私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Melanchoria - The World of Dulcimer
ALM Records ALCD 2011
演奏:小川美香子(ハックブレット、サルテリオ)、鈴木美登里(ソプラノ)、佐藤亜希子(リュート、ビウエラ)、寺村朋子(イタリアン・ヴァージナル)

ドイツ語でハックブレット(Hackbrett)、英語でハムマード・ダルシマー(hammered dulcimer)と呼ばれる楽器は、共鳴箱の上に張られ、駒で支持された弦をハンマーでたたいて奏する打弦楽器である。その起源を古代のオリエントなど東方に求める考えもあったが、この様な楽器に適した金属弦が製造されるようになったのは、14世紀に入ってからのことで、この楽器もそれ以降に造られたと考えられるようになった。ただその基になったプサルテリウム(Psalterium)は、その起源をオリエント地方に求めることが出来、指で弾いて演奏する楽器であった。このプサルテリウムが、ツィターやハープ、さらにはチェンバロやクラヴィコード、そしてハックブレットの母体となったと考えて良いであろう。プサルテリウムから発展した、フランス語でドゥルセメーア(doulcemèr)と言う楽器は、現在の英語のダルシマーの語源となった楽器である。ハックブレットは、1370年以来中欧で、当初は1本の弦、やがて複数の弦が張られた、演奏に際しては肩で支えて、棒状のもので弦をたたく低音楽器として知られ、この種のものは今日でもプロヴァンス地方で、民族楽器として用いられている。1450年頃には、ドゥルチェ・メロス、ドゥルセメール、ハックブレットと言う言葉が用いられており、1470年の銅版画には、上流階級の夫人が弾くさらに発展した楽器が描かれている。1511年に出版されたゼバスティアン・フィルドゥンクの音楽理論書”Musica getutscht und außgezogen”には、ハックブレットとして長方形の箱に駒で支持された6本か7本の弦が張られた楽器と2本の撥が描かれている。


ゼバスティアン・ヴィルドゥンクの” Musica getutscht und außgezogen”(1511年)掲載のハックブレット

 1619年に刊行されたミヒャエル・プレトリウスの音楽大全第II巻、「デ・オルガノグラフィア」の楽器図鑑には、四角い箱に2つの駒で1対の弦交互に支持された、1音につき複数の弦が張られた「ハックブレット」という名の楽器が掲載されている。何対の弦が張られているかは図版からは正確には判別出来ないが、およそ1オクターヴの半音階の音が出せる楽器のようだ。


