「火付盗賊改方」とは、江戸市中に横行する凶悪な武装強盗団を捕縛、制圧するために、徳川幕府が設置したいわば「特別警察軍」とでもいうべき機関であり、奉行所とはまったくの別物です。
奉行所は「役人」とも云われるように基本的には「役方」つまり文官なのに対し、火付盗賊改方(以後「火盗改」)は完全なる「番方」つまり武官なんです。
火盗改は徳川将軍をお守りし、戦役の際には先頭を切って敵に突撃する、将軍直属の軍団のなかの精鋭部隊である「御先手組」が兼任していた役職でした。
御先手組は弓組と筒組(鉄砲組)から構成され、各組には組頭が1騎、与力が5騎から10騎、同心が30人から50人。普段は江戸城の各門の警固や、将軍外出の際の警固などを担当しつつ、火盗改を兼任していたんですね。
将軍家に仕える武官のなかでもエリート中のエリートであり、常日頃から武術の鍛錬を欠かさない。凶悪犯を相手にするのに、これほどうってつけの人材はなかったわけです。
彼ら火盗改には、お役所である奉行所のような煩雑な手続きは必要なく、盗賊が出たとの知らせがあれば、お頭の下知一つで直ちに出動できる、特別な機動性を与えられていました。
基本、軍団ですから、賊への対処の仕方は非常に荒っぽく、その場で斬り捨ててしまうこともしばしばでした。
また、怪しい奴は誰彼構わず捕まえてもいいという権限も与えられており、それがために冤罪なども多発したらしい。ですから江戸市民には大変評判が悪く、乱暴者として恐れられ嫌われていました。
このため時代劇では、彼ら火盗改は悪役として登場することが多い。奉行所の定廻同心は市民に人気の花形で、火盗改は悪者という図式ですね。
『鬼平犯科帳』のように、火盗改がヒーローとして登場する時代劇はとても珍しいんですね。鬼平さんの御蔭で、火盗改のイメージは随分と改善されたといっていい。
まあそれだけ、長谷川平蔵宣似というお方が、良い仕事をしていたということでしょう。
いずれにしろ、です。
火盗改が凶悪な盗賊たちを一手に引き受けてくれた御蔭で、奉行所が随分と助けられたことは確かです。機動性もなく武力もさほどに強くない「お役人」たる奉行所では、武装強盗団、凶悪な賊の群れに的確に対処し制圧することは不可能です。
功罪両面あるにせよ、火盗改は江戸市中の治安維持には不可欠の存在でした。
奉行所からすれば火盗改様様ですよ。いや、ホント。
さて、私のいう「それだけじゃない」ということには、これ、火盗改のこともありますが、
「これ」だけでも、ないんですよねえ。
と、いうわけで
つづく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/67/d60e3b611112ce6611b5b1e403a4597e.jpg)
「火付盗賊改方、長谷川平蔵である!盗賊ども!神妙に縛に着けい!」
バットマンがいたんでしょう〜?
\(^o^)/
なるほど、少なからずそもあるでしょうね。
大型台風、怖かったです…:(;゙゚'ω゚'):