日本人は森の一部を「殺し」、一部は「生かし」ながら、絶妙なバランスのもとに森とつきあってきました。
このバランスが崩れるときは、大概人間側の欲望や慢心によるものであり、崩されたバランスのツケは、災害というかたちで人間側に帰ってきた。
人々はこれを、「祟り」と呼んだのでしょう。
さて、
農業は自然を管理し、ある程度人間の都合の良いように環境を変化させていくものでもあります。
それの伴う物質文明の発展により、にんげんは益々自然を「管理」「支配」するようになっていきます。このような状況を続けていれば、そのうち人間は、「自然よりも人間の方が上」「人間は自然を支配することができる」と思うようになるでしょう。
事実、西洋では「人間は神から自然を支配する権利を与えられた」との考えは、信仰の域にまで達していたようです。
しかし日本では、そうならなかった。
稲作は大量の水を必要とします。その水はどこからくるのか。
それは山からです。
冬の間に降り積もった雪が、春には溶けて大量の水となって里に流れてくる。
その山よりもたらされた水の恵みをもとに、人々は稲を育てました。
山=森からの恵みがなければ、稲は育たない。稲だけではない、その他の作物もそうだし、そもそも水がなければ、人間も他の動物も生きていくことはできない。
山からの恵み、森からの恵みによって、生かされている。
日本人は太古と変わらず、山に、森に、畏敬の念を持ったことでしょう。
ところで、日本人は八百万の神ともいわれるように、神羅万象あらゆるところに神がおわすと考えましたから、当然田んぼにも神がおわすと考えました。
田の神については、地域によってそのあり方に若干の異同はあるのですが、一般的に田の神とは、冬の間は山におられて、春の雪解けとともに里に下るとされていたようです。
雪解けとともに、山からの恵み、森からの恵みをもって里に下り、田に降臨するわけです。
田の神というのは、つまりは山の神、森の神なんですね。
人々は耕作地を広げ、物質文明を支えるために、多くの森を伐採しました。しかしだからといって、必ずしも森の神をないがしろにしたわけではなかった。
日本人は基本的には、山=森に対する畏敬の念を失うことはなかったのです。
かつて森におられた神は、さらに奥の山へと帰られた。しかし今度は田の神となって再び下りてきて、太古と変わらず人々に恵みを与え続けてきたのです。
人々は田の神=森の神に感謝し、森の神=田の神は、益々人々に恵みを与え続ける。
森の神と人々との関係は、その文化の基本が狩猟採取から農耕に転換されても、基本的に変わることがなかったんですね。
なんと麗しい、人と神との関係か。
奇跡ですね、これは。
さて、もう少し
話を続けようかな。!(^^)!