風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

妖怪に用かい?

2014-10-01 19:59:23 | 雑論









                        



いつの時代も、妖怪は子供達に人気があります。



日本の妖怪というのは、庶民的といいますか、親しみやすいといいますか、悪さもしますが必ずしも人間の敵というわけではありません。

これに比べて西洋の妖怪はほぼ例外なく人間の敵です。これはやはり宗教観、自然観の違いなのでしょうね。

そういう意味では、日本では「妖怪」と「精霊」の区別はあまりない、といえましょう。



日本人はこの世の森羅万象すべてに魂が宿ると考えます。それは本来人間中心的だった仏教をも変質させ、「山川草木悉皆有仏性」という、日本の仏教独特の概念を生み出します。

怪異もまた、森羅万象の中の命の「あらわれ」と捉えた。



ところで、怪異というのは、その場にいた人間が「怪異」だと認識しない限り、「怪異」とは成り得ません。

「怪異」を「怪異」と認識することで、初めて「怪異」は「怪異」と成り得る。「怪異」と認識しなければ「怪異」は「怪異」ではない。なにかの自然現象、で終わってしまいます。

妖怪というのは基本、姿が見えないものでしょう。某漫画家の方が描く妖怪の姿は、その方の「頭の中」で形成されたものです。本当にあのような姿をしているわけではない。

自分の身の回りに起こった出来事をどのように捉えるのか。その想像力、いや想像と言って悪ければ感知力とでも言いましょうか。そうした「個人的」な感覚が、妖怪の存否を分けると言っていいのかも知れない。

妖怪とは、「人の心が生み出すもの」

縁がない人には、まったく縁がない。






そうした「人の心が生んだ妖怪」に特化し、自らの音楽性を

【妖怪ヘヴィ・メタル】

と呼んだバンドがおります。

「陰陽座」です。




                       
                           黒猫




【妖怪ヘヴィ・メタル】と銘打ちながら、彼らの曲には、妖怪そのものをタイトルにした曲が意外に少ない。

彼らが歌うのは、人の心。

陰と陽とが入り混じる、人の心の相克。

そして慟哭。


だから、「陰陽座」なのでしょう。

妖怪もまた、そんな人の心の陰陽が生み出したもの。

妖怪とは、人の心を映した鏡なのだ。

その感覚はおそらく

正しい。




                        
                           瞬火






陰陽座 「青天の三日月」



                      
                       陰陽座 「雲は龍に舞い、風は鳳に歌う」




妖怪を見たければ、己の心の内を見ればいい。

妖怪は“そこ”にいますよ。

でもそこにいるのは妖怪だけじゃない。

「神」もおられる。



どちらに会いたいですか?えっ?どっちも?

そりゃあんさん、贅沢でっせ!

どうにかなっても、



知らんで……。