私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 



Johann Sebastian Bach: Neue Ausgabe sämtlicher Werke, redivierte Edition: Herausgegeben von Bach-Archiv Leipzig: Messe in h-Moll BWV 232. Herausgegeben von Uwe Wolf, Bärenreiter-Verlag, BA 5935, 2010

1850年に、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの全作品を刊行することを目的に、バッハ協会(Bach-Gesellschaft)が組織され、1851年から1899年にかけて、46巻59冊が刊行された。これに加え、1926年にフーガの技法(BWV 1080)が補巻として刊行された。この旧バッハ全集(バッハ協会版 = BG)は、刊行以来バッハの作品のもっとも信頼できる原典版の地位にあったが、その後の新たな原典の発見や、紙の透かしの研究、バッハおよび原典の作製に関わった周辺の人物の筆跡分析などの成果によって、その見直しの必要性が論議されるようになった。
 バッハ協会は全集の刊行終了とともに解散し、1900年に新たに設立された新バッハ協会(Neue Bach-Gesellschaft)がバッハの死後200年に当たる1950年に開催した記念大会で、新たな全集刊行を決定し、1951年にゲッティンゲンに「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ研究所(Johann-Sebastian-Bach-Institut Göttingen)」が全集の拠点として設立され、編纂作業を開始した。1953年にはライプツィヒの「バッハ・アルヒーフ(Bach-Archiv Leipzig)」が共同編纂機関として加わり、カッセルのベーレンライター社(Bärenreiter-Verlag)とライプツィヒのドイツ音楽出版人民公社(VEB Deutscher Verlag für Musik)が出版を担当した。そして1954年に第1部門、カンタータの第1巻、待降節のカンタータで刊行が始まった。以来当初の完了予定を超えて刊行が続けられ、2008年にひとまず完了した。2010年には総索引も刊行され、一部未刊のものもあるが、実質的には刊行は終了したと言えるだろう。
 しかし、新バッハ全集のすべての巻が、異論の余地のない普遍的な原典版を提供しているとは必ずしも言えない。特に1954年に楽譜巻、1956年に校訂報告書が刊行された、フリートリヒ・スメント(Friedrich Smend, 1893 - 1980)編纂のロ短調ミサ曲(BWV 323)は、刊行直後から異論が噴出した。スメントは、ルター派の教会では、ラテン語のミサ通常文全文の曲を演奏する余地はないという点を前提として残された自筆譜などを検討し、その自筆譜は4つの扉で区切られ、それぞれには、”No. 1 Missa”、”No. 2 Symbolum Nicenum”、”No. 3 Sanctus”、”No. 4 Osanna, Benedictus, Agnus Dei et Dona nobis pacem”という標題と編成が自筆で記入されている事を根拠にして、「いわゆるロ短調ミサ曲」は存在しないという結論を導き出した。そしてこの第2部門第1巻を”Missa; Symbolum Nicenum; Sanctus; Osanna; Benedictus; Agnus Dei et Dona nobis pacem (später genannt Messe in h-Moll<後に通称ロ短調ミサ曲> (BWV 232)”と題した。つまり、1733年に宮廷作曲家への任命を嘆願する手紙を添えて、ドレースデンのザクセン選帝候およびポーランド国王、フリートリヒ・アウグストII世に献呈したキュリエとグローリアからなる「ミサ」とそれに続く各曲は、偶然一つの手稿に書き込まれたもので、バッハがミサ通常文全文を一つの作品にすることを意図したものではないと主張したのである。このスメントの見解は、ルター派の神学者でもあったスメントが、ルター派の信仰篤いバッハが、カトリックのミサなど作曲するはずがないという信念に基づいたもので、学問的客観性に欠けるものといえよう。ゲオルク・フォン・ダーデルセンは1959年に「フリートリヒ・スメントのJ. S. バッハのロ短調ミサ曲版について」という論文で、編纂の一部についても異論を提起したほか、ミサ通常文全文を作曲したのではないというスメントの解釈を強く批判した(注1)。現在ではスメントの解釈は否定され、ロ短調ミサ曲は、バッハが生涯の最後に完成させた声楽作品と言う考えが大勢を占めている。
 このような経過を持つ新バッハ全集の「ロ短調ミサ曲」は、原典版としての価値に疑念を抱かれることとなった。2006年には「ジョシュア・リフキンの編纂による初の『最終稿』(Erstmals in der “Fassung erster Hand” herausgegeben von Joshua Rifkin)」と称してブライトコプ・ウント・ヘルテルから出版され、関連する原典の入念な検討に基づき、 特に「ニケア信経(Symbolum Niceum = Credo)」へのカール・フィリップ・エマーヌエル・バッハの記入を取り除いた、バッハが後世に残した最終的な状態を復元した原典版と謳っている。
 ゲッティンゲンのヨハン・ゼバスティアン・バッハ研究所は、2006年末にその任務を終え解散し、その所蔵資料はすべてライプツィヒのバッハ・アルヒーフに譲渡された。そのバッハ・アルヒーフでは、新バッハ全集の刊行終了の見通しが立った時点で、全集の中で特に問題のある巻と、その後新たに発見された原典によって、改訂が必要と判断された作品を、「新バッハ全集改訂版(Neue Ausgabe sämtlicher Werke, redivierte Edition)」と題して出版することを決め、現在のところ15巻、16冊の刊行が予定されている。そしてその第1巻として2010年夏に「ロ短調ミサ曲」が刊行された。編纂はバッハ・アルヒーフのウーヴェ・ヴォルフ(Uwe Wolf)である。
 この改訂版「ロ短調ミサ曲」では、自筆総譜を基本に、1733年にザクセン選帝候兼ポーランド国王フリートリヒ・アウグストII世に献呈された「哀れみたまえ(Kyrie)」と「栄光あれ(Gloria)」からなる「ミサ」のパート譜、「聖なるかな(Sanctus)」の1724年に作製された総譜とパート譜、「我信ず(Credo)」のフーガの古い稿の写譜を補助原典として出版譜が作製された(注2)。
 バッハの死後、自筆総譜を相続したカール・フィリップ・エマーヌエル・バッハは、数度にわたって写譜を作製させ、その間に自筆総譜に様々な記入を行った。このフィリップ・エマーヌエルによる記入は、 元のバッハの自筆としばしば重なっており、判読をきわめて難しくしている。その上自筆総譜は、インクと紙の化学反応や経年変化によって劣化が進み、年々判読を難しくしている。
 中でも「ニケア信経(Symbolum Niceum = Credo)」には、自筆譜作製に際して、バッハが多くの修正を行っており、作製途中で新たな楽章、「精霊によって(Et in carnatus est)」を挿入し、それに伴い先行する楽章、「また、唯一の主(Et in unum Dominum)」の歌詞付けを変更するなど、その構成が複雑になった上に、カール・フィリップ・エマーヌエル・バッハが1786年にハンブルクでこの「ニケア信経」を演奏した際に、バッハの自筆譜に修正や変更、補足を行ったために、自筆譜の本来の状態の判読がきわめて困難になっている。


