セリフじゃなくて歌詞ですけどね(笑)
チューリップの名曲『虹とスニーカーの頃』。一定の世代にとっては余りに有名な曲です。
この歌詞に、青春の痛みや甘酸っぱさを思い出す方は多いでしょう。あるいは、「女の罪~♪」の部分に「男尊女卑だ!」と声を荒らげる方もおられるかも知れません。
この歌詞の真意は一体奈辺にあるのか。それは聴いた人の数だけ解釈があればいいことではありますが、一応、私なりの考察を示してみたい。
ではこの曲の要、サビの部分の歌詞を見てみましょう。
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わがままは男の罪 それを赦さないのは女の罪
若かった なにもかもが
あのスニーカーは もう捨てたかい
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御覧のとおりの一目瞭然。冒頭の「男の罪~……女の罪~」云々は次の段の歌詞である
「若かった なにもかもが」
に、すべてかかっているということですね。
ハイ、これが答えです。以上!
……って、おいおい(笑)
つまりさ、罪云々と歌っているけれども、これは男が悪いとか女が悪いとか、そんな「つまんない」ことを歌ってるんじゃないってことですよ。ただ二人は、とにかく二人は、
「若かった」
ということなんです。
若さ故に突っ走り、若さ故に相手を赦せず、だから
若さ故に別れた。
それを詞的に表したのが
「罪」
という言葉だった。
この場合の「罪」というのは、法制上の罪でもなければ道義上の罪でもない。人としての未熟さというものを、「罪」という言葉を使って表したのであって、ここに「男尊女卑」などというつまらない観念はそもそも存在しないのです。
ですからべつに、わがままは女の罪でもいいわけだし、それを赦さないのは男の罪でもいいわけですよ。ただ一般的に言って男の方が幼くて勝手気ままであり、一般的に女の方が大人で潔癖で真面目だという「一般論」的見地から、より多くの人たち、具体的にはチューリップと同じ「団塊の世代」にとって、青春のイメージを共感しやすい歌詞ということで、このようなかたちになったのだと思われ、つまりは
ある程度齢をとらなきゃ、わからん歌詞だ、ということでしょう。
この歌は、中年期や壮年期を迎えた方々が、かつて味わった青春の苦い味を思い返している。そういう歌なのです。だからそこまで考えたうえで、この歌詞の意味を読みとらなければなりません。
「未熟」ということでいえば、これは男女間のことに関わらず、より広く人間関係一般にも当てはまりますね。
友人関係、家族・親戚、仕事関係その他その他。お互いがお互いを
「あいつが悪い!あいつに罪がある!」
と思いあっている限り、お互い「未熟」である、といえる面は多々ある
かも、知れませんよ。
そういう意味では人間なんてえのは、いつまでたっても
「未熟」ですねえ。
ところで、私が初めてこの歌を聴いたのは10代も終わりの頃でしたか。この歌詞を聴いてどう思ったかというと
「へ~、女の人は男のわがままを赦さなきゃダメなんだ~。へ~」
と、素直に信じてしまいました。
無垢(?)なる少年にとっては、まったくもって「罪」な歌詞でありましたねえ……。
おあとがよろしいようで。
私も子供だったから「そうかぁ、女が許さなきゃだめなのか~」って素直に思ってた。笑
でも今あらためて歌詞読むと、「あのスニーカーはもう捨てたかい?」に泣けるね。
誰しもが「あの○○はもう…」って思い出せる…。
大道さんの○○はなあに? 笑
私はねー、「カセットテープ」かな~。(^O^)
CMで有名曲ですよね~。
https://www.youtube.com/watch?v=BWsQLh3wkvo
このCMの御蔭(?)で、兄者の思いは当時の若い人には伝わってたと思いますよ~。
兄者は恋愛と政治については語らない☆と昔はおっしゃってたのに、最近は心境変化されたのですね~☆
私はなんだろう?う~ん。そういえば貸した傘が帰ってこない、なんてことがあったかなあ。
つまんね~(笑)
恋愛ネタ政治ネタは、これからも中心に据えるつもりはないです。掠めたり削ったり、ちょっと乗っかったりすることはあるかもしれませんけどね。それはその時の流れってことで。