を脱がないと決めている紋次郎さんはこれを断ります。
「良い親分さんなんだけどねえ」と、残念そうなお熊婆さん。
しかしお熊さんは、その親分の手下どもに間違って斬り殺されてしまう。
その手下どもを斬り、用心棒をも斬った後の、紋次郎さんのセリフ。
「お熊さん、世の中なんてこんなものでござんしょう」
私が『木枯し紋次郎』のドラマで特に印象に残っているシーン。それは食事のシーンです。
飯に汁をぶっかけ、おかずやら漬物やらも全部ぶっこんで、いわゆる「ねこまんま」状態にして一気に掻き込む。食べるというより「飲む」といった勢いで腹に入れてしまう。
子供の頃から満足な食事にありつけず、だから誰にも食べ物を盗られないように、そんな食べ方をするようになったとか。
紋次郎さんが持つ、他者への不審と拒絶。そして孤独。
紋次郎さんの生き方を象徴している、そんな食事シーンのように思えます。
そんな、乾ききった心の紋次郎さんですが、いつかそんな心を潤す「水辺」にたどり着ける日が来るのだろうか?紋次郎さんならおそらくこう言うでしょう。
「そんなもの、ほんとにありやしょうか?おそらくはござんせんでしょう、あればいいとは思いやすが…あっしはそんなもの、はなから信じちゃおりやせん」
木枯し紋次郎。
哀しき男。
『紋次郎喰い』
【木枯し紋次郎、上州新田郷三日月村の、貧しい農家に生まれたという。
10歳で故郷を捨て、その後一家は離散したと伝えられる。
天涯孤独の紋次郎、何故、無宿渡世の世界に入ったかは
定かでない。】
ナレーション:芥川隆行
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