修正によって判読不能になり、下の空いた箇所にアルトの98小節目をバッハ自ら書き直している。さらにインクのにじみによって生じた用紙の
損傷が激しく、穴が空いている箇所が多数ある(”Et resurrexit”の96小節目2拍目から)。Johann Sebastian Bach: Messe in h-Moll BWV 232.
Facsimile-Lichtdruck des Autographs mit einem Nachwort herausgegeben von Alfred Dürr. Bärenreiter-Verlag Kassel 1965より。

 今回の改訂版刊行に際して、バッハ・アルヒーフとベルリンの国立図書館は共同で、蛍光X線分析(Röntgenfluoreszenzanalyse)による自筆総譜の調査を行った(注3)。この手稿に用いられたインクは、「鉄没食インク(Eisengallustinte)」と呼ばれるもので、これにX線を照射すると検体を構成する原子が励起され、それが緩和する際にX線を放射する。この放射されたX線を分析することによって、バッハがライプツィヒで使用していたインクと、フィリップ・エマーヌエルがベルリンとハンブルクで使用していたインクがその含有物の違いによって区別され、自筆譜の音符や文字の記入された時期が明らかになったことにより、バッハの自筆の音符や文字が確認された。手稿の損傷が激しく、この分析によって100%の解明は出来なかったが、これまでよりはかなり明確に、バッハの自筆の判別が出来た。



この箇所では、バスの声部(下から2段目)にフィリップ・エマーヌエル・バッハによる音符の記入が見られ、それに合わせた歌詞も記入
されている(左から2小節目から5小節目まで、”Patrem omnipotentem”の68小節目から)。上の写真と同じ1965年ベーレンライター刊の
ファクシミリより。


