お気楽忍者のブログ 弐の巻

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2023 お気楽行楽記総集編(14)

2023年12月27日 16時00分00秒 | 行楽・旅行記6

10月

横田常夜燈公園(滋賀県甲賀市)

鈴鹿山脈を源流として琵琶湖に流れ込む野洲川はその昔、横田川と呼ばれていました。

江戸時代に東海道が整備され、この場所は東海道十三渡のひとつ横田渡しとして重要視され、軍事的な意味からも幕府の管轄下におかれたそうです。

横田渡常夜燈(水口町指定文化財)

10.5メートルある巨大な石灯籠は文政5年(1822年)に、旅人の目印となるように横田渡の川岸に建てられました。火袋の部分は大人も通れるほどのサイズがあるそうですよ。

臨済宗妙心寺派大宝山法輪寺(京都市上京区)

10月はIT関連の試験を受けに京都に行ってきましたが、試験の前にちょっと京の町をぶらぶらしてきました

法輪寺は享保3年(1718年)に両替商の荒木光品宗禎が開基となり、大愚宗築禅師を開山として創建されました。妙心寺派寺院の禅寺は武士が開基となって創建されることが多い中で、商人が開基となるのは珍しかったそうです。

起き上がり達磨堂

昭和20年(1945年)の太平洋戦争敗戦。その年に第十世 後藤伊山和尚が日本の戦後復興を祈念して、境内に起き上がり達磨堂を建立しました。それ以降、法輪寺はだるま寺と呼ばれるようになりました。

日蓮宗蓮金山 華光寺(京都市上京区)

だるま寺として有名な法輪寺を後にして、出水通りにやって来ました。

華光寺(けこうじ)は、天正11年(1582年)に妙顕寺の十二世日堯が自身の隠居所として開創された日蓮宗寺院。

そして、この華光寺には、『鬼平犯科帳』のモデルとなった火付盗賊改方の長谷川平蔵宣以の父で西町奉行だった長谷川宣雄の葬儀記録が残されているそうです。

日蓮宗長壽山本昌寺(京都市上京区)

華光寺の横にある本昌寺(ほんしょうじ)も日蓮宗のお寺で、寛文3年(1663年)に了光院日円上人により開創されました。

謂れのあるお寺ではありませんが、今年5月に亡くなった父の葬儀の時にこの本昌寺のお坊様に来て頂いたので、一度は訪れてみようと思っていました。

関ケ原大軍師 島左近の墓(京都市上京区)

島左近(島清興)は筒井家の猛将として松永久秀を倒し、筒井順慶の大和平定に貢献しました。順慶の死後は蒲生氏郷や豊臣秀長に仕え、石田三成の要請で三成の参謀として仕官しました。

関ヶ原での戦いぶりは、徳川方をして「誠に身の毛も立ちて汗の出るなり」と恐れられましたが、最期は黒田長政軍に突撃し、討ち死にしました。

大将軍商店街 一条妖怪ストリート(京都市上京区)

京都一条の大将軍八神社周辺は百鬼夜行の伝説が残る街。そんな伝説を逆手にとって、大将軍商店街は一条妖怪ストリートを名乗り、妖怪イベントを開催するなどして地域興しをしています。

いくつかかのお店の前では、手作り感満点の妖怪たちがお客さんを出迎えてくれますよ。

大将軍八神社(京都市上京区)

大将軍八神社は、延暦13年(794年)の平安京遷都の際、宮城の鎮護のために建てられた古い神社。

大内裏の北西の方角(天門)を守護するために方位神である八将神のひとり、大将軍を奈良の春日山から勧請し、大将軍堂を造営したのが興りです。災いや魑魅魍魎は北西から侵入してくると信じられていたから、それをブロックする大事な役割がこの神社にはあったんですね。

そのため、引越しや旅行などの移動にあたり、悪い方角を恵方に変える「方除け・厄除け」のご利益があるそうです。

北野天満宮(京都市上京区)

菅原道真公を御祭神としてお祀りする全国約12,000社の天満宮・天神社の総本社である北野天満宮にも行って来ました。

現在の本殿は慶長12年(1607年)に造営された日本最古の権現造りで、桃山時代の華麗な装飾が施されてます。

管理人も息子の受験合格を道真公にお願いしてきました

上七軒(京都市上京区)

北野天満宮の東門に通じる参道が上七軒通りで、ザ・京都とも言える石畳の道にレトロな雰囲気の街並みが続きます。

室町期に北野天満宮再建時の残木を使って七軒のお茶屋が出来たことがその名前の由来で、京都五大花街(祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東)の中では最古の花街だったのがこの上七軒でした。

つづく

過去記事<2023 お気楽行楽記総集編(13)

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