いつの時代も、妖怪は子供達に人気があります。
日本の妖怪というのは、庶民的といいますか、親しみやすいといいますか、悪さもしますが必ずしも人間の敵というわけではありません。
これに比べて西洋の妖怪はほぼ例外なく人間の敵です。これはやはり宗教観、自然観の違いなのでしょうね。
そういう意味では、日本では「妖怪」と「精霊」の区別はあまりない、といえましょう。
日本人はこの世の森羅万象すべてに魂が宿ると考えます。それは本来人間中心的だった仏教をも変質させ、「山川草木悉皆有仏性」という、日本の仏教独特の概念を生み出します。
怪異もまた、森羅万象の中の命の「あらわれ」と捉えた。
ところで、怪異というのは、その場にいた人間が「怪異」だと認識しない限り、「怪異」とは成り得ません。
「怪異」を「怪異」と認識することで、初めて「怪異」は「怪異」と成り得る。「怪異」と認識しなければ「怪異」は「怪異」ではない。なにかの自然現象、で終わってしまいます。
妖怪というのは基本、姿が見えないものでしょう。某漫画家の方が描く妖怪の姿は、その方の「頭の中」で形成されたものです。本当にあのような姿をしているわけではない。
自分の身の回りに起こった出来事をどのように捉えるのか。その想像力、いや想像と言って悪ければ感知力とでも言いましょうか。そうした「個人的」な感覚が、妖怪の存否を分けると言っていいのかも知れない。
妖怪とは、「人の心が生み出すもの」
縁がない人には、まったく縁がない。
そうした「人の心が生んだ妖怪」に特化し、自らの音楽性を
【妖怪ヘヴィ・メタル】
と呼んだバンドがおります。
「陰陽座」です。
黒猫
【妖怪ヘヴィ・メタル】と銘打ちながら、彼らの曲には、妖怪そのものをタイトルにした曲が意外に少ない。
彼らが歌うのは、人の心。
陰と陽とが入り混じる、人の心の相克。
そして慟哭。
だから、「陰陽座」なのでしょう。
妖怪もまた、そんな人の心の陰陽が生み出したもの。
妖怪とは、人の心を映した鏡なのだ。
その感覚はおそらく
正しい。
瞬火
陰陽座 「青天の三日月」
陰陽座 「雲は龍に舞い、風は鳳に歌う」
妖怪を見たければ、己の心の内を見ればいい。
妖怪は“そこ”にいますよ。
でもそこにいるのは妖怪だけじゃない。
「神」もおられる。
どちらに会いたいですか?えっ?どっちも?
そりゃあんさん、贅沢でっせ!
どうにかなっても、
知らんで……。
わお~ん…!!!!♪