風の向くまま薫るまま

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時代劇の灯は本当に消えてしまうのか? ~春日太一著「なぜ時代劇は滅びるのか」を読んで~

2014-10-08 14:22:41 | 
 



                      





我が意を得たり、とはこのことです。


時代劇が何故これほどまでに衰退してしまったのか。時代劇は現在でも年数本単位で制作されており、高い評価を得る作品も無いわけではない。

しかしそれは、個々の作品としての評価、いわば点であり、面的な意味での時代劇全体の隆盛には繋がっていません。

ジャンルというものは、作られ続けなければ「継承」されていきません。これまで積み上げられてきたきた時代劇の様々なノウハウが途絶えてしまう。非常にもったないことです。

時代劇は危機的な状況に陥っている。なぜそうなってしまったのか?私も色々と考えてきました。

この本は、そんな私の取り留めない考えを見事にまとめてくれ、さらに深化させてくれました。

我が意を得たり、とはまさにこのことです。





                






時代劇というと、「水戸黄門」に代表されるような、勧善懲悪のパターン化されたドラマ展開で、複雑なドラマを好まないお年寄りが観るもの、というイメージが強いです。

しかし、少なくとも私が子供の頃、70年代頃の時代劇はそうではありませんでした。

「必殺シリーズ」や「木枯らし紋次郎」「子連れ狼」など、毎回のドラマが非常に濃密で、1時間が長く感じられたものです。大人になってから再放送で拝見して痛感しましたね。

「この頃の時代劇はなんて“深い”んだろう」と。

それが時代の流れとともに変わって行きます。テレビ局や制作会社サイドの経済的事情や、「水戸黄門」が大当たりしてしまったことで、右へ倣えで同パターンを繰り返す時代劇ばかりが量産されるようになっていく。

手っ取り早く視聴率を稼ぐため、「水戸黄門」に倣ってわかりやすい同様のパターンを繰り返すばかりになっていったわけです。

これが結果的に時代劇のドラマとしての質的低下を招きます。感受性の高い若者たちはもっとドラマ性の高い、刺激のあるイマドキのドラマへ流れ、それによる視聴率の低下は製作本数を激減させ、製作費は削られ、それがより作品の劣化を招き、視聴率低迷に拍車をかける。

まさに悪循環です。

70年代頃の時代劇は、当時の若い人たちの心を捕えるだけのドラマ性を持っていました。日常の顔と殺し屋としての非日常の二つの顔を持つ男達を描いた「必殺シリーズ」は、その濃淡の深いドラマで、若者達の支持を集めていたのです。

それが80年代の「必殺仕事人」で、三田村邦彦演じる「錺職人の秀」がアイドル的な人気を得たあたりから変質していきます。

まあ、秀さんばかりのせいとも言えません。時代の流れもあって、必殺はかつての深いドラマ性は蔭を潜めていき、毎週毎週同様のパターンを繰り返す「殺人ショー」へと変質していきました。

それでも、光と影を使ったスタイリッシュな映像はまだ健在でした。むしろパターン化が進んでからの方が、殺しのシーンの映像美は巧緻を極めたと言って良い。

しかし2000年以降の「必殺」は、演技の基礎も出来ていないような「人気者」達ばかりが跋扈する、およそ中身のない空疎なドラマに成り果ててしまった。

最近の「必殺」を私は観ません。少し目にしただけで、怒りと空虚感が湧き上がってきて、なんとも居たたまれない気持ちになる。

「時代劇」が演じられない役者。「時代劇」が演出できない監督。「時代劇」を知らない、作る意欲のないプロデューサー。

時代劇はまさに、風前の灯なのです。




この著者が語るように、時代劇とはいわば「ファンタジー」です。

ファンタジーを嘘くさくなく表現するためには、それなりの説得力をもった表現、演技力が必要になります。

しかし最近の「タレント」はそうした演技の基礎をしっかりと身に着けないまま、「自然体」と称したヘタクソな演技を平気で披露する輩が多い。

現代劇ではそれでもなんとか誤魔化しは効くでしょう。しかし時代劇ではそのような自然体は、ファンタジーを嘘くさく見せてしまう元凶となります。

嘘を嘘に見せないためには、しっかりとした基礎が必要です。しかし最近の若い「タレント」は、そうした基礎を身に着ける暇もないまま現場へと出されてしまう。それに抑々時代劇に興味のない若者が多いわけですから、益々時代劇の演じられない若手が増える。


時代劇には、しっかりとした演技力の他、所作や殺陣等、身に着なければならないことが多い。今の若手には、それを身に着けるだけの時間も機会もない。これでは益々、時代劇は盛り下がって行くだけでしょう。



今や時代劇と言えば役所広司。役所広司といえば時代劇というくらい、時代劇に欠かせない俳優となった役所広司さんですが、若い頃は正直ひどかった(笑)

「三匹が斬る!」に出ていた頃の役所さんは、所作はいい加減だし殺陣はドヘタだし、私はこの人にだけは時代劇をやらせたくないと、本気で思ったものです。

それが今ではどうでしょう。これは御本人の日々の研鑚、努力の賜物に他なりませんね。

今、これほどの研鑚、努力を重ねている役者がどれほどいるでしょう?いるとすれば岡田准一くらいか。他には思いつきませんね。

「るろうに剣心」は確かに素晴らしい作品です。しかしあれは、るろ剣だからこそのもの、あの原作があって、あのスタッフ、キャストがあって、あの監督だったればこそのもの。すべての時代劇にあれを求めるのは筋違いというものです。

るろ剣はあくまで点です。決して面たりえない。

時代劇の危機的状況は、何も変わらない。

益々ひどくなるばかり。




                    






「水戸黄門」の大当たりが、時代劇の落ち込みに拍車をかけ、結果的に「水戸黄門」自体の首を絞める結果となった皮肉。



時代劇は日本人の心、日本の文化、伝統を後世につたえて行く上で格好のエンターテインメント、格好のメディアです。


なんとか、その命脈を残して行きたいものですが。

なんとか成りませんかねえ……。







                






『なぜ時代劇は滅びるのか』
春日太一著
新潮新書