風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

有安杏果研究序説 その2~「ももいろクローバー」から「ももいろクローバーZ」へ

2014-10-24 22:35:42 | ももクロ




                   



2008年11月、有安杏果(以下、杏果)はスターダスト・プロモーションに移籍します。

移籍後、アイドル・ユニット「POWER AGE」(P-A)のメンバーに選ばれますが、P-Aは10人の大所帯で、全メンバーが揃って活動することが一度もないまま、翌2009年5月に解散してしまいます。



その頃、2008年に結成された「ももいろクローバー」は、複雑なメンバーの変遷を経ながら、地道に路上ライヴ等を続けていました。2009年頃までにはメンバーも固定化していたようです。

百田夏菜子、玉井詩織、早見あかり、佐々木彩夏、高城れにの5人による「ももいろクローバー」(以後、ももクロ)は、夏休みには川上アキラマネージャーの運転する車で車中泊をしながら、全国のヤマダ電器を回るツアーを行うなど、苛酷で地道な活動が功を奏し、2009年の夏に、インディーズ・レーベルからシングルCDを発売することが決定していました。

レコーディングも終わり、発売を待つばかりでしたが、この5人のままでは今一つ弱いと感じていた川上マネージャーは、歌もダンスもイケている子がいるとの話を聞きつけ、さっそくその子に面会、ももクロへの加入を打診します。

その子こそ、有安杏果でした。



すでに「空気」が出来上がっている中に、新たに入って行くことは、結構緊張を強いられることだと思います。

「ももクロのメンバーは今と変わらず、暖かく迎えてくれて、有難かった」と杏果は語っています。そこに嘘はないでしょう。ただ、杏果の側に、後から入ったということに関して、なにか負い目というか、拘りのようなものが心の中に出来上がっていたのかも知れません。

その話は後日。





杏果の加入がファンの前で正式発表されたのは、2009年7月26日。本当はその頃までに、デビュー・シングル、「ももいろパンチ」が発売されているはずでした。しかしトラブルが発生し、シングル発売は8月5日に延期されていたのです。

デビュー・シングル発売前の突然の新メンバー発表に、一部のファンが納得せず、ライヴ後の握手会で杏果との握手を拒否したり、川上マネージャーがファンに取り囲まれるなどのことがあったようです。

当時のももクロファンは、地道に路上で活動している頃から、ももクロがまったく無名だったころから応援し続けてきた筋金入りのファンが多く、「俺たちが応援し続けたこの5人に、なんで今更新メンバーなんか入れるんだ?それも待望のデビュー・シングル発売直前に!?」という気持ちだったのでしょう。

川上マネージャーは、杏果の加入はももクロにとって絶対プラスになるから信じてくれと、そう言うしかなかったでしょう。

見ていれば絶対納得できるからと。

事実、同年11月に、メジャー・レーベルに移籍して発売されたセカンド・シングル、「未来へススメ!」発売後の握手会では、かつて杏果との握手を拒否したファンが集まり、「ももクロに入ってくれてありがとう」と感謝されたのです。杏果は号泣しました。

色々曲折はあったものの、杏果の実力が筋金入りのファン(当時は「モノノフ」という言葉はありません)をも納得させたのです。





ももいろパンチ

杏果がいませんね。曲もその辺の凡百のアイドルの曲とあまり変わらないような印象を受けます。後年のももクロらしさは、少なくとも私にはほとんど感じられません。
このままでは、一生注目することは無かったかも。






未来へススメ!

能をイメージした振付を用いるなど、面白みはあるものの、やはり定石通りのアイドル・ソングという感じ。ももクロらしさにはまだ遠い。あともう一歩か。





そして2010年5月、歴史的名曲と言って過言ではない、「行くぜっ!怪盗少女」が発表されます。


行くぜっ!怪盗少女

トリッキーだけれども、全体的にはポップで受け入れられやすい。随所にアクロバットを取り入れた独特のパフォーマンスもこの曲から始まりました。
ももクロのイメージ、方向性を決定付けた曲といって良いでしょう。


このPVに、杏果は複雑な思いを抱いてしまいます。

「私の出番が少ない…」

同じ思いを高城れにも抱いたようで、この件をきっかけに二人は意気投合し、頻繁に連絡しあい、励まし合うようになります。

後にユニット「事務所に推され隊」を結成する二人ですが、その萌芽は、この時からすでにあったのですねえ。

それにしても、そんなに出番が少ないですかね?私が見る分には、お二人とも結構目立っているように思うのですが。

やはり御本人でなければわからない、思い入れがあるのでしょう。

しかし、高城れにはももクロ結成時からの言わば生え抜きです。後から入った自分とはやはり違う…。

杏果の中に、無意識の内にそのような想いがあったかも知れません。

私の想像ですが、杏果は気が付かぬうちに、自分で自分をある種の孤立感、疎外感で染め上げようと仕かけてけていたのかもしれません。

その話は、また後日。






ピンキージョーンズ

インド音階からケチャに至るまで、それはカオスのようで有りながら絶妙なバランスに彩られた稀有な曲。曲とパフォーマンスの激しさは前作「怪盗少女」をも凌ぐ。





ミライボウル

唐突に曲調が変化するところに、思わず「IRON MAIDEN かっ!」とツッコミを入れてしまった(笑)ももクロのメタル趣味はこの時からすでにあったのね……とは、私の勝手な想像ですが(笑)








東日本大震災の記憶も生々しい、2011年4月。

ももクロの精神的支柱でもあったサブリーダー、早見あかりが脱退します。

自分自身の「アイドルとしての資質」を鑑み、夢であった女優への道を歩むため。



これを契機として、「ももいろクローバー」は、「ももいろクローバーZ」へと改名します。

ももクロの快進撃の始まりです。





                  
                    逆ももかくど


つづくでありやす。








参考資料
「クイックジャパンVOL116有安杏果特集」
「クイックジャパン特別編集 ももいろクローバーZ特集号」
「川上アキラ著『ももクロ流~5人に教えたこと 5人から教わったこと~』」
「ももクロペディア私家版http://momoiro-clover.ldblog.jp/archives/22660852.html」