風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

モノノフ死して名を遺す…か。

2014-10-05 18:36:29 | つぶやき




武士は死して名を遺す。虎は死して皮を遺す。

なんてことを云いますね。



【武士道とは死ぬことと見つけたり】などともいい、「死に狂い」なんて言葉もあり。

「死に場所を求める」だとか、とかく武士は死ぬことに拘るようです。



しかし死ぬためにはまず生きなきゃなりませんな。

善く「死ぬ」ためには、善く「生きる」こと、「死に狂い」には「生き狂い」が必須です。

「死に場所」を見つけるにはまず、「生きる場所」を見つけなければなりません。



生きることを想うなら、死を想わねばならず、死を想うなら生を想わねばならず。

およそ死の無いところに生は無く、生無きところに死もまた無い。

生と死、それはコインの裏と表のようなもの、表裏一体にして不可分。



日頃死を忘れている者は、生を忘れているのと同義。所詮ロクな生き方ではない。

人はいつか必ず死ぬ。どうせなら善く死にたいよね。

ならば善く生きることだ。



【武士道とは死ぬことと見つけたり】とはつまり、【武士道とは生きることと見つけたり】と同義。

武士道とは、善く生きるための道なのだね。

死ぬことばかりに執着し、生きる努力をしないのは、武士道にあらずということ、か…。







ミツバチは天敵のスズメバチを殺すため、何十匹という集団でスズメバチの身体に覆い被さり、高温を発してスズメバチを焼き殺すとか。

もちろん、そのミツバチの集団も死んでしまいます。



ミツバチが己の命を賭して守ろうとしたもの、それは自分達の巣であり、

自分達の「種」です。



種を守るとは、つまりはDNA、遺伝子を守るという事でしょう。

遺伝子には、種が代々伝えてきた、「生きてきた」証しが刻み込まれています。


ほとんどの生物は、「種」を残し、後代に伝えていくため“だけ”に、己の生を使い果たします。

この世で生きるという事は本来、次世代に命を伝えていくということ、なのかもしれない。

それが済んだら、本来もう用は無いのだ。

人間だけが、それ以外の「試練」を負わされ、生かされているのか……。

そういう意味では、人とはやはり、

「特別」なのだな。







哲学者の梅原猛氏は、DNA,遺伝子こそが「輪廻転生」の証しであるといいます。

個々の命はやがて尽きる。しかし大いなる「命」の流れは遺伝子へ刻み込まれ、次世代へと伝えられていく。

武士とは、もののふとは、この「大いなる流れ」を守るために

戦うのだな。




「大いなる流れ」を守るためには、まずは個々の命が、善く生きねばなりません。

さすれば、いざというとき、

善く死ねましょう。




かつての日本人は善く生き、善く死んだ。

そして、名を遺した。いや、名を遺さなかった方々もいるでしょう。



その名を、そのすべての命を讃えよう。

大いなる命の流れを、止めないために。



私たちが善く生き、

善く死ぬために。





              
               あんべ光俊with臼澤みさき 「遠野物語」




ももクロが来ると思った?(笑)


およそ40年前の曲を、その曲を作った本人と、今の若い子がコラボすることの意味。

これもまた、一つの「命」の継承かも知れません。



この子達が、笑って過ごせる時代へと、繋げていきたいものです……。