ミヒャエル・プレトリウスの「デ・オルガノグラフィア」に掲載されているハックブレット

 この様な楽器は15世紀から次第にヨーロッパ各国に広がり、多くは民衆音楽の楽器として普及していった。現在も欧州の各国で、民族音楽楽器として使用されている。名称は、フランス語の「ティムパノン(tympanon)」、ロシアや東欧の国では、ラテン語の「シンバラ(cymbala)」に発する系統の用語、例えばハンガリー語の「ツィムバロム(cimbalom)」などが使われている。
 現在の「ハックブレット」あるいは「(ハンマード)ダルシマー」と呼ばれる楽器は、特定の時代の楽器の複製ではなく、現代の楽器として作られたものである。その代表的なザルツブルガー・ハックブレットの場合、共鳴箱は、梯形あるいは長方形で、上面の左右に駒を持ち、一対おきの弦をそれぞれの駒で支持して、一方の駒が支持する弦は全音音階に調弦され、他方の駒が支持する弦はそれとは半音ずれた調弦がなされ、楽器全体としては、すべての半音階が出せるようになっている。奏者は両手に木製の撥を持ち、これで弦をたたいて音を出す。
 今回紹介するCDは、小川美香子がドイツのクレメンス・クライチュ社製のザルツブルガー・ハックブレットを演奏したALM Records盤である。小川は収録曲の1曲で、プサルテリウムが使われなくなった後、17世紀後半に現れた打弦と撥弦の両方で奏されたサルテリオを奏している。さらにソプラノの鈴木美登里、リュートとヴィウエラの佐藤亜紀子、イタリアン・ヴァージナルの寺村朋子が、曲に応じて加わっている。
 演奏されている曲目は、まず11世紀から巡礼地として人気のあったスペイン、バルセロナから40キロほど西北の山中にあるモンセラート大修道院に伝えられている、その表紙の色から「朱い本(Libro Vermell)」と呼ばれる14世紀の古文書に記載されている、聖母の賛歌の内から3曲が紹介される。さらに16世紀のスペイン生まれで、後にナポリの宮廷で活躍した作曲家ディエゴ・オルティス(Diego Ortiz, c. 1510 - c. 1570)が1553年に出版した音楽理論書の第2部に実例として掲載されている29曲のヴィオールと鍵盤楽器のための「レセルカーダ( Recercada)」の内から、「ラ・スパーニャ(La Spagna)」という、15世紀後半に流行したバス・ダンスにもとづく「レセルカーダ(Recercada)」ともう1曲レセルカーダ第1番が紹介される。このレセルカーダ第1番は、低音部の主題が固執低音として何度も繰り返される。さらに同じ曲集から、初期マドリガーレの作曲家として知られるヤコブ・アルカデルト(Jacob Arcadelt, c. 1507 - 1568)の「幸せな娘よ(O felici occhi miei)」というマドリガーレとそれに基づくオルティスのレセルカーダの第2番が演奏される。
 それに続いて、イタリアの舞踏家として知られていたファブリツィオ・カローゾ(Fabritio Caroso da Sermoneta, 1526/1535 - 1605/1620)の舞踏入門書「婦人の高貴(Nobiltà di Dame)」(1600年)に掲載されている舞踏のステップつきの舞曲の中から6曲が紹介される。最初の「お母さん、私を修道女にしないで~天のゆり(Madre non mi far monaca/Celeste giglio)」は作者不詳の歌謡にもとづいた曲で、このCDでもソプラノによって歌われている。後の5曲はいずれも、上記の入門書からの様々な舞曲である。
 スペインからイタリアの14世紀から17世紀の作品を紹介してきた後は、イギリスに移り、まずヘンリー8世(Henry VIII, 1491 - 1547)の「良き仲間との気晴らし(Passtime with Good Company)」が紹介される。ヘンリー8世は、カトリック教会から分かれてイギリス国教会を設立した事で知られるが、音楽を好んだことでも知られ、作曲もした。この「良き仲間との気晴らし」は、中でも最も良く知られた曲である。さらに、17世紀のイギリスで流行した歌謡「ダフネ(Daphne)」は、様々な歌詞、旋律のものがヨーロッパ大陸にも伝わり、ヤーコプ・ファン・エイクの「笛の楽園(Der Fluyten Lust-hof)」にも3つの変奏が含まれている。このCDでは、オランダの手稿から主題と一つの変奏が演奏される。続いて17世紀後半のチャールズ2世の宮廷音楽家であったロバート・カーの「イタリア風グラウンドによるディヴィジョン」が紹介される。
 続いてドイツに移り、まずバッハの同年代のリュートの名手ジルヴィウス・レオポルト・ヴァイスの「シャコンヌ(Chaconne)」ト短調、さらに15世紀中頃に作製された膨大なドイツ語リート曲手稿「ロッホハム歌曲集(Lochamer-Liederbuch)」から、「目覚めよ我が恋人、光の前に(Wach auf mein hort der leucht dort her)」がソプラノで歌われる。次の「トリスタンの哀歌(Il Lamento di Tristano)」は、すでに何度か取り上げたことのある中世の舞曲である。ここでは、ハックブレット独奏で奏され、その後速いテンポの「ロッタ」ではイタリアン・ヴァージナルと打楽器が加わる。ロバート・クーパー(Robert Cowper, c. 1747 - c. 1535)は、イギリスチューダー朝初期の作曲家で、「さようなら、私の喜びよ(Farewell my Joy)」は、この時代の数少ないイングランド歌曲である。北イタリア、ファエンツァの市立図書館に所蔵されている鍵盤楽器曲集(Codex Faenza)は、15世紀の中部イタリアの曲集として重要であるが、この曲集から「コンスタンツィア(Constantia)」が紹介される。AAB形式のこの曲は、おそらくアルス・ノーヴァのフランス歌曲からの編曲であろうと思われる。最後に、冒頭に収録されているモンセラート大修道院の「朱い本」からの「おお、輝く聖処女よ(O virgo splendens)」が単旋律ではなく、3和音で奏される。
 以上に挙げた曲は、いずれもハックブレットのために作曲されたものではなく、歌謡の伴奏も含め、リュートや鍵盤楽器のための曲の主として最上声部をハックブレットで演奏し、必要に応じてリュート、ヴィウエラ、イタリアン・ヴァージナルが対声部や和声的補充をしている。また、時に応じてシンバルや鈴、タムブーランなどが加わっている。
 筆者は以前にハンガリーの民族音楽で、ツィムバロムの演奏を聴いたことがあるが、その際はかなり撥を強く打ち、跳ねるような響きであったが、小川美香子が弾くハックブレットは、極めて繊細な打弦によって非常に美しい響きがする。この楽器には響きを止める装置が無く、残響は自然に減衰するに任され、また他の弦が共鳴して響くため、単旋律でも自然な和音が加わったように聞こえる。
 ハックブレットの小川美香子をはじめ、この演奏に参加している歌手、奏者達は、いずれも中世、ルネサンス、バロックの音楽と演奏をヨーロッパのそれぞれの分野の音楽家達や、バーゼルのスコラ・カントゥールムなどの教育機関で学んだ、経験豊かな音楽家達である。それによって、14世紀から18世紀にいたる作品をそれぞれの時代に応じた演奏解釈で、再現しているのである。ヨーロッパ古楽の演奏を、多様な形で楽しむ一つの選択肢として、筆者は楽しく聴くことが出来た。
 録音は、2012年7月に葛飾シンフォニーヒルズのアイリス・ホールで行われた。

発売元:ALM Records/Kojima Recordings, Inc.

注)収録曲については、CDに添付の小冊子に掲載されている、金沢正剛による解説と、ウィキペディア英語版、ドイツ語版の各項目を参考にした。

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