ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第19次支援活動<気仙沼市>(その16)~大島へ

2014-03-07 23:55:07 | 能楽の心と癒しプロジェクト
お神明さまでの奉納を終えて、すぐさまエースポート跡地のフェリー乗り場へ直行。この日は久しぶりに大島に渡り、大島神社さまでも奉納させて頂く予定になっていました。

このへんもだいぶ様変わりしてきました。海に水没したまま2年以上放置されていた桟橋も撤去され、跡地開発のためか、それほど損傷はなかったはずのエースポートの立体駐車場も撤去。一帯はがらんとした空き地のようになってしまいました。

一方 屋台村の隣りには、渡辺謙さんのカフェ&イベントスペース「KーPort」が建ち、さらにそれと屋台村の間に新たに 磯屋水産さんの新社屋が建設中でした。このあたりには まだ被災家屋も少数残っていますが、新しい気仙沼の街が生まれていくのが感じられます。





が、なんだかんだと出航の時間が迫り、またしても昼食を摂る間もなく。。フェリー乗り場のすぐ近くにある仮設商店街「復興屋台村 気仙沼横丁」さんでフェリーの中で食べるお弁当を探したのですが、売っていない。。ここは、かなり冒険ではありましたが、太鼓の大川さんが車を飛ばして昨日お風呂に入れて頂いたホテル観洋さんのそばで見かけたコンビニに弁当を買いに行ってくれました。元日から朝食も昼食もコンビニ弁当です。時間に追われる活動では仕方ないのですが、今年も食事情は好転する兆しがないな。。

大川さんもギリギリ出航前に到着してセーフ! 無事に5人を乗せたフェリーは大島に向けて進みはじめました。



船内の様子。フェリーなので客室は狭いです。まだ昨夜の疲れが抜けていなくて大変そうな方(笑)、元気にお弁当食べてる人、感慨深げに窓から外の様子を見る方。。あ、そうそう浩乃ちゃんはフェリーのデッキからカモメに餌のパンをあげていましたが、見事に指から流血していました。そりゃカモメも くちばしから突進してくるんだから。。

30分も走ると、フェリーは大島の浦の浜に到着します。カーフェリーなんですから車で行けばよいようなものですが、車の運搬費は高いので、必要なものだけ持って車は本土に残して、これまた正月からご迷惑なことですが、大島在住で昨年ご一緒に仮設住宅で活動した白幡まさえさんとそのご友人に車で大島神社まで送って頂くことになっていました。

が、フェリーに乗るときにはあんなに忙しかったのに、いざ大島に渡ってみると、大島神社さまに伺う時刻には少し早いです。ちょうど良いフェリー便がなかったので、こういう事になったのですが、それでは、というので亀山の山頂に行ってみることにしました。

亀山は大島を代表する山で、震災前には登山リフトもあったのですが、震災のときに起きた山火事で失われました。気仙沼を襲った津波は大島にも直接上陸し、一方本土に至った津波も、また跳ね返って大島にぶつかりました。いわば両方向からの津波にさらされたわけで、そのとき島は二つに分断されたのだそうです。それだけでなく、港から流出した重油が海面を漂い、被災した船からの出火がそれに引火して大島に燃え移り、亀山が大規模な山火事を起こしました。一時は全島避難まで検討された危機が島を襲い、また島であるために救助の手も遅れて、島の住民さんが懸命の消火作業を行って、山火事を鎮火させたのでした。

この日奉納させて頂く大島神社はこの亀山の中腹にあります。この神社も震災時は一時は焼けてしまうのではないか、と思われたそうですが、奇跡的に神社に到達する直前で山火事は止まったのだそうです。

そんな大変な状況にあった大島ですが、津波が到達した低地はあいかわらず何もない状態ですが、少しずつ護岸の整備も始まった様子で、また亀山の山頂の展望台から見た景色は平和そのもの。

ぬえがこの山頂に登るのはこれで2度目ですが、よく見るとここは山頂ではなく、車を停めた場所から さらに遊歩道のような道が上に続いています。今回ははじめてこの道を歩いてみました。よく見ると、震災後に植林された若木に混じって、焼け焦げた切り株がたくさんあります。震災前はこの展望台からは木が邪魔になってあまり景色はよく見えなかったそうですが。。

そして訪れることができた本当の亀山山頂。なんて雄大な景色でしょう!



やがて宮司さんとお約束した時刻になり、一行は本日の目的地、大島神社に向かいました。