 「ロ短調ミサ曲」の自筆総譜は、1924年と1965年および2007年にファクシミリ版が刊行されている。その間に手稿の劣化は目に見えて進行しており、1965年に刊行された際には、劣化が著しく進んだ部分は、1924年版を用いている。今回の改訂版の編纂に当たっては、この1924年のファクシミリ版も参照された。
 今回の改訂版では、上に述べた蛍光X線分析を含む調査によっても、自筆総譜の記譜が確認できない部分、それには紙に穴が開いて音符が欠けている箇所や、複数の記入が重なってバッハの自筆が判別できない箇所があるが、これらの箇所は他の資料によって補い、鉤括弧で囲んで区別している。
 またこの改訂版には、「ミサ」の部分にドレースデンのパート譜にもとづく追加がされている。それは2本のフラウト・トラヴェルソとファゴットのパートである。自筆総譜では、冒頭の「キュリエ」のはじめの上2段の五線の前に”Travrsi e Hautbois”と記されていて、フラウト・トラヴェルソ2本が編成されていることが分かるが、その後は記載が無く、第7aで”Traversi in unisono”と記して、このパートを2本のフラウト・トラヴェルソで吹くよう指定し、続く「世の罪を取り除いて下さる方よ(Qui tolis pecata mundi)」では2つのフラウト・トラヴェルソのパートがあるが、その後また指定が無く、最後の「精霊とともに(Cum Sancto Spiritu)」の238小節、自筆総譜の93頁になって突然フラウト・トラヴェルソの五線2段が加わり、残りの18小節はオーボエとは異なるパートを演奏する。ファゴットは、自筆総譜では第9aの「あなただけが聖なる方(Quoniam tu solus sanctus)」でコルノ・ダ・カッチャとともに登場する以外は、どこにも指定がない。しかしドレースデンのパート譜には、2つのフラウト・トラヴェルソとファゴットのパート譜が含まれており、このパート譜作製の時点でバッハは、これらの楽器が「ミサ」全般にわたって加わっていると認識していたことが分かる。なお、パート譜では第7aのフラウト・トラヴェルソは、独奏になっている。第9aのファゴットは、1枚のパート譜に2段で記譜されている。これらドレースデンのパート譜を反映したパートは、今回の改訂版では薄墨色のインクで印刷されている。
 新バッハ全集の改訂版では、別冊の校訂報告書はなく、冒頭に作品の概略を述べた序文と、巻末に校訂報告が掲載されている。その結果この「ロ短調ミサ曲」の改訂版は、総ページ数394頁という大巻となっている。
 今回刊行された新バッハ全集改訂版第1巻の「ロ短調ミサ曲」は、1954年刊行のスメント編纂の新バッハ全集版の問題点を解消し、最新の原典研究に基いて編纂された原典版としてどのような評価を受けるか、しばらく時間をおいて見ないと分からないが、筆者がこれまでの経過を注目してたどってきた限りでは、現在考え得る最良の原典版になっているように思える。今後原典版にもとづく「ロ短調ミサ曲」の演奏をする場合には、この改訂版を参照することが必須となるだろう。

注1 Georg von Dadelsen, “Friedrich Smends Ausgabe der h-Moll-Messe”, in: Die Musikforschung 12 (19599, p. 315 - 334; Über Bach und Anderes. Aufsätze und Vorträge 1957 - 1982, p. 18 - 40

注2 これらの初期の異稿は、ウーヴェ・ヴォルフの編纂で新バッハ全集の第II部門第1a巻(Johann Sebastian Bach: Neue Ausgabe sämtlicher Werke, Serie II•Band Ia, Frühfassungen zur h-Moll-Messe BWV 232. Kritischer Bericht von Uwe Wolf)として、2005年に刊行されている。

注3 このバッハ・アルヒーフとベルリン国立図書館による「ロ短調ミサ曲」の自筆総譜に対する蛍光X線分析についての記述は、”Wer schrieb hier was? Tintenanalyse am Autograph der h-Moll-Messe von Johann Sebastian Bach” (Uwe Wolf), Bach Magazin Heft 12、Herbst/Winter 2008/2009, p. 28 - 30 および Uwe Wolf, Oliver Hahn und Timo Wolff, “Wer schrieb was? Röntgenfluoresenzanalyse am Autograph von J. S. Bachs Messe in h-Moll BWV 232”, Bach-Jahrbuch 95. Jahrgang 2009, p. 117 - 133 による。

にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
クラシック音楽鑑賞をテーマとするブログを、ランキング形式で紹介するサイト。
興味ある人はこのアイコンをクリックしてください。

音楽広場
「音楽広場」という音楽関係のブログのランキングサイトへのリンクです。興味のある方は、このアイコンをクリックして下さい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« テレマンのリ... ドイツ・バロ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。