この写真に見覚えのあるお方が多いでしょう。つい先ごろ、7月1日に当Blogに載せたSusan&Paulと一緒の写真だ。20年間お隣同志、その後もCincinnatiに戻る度訪問し、食事に招かれ、友情で結ばれてきた25年来の夫婦、その片方のSusan が逝ってしまった!この写真のごとく、つい3か月前、景気付けのためステーキハウスで会食後、「余生は明るい!」と乾杯し合ったのに!ハグをし合ったらガリガリに痩せていたけど、勿論再会を信じ、二度と会えないなんて思いもしなかった! 4年前、筆者のG-sama罹患を泣いてくれ、筆者より遅れてG-sama仲間になり、筆者よりず~と元気に見えたのに、そんなに早く逝くなんて、信じることが出来ないでいる。Susan の写真を探していたら、アメリカでMulticultural Music, Art and Luncheon (現在のO地球村塾Partyの前身) をやっていた時の招待状(Susanが手伝ってくれて出来た招待状)やPartyで着物を着せて貰って喜んでいるSusanの写真が出てきたので載せたかったが、古いPCからのUpが難しくて諦めた。下の写真3は最後にSusan&Paulの家を訪問した6月6日だと思うが、この車庫の右側の部屋で、筆者はSusan にこう言った:「ポールはスーザンのことを話す時いつも涙声になる。本人より伴侶が病気になる方が辛いでしょう」と。その時Susan は「可哀そうに!]と、Paulの顔を自分の両手でなでなでしたのでPaul を始め3人で笑った。「Tadaakiも同様でしょう!」とSusan が言い、Tadaakiを探したらちゃっかり外でレンタカーの運転席にチョコンと座って筆者が家から出てくるのを待って居たのでまた3人で笑った。何度も一緒に笑ったのがこの家最後の訪問時、この夫婦とは笑った思い出ばかりだ。亡くなった日はつい半月前、筆者がお役目で米子に行き、高校生留学の意義と熱い思いを語っていた日だった。「留学とSusan」にも言及すべきこと多々あるが、まずはご冥福を祈ろう。(彩の渦輪)
写真2、いつも招かれ、こうして一緒だった 3.訪問後、いつもSusan&Paulの車庫前まで出て見送ってくれたけど、これが最後のお見送りになろうとは!
お元気な写真を見ていただけに、驚いています。お力落としの事でしょうね、Susan のご冥福お祈りいたします。