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黄金の國【平泉編】~6~毛越寺浄土庭園

2013-08-02 22:25:34 | 黄金の國


                   
                     毛越寺金堂(平成元年落慶)


日本人にとって、浄土とはなんなのか。

浄土とはどんな姿をしているのか。

それを表現したのが、浄土庭園です。

浄土庭園とは、日本人が最も好む「理想郷」の世界を、庭というかたちで表現したもの、と言っていいのかも知れません。

もちろんそれには元ネタがあって、「大無量寿経」という経文に、浄土の姿が描かれているらしいのですが、それを基にして、はじめは中国あたりで作られ始めたようです。それが日本にも入ってきた。

日本に入ってきてから、浄土庭園は日本風に変化します。中でも際立って変化したのが、苑池の形状でした。

日本以前の苑池は、人工的な方形に作られていたんです。これが日本に入ってくると、もっと自然な形に変化していく。どうやら日本人は人工的な方形の池に違和感を抱いたようですね。

経典に記された浄土の池は、七宝に荘厳された四角形の池、人口の池なんです。東南アジアでも中国でも、それに倣ってその通りのものを造ろうとした。しかし日本では違いました。
日本人はもっと「自然美」を浄土に求めた。それは、日本独特の自然観、森羅万象隅々にまで命が満ち満ちた大自然こそが、日本人にとって最も浄土に相応しい光景だったということでしょう。


                    
                      毛越寺大泉ヶ池


池には「遣水(やりみず)」といって、川に見立てた水の流れが濯いでいます。これは池を海に見立てているわけですね。


                                                                   
       


         遣水



                                
                                  築山


                                      
                                         砂州



現在、毛越寺の本堂は池の南側にありますが、これは明治時代末期頃に現在の位置に建立されました。奥州藤原氏時代には、池の北向こう、塔山の麓に「円隆寺」と呼ばれる金堂が建っていました。
毛越寺の伽藍は鎌倉時代に焼失しており、この円隆寺も今は跡地を残すのみです。かつては、現在の本堂と池の間に南大門があり、南大門を潜ると目の前に大泉ヶ池が広がり、池の向こうには金堂円隆寺。さらにその後ろには塔山という小高い丘が聳える。
東に目を転ずれば、北上川の向こうに束稲山、観音山といった山々が連なる風景。
こうした山々を借景として、日本人の求めた浄土を表現したのが、毛越寺浄土庭園なのです。

                        
                           金堂円隆寺跡



平泉には浄土庭園がたくさんありました。中尊寺にも、金色堂の裏側に、現在はなくなっていますが、苑池の遺構が発見され、現在も発掘調査が行われています。

三代・秀衡は、金鶏山の東側に無量光院という阿弥陀堂を建てており(焼失)ここにも大きな苑池があった。平等院鳳凰堂を模したといわれる無量光院の苑池には夕方ともなると、金鶏山に沈む夕日がくっきりと映り込み、それは美しい光景だったでしょう。



日本人にとっての浄土とは、金銀財宝が輝き渡るようなところではない。海が広がり山が聳え、川が流れて風が靡く、そんな自然の風景。

此土浄土を目指した平泉。この平泉を抱く大自然そのものが浄土なのだ。浄土庭園はそれを示すためのもの。



浄土は「ここ」にある。

【続く】


【参考資料】
『平泉 浄土をめざしたみちのくの都』
大矢邦宣 著
河出書房新社