ぬえの能楽通信blog

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石巻・女川町を訪問して参りました(その15…女川町の被災地域と。。届けられたお礼状)

2012-07-25 22:58:40 | 能楽の心と癒しプロジェクト
コンテナ村商店街をあとにして、昼食をごちそう頂けるとのことで町立病院の中のレストランへ連れて行って頂きました。町立病院は高台にあり、ぬえは女川町は数回視察に訪れていますが、この高台から街並みを見下ろすのは初めてでした。伺えば、この高台の町立病院も1階部分は津波の被害を受けたとのこと。10数mもの津波がこの町を襲ったのです。

さて町。。の跡を見下ろして、まず驚いたのが、マリンパル女川の建物がなくなっていたこと。この3月には建物の中に入ったばかりなのに、跡形もなく撤去されていました。その代わり。。だだっ広い更地となった町の中に、横倒しになった江島共済会館のビルと石巻署女川交番がそのまま残されています。





昨年からこのような被災した建築物を津波の恐ろしさを語り継ぐために保存するかどうか、いろいろな議論が積み重ねられてきました。一方では被災した町の当事者の中には、あの津波を思い起こさせる物を残しておきたくない、という意見も。

いろいろな思いが交錯する被災建築物の保存問題。そうしているうちに ひとつ一つ、撤去が進められてきました。雄勝公民館の屋根に乗った観光バスも撤去され、火災で焼けた門脇小学校も撤去の方針が決まったように聞いています。それでも ぬえは石巻の「木の屋」さんの鯨缶タンクは、人的被害がなかった建造物だし、悲壮感というよりはちょっとユーモラスでもあったので、これは残してもよかったかな~、と思わないでもないですが。

こんな感じで、ぬえは震災を風化させないためにも、いくつかの建物は保存しておくべきではないか、と漠然と考えていましたが、ここ、女川町立病院の高台からこの横倒しになったビルを見下ろしたとき、それは部外者の身勝手な言い分ではないか、と思います。。もしこの町が自分の故郷だったなら。。ぬえは哀れな姿となったこのビルを見たくないと思いますから。。

閑話休題。。

昨日。。これからお話する女川町の町民野球場仮設住宅の住民さんから、ぬえたちプロジェクトの活動について丁寧なお礼状が届きました。私信ですから全文を公開するわけには参りませんが。。

「先日…お能「羽衣」を拝見いたしました折のビデオを見せていただきました。。あの大震災を生きて、七十九才の身でこんなに優しく、思いやりのある、能の先生方とお会いでき涙を流して拝見いたしました。ありがとうございました。」

「私事でございますが。。野球場仮設に入居して以来、体調悪く、お正月もないまま(皆さんそうでしたが)。。二度の肺炎で入院と、すっかり気力を失って参り、なんとか生き抜いて、息子の再建できるまでと考えるまで回復いたしたのでした。。それで六月二十日お能「羽衣」があると伺いましたので滋賀県の方々のご支援の洋服を着て拝見いたしました。」

「一期一会のお心で私達女川の被災者をはげまして下さったのだとなアと涙と共に感動いたしました。ありがとうございました。心の底より御礼を申し上げます。こんなに優しく接して下さいましたのに、何のお返しもできないこと、歯がゆい思いがいたしました。」

「ここ仮設住宅の山々は生き生きと青く、巣立ちの小燕が飛び交い、六月までは時鳥も啼き、自然豊かな地でございます。仮設住宅群さえ見なければ、何処に千年来、想定外の大惨事があったのか? と思える、自然豊かな地でございますが、一歩山を下りますと津波で何もかにも流された被災の地には夏草が生い茂るばかり、この地に小さい乍らもそれぞれの家が建って、健康な生活を営んでいたのかと思いますと、感慨無量でございます。つい涙が流れて参ります。。「これからは女川の若い人々が一生懸命、再建復興へととり組んで前へ前進していると実感できます。」

。。心のこもった便箋5枚に綴られたお言葉。。これほどのお気持ちは ぬえにはもったいないです。ぬえはあの優しい東北の おばあちゃんたちに会いに行ってるだけなの。。しかしこのお礼状はありがたく。。これはこのとき女川町に伺った能楽師3名ばかりでなく、プロジェクトに関わったすべての人々の力に頂いた勲章と考えております。

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