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選挙のどさくさに

2012-12-16 | 政治経済
いよいよ本日衆議院議員選挙の投票日。仕事前に早々と投票してきた。
朝8時の投票所は思いのほか混み合っていて、まるで投票率が高いかのような錯覚。

で、すっかり忘れてたけど、小選挙区の用紙に候補者の個人名、比例区の用紙に政党名、
そして最高裁裁判官の国民審査!そうだ、毎回これがあったんだ。

毎回審査表を渡されるたびに思い出して、そして戸惑うのだ。だって何をどう審査しろと。
少しネットで調べてみたらこんな記事がヒットした。

江川紹子:最高裁裁判官の国民審査をどうする? YAHOOニュース

以前から疑問に思ってたところをガッチリ述べてくれている。そうなんだよね。裁判官の情報が皆無の状況で審査しろと言われても無理があると。
だいたいね、国会議員の選択というとても大事なことのどさくさに紛れて、顔も名前も知らないオッサンの審査しようがあるのか?

上の記事によるとぼくの疑問に対する答えは

総務省選挙課は「『分からない』という人が(投票所に)来ることは前提にしていない。審査公報をしっかり読んで来ていただくことになっている」と言ってはばからない。あたかも「分からない」人が例外的であり、当然やるべきことをやっていないかのような反応だ。



ということになる。これに対し

弁護士の伊藤真さんは、次のように指摘する。
「仕事ぶりをしっかりと広報することも含めて裁判官の仕事ですから、伝えきれていない人は×にされても仕方がありません。自らの権力行使について、しっかりと説明することはどんな仕事であろうが、公務員の責務です。特に裁判官の仕事は主権者国民からの信頼を得て、初めてその権力行使が正当化されます。国民審査に服する最高裁判事はより一層、しっかりと自らの仕事ぶりを国民に説明する義務があります」

であれば、今回審査の対象となっている10人には、全員×がふさわしいのではないか。


と、バッサリと。

そもそも最高裁の裁判官が誰であろうと自分は何ら影響を受けないと思いそうなものだが、世間を賑わした幾つかの冤罪事件は、やはり最高裁の判決によって生まれたものが多い。そうでなくても最高裁の判例というのは絶対的権威を持つので小さな裁判でもその影響力は凄まじいというわけだ。

我々もいつどんな形で事件に巻き込まれないとも限らない。とすれば、実はとても重要な審査ではないか?
なんて言いながら、そこまで考えてなかったため何も記さずつまり信任票として出してしまった、後の祭り。次回までこの事実をしっかり覚えておこう(まあ忘れるんだろうw)。

けど、信任者に◯だったらやりやすいのにその逆だからね。人の名前の下に?をつけるってちょっと生理的にやりづらいよね。そこが狙いなんだろうけど。