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『アバター』を2年ぶりに見た

2012-02-19 | テレビ・映画・芸能
二年ぶりに映画『アバター』をテレビで見た。別に3Dじゃなくても遜色ない、むしろ3Dって邪魔なんじゃ?と思うくらい映画の完成度高いし、未だに面白かった。

そして「映像的に『もののけ姫』っぽいなあ」と感じた。2年前に映画館で見た時の記事を確認してみたら

『アバター』をやっと観た 2010.3.29

なんだ、おんなじコト言ってるじゃんwすっかり忘れてた。
けれど、これは「影響」っていうレベルじゃなく「パクリ」と言っても過言ではないかも。

例えば、森の中の光る草木、そして足を踏み入れるとより強く発光する、あるいは森の精霊と呼ばれる小さな生き物が徘徊しているのは「シシ神の森」とそっくり。

ただ、パクる事自体を悪いこととは思わない、迷惑をかけず著作者が怒らなきゃいいものはどんどん真似すればいいとさえ思う。

しかし『もののけ姫』も『アバター』も見終わったあとに考えさせられる映画だなあ。この2つを比較検討するとより想像が膨らんでくるし。<文明対自然>の対立構図の中で「どう生きるべきか」を問う両作。

『もののけ姫』で主人公アシタカは最後文明の側に帰り、サンは自然の側に残る。互いに愛情を抱きながら情に流されず大人の選択をする。
これが『アバター』では主人公ジェイクは地球人類=文明を捨てナヴィ(現地人)=自然の側に残る結末。ナヴィには愛しあう女性がいるし、ナヴィ族の英雄としての地位も約束されているから心情としては素直な選択。
まあ、事情も違うしどちらが良い悪いという問題ではないが。

2年前の記事で「ジェームス・キャメロンが『もののけ姫』を実写映画化したら面白そう」と書いたが、今回認識を改めた。
物語的な痛快さはアバターのほうが抜きん出てるだろう、興行的成功を目指すならスッキリ痛快を目指すのは道理。
けど、もののけ姫は痛快さを犠牲にして深みを獲得しているのかな。だから、そういう意味では制作側の根本思想がまるっきり違う。

なんて、屁理屈を並べ立てたところで本作の魅力は微塵も減衰しない。「面白い」ことは「良きこと」なのだ。
2014年に『アバター2』、翌年『アバター3』の公開が予定されてるそうだ。続編というと駄作が多いわけで、なにぶん本作の感動を損なわないよう期待したい。