すぐに舞働。型は『土蜘蛛』とほとんど同じですかね。舞台で一度シテとツレが打ち合って橋掛リに行き、ここでも打ち合って、さらに橋掛リでクルクルと追いかけて二人舞台に戻って終わり。
『大会』にも似た型ですが、面白いのは『舎利』と『大会』はどちらもシテがツレに打擲される役で、この舞働の中でも2度、戦いの中でシテはツレに打たれます。ぬえの師家ではそういう場面ではシテは膝を屈して袖を頭に返しますね。これは師家の型の特徴なのかもしれません。
二人舞台に戻って向き合ってヒラキ、地謡が謡い出してさらに追いつ追われつの展開となります。
地謡「欲界色界無色界。 と三つ拍子踏み化天耶摩天他化自在天。三十三天攀ぢ上りて。 とシテは一畳台の上を通って大小前に行き、ツレはそれを追い行き帝釈天まで追ひあぐれば。 とシテは一畳台に飛び乗り、ツレも後より一畳台に飛び乗り梵王天より出であひ給ひて。もとの下界に。追つ下す。 とツレはシテを打ち、シテは台より脇座の方へ飛び下り右袖を頭に返して下居
これより急に囃子の位が静まって「イロエ」となります。また出てきた「イロエ」!
この「イロエ」は先に問題となった「出端」の替エとは違って純然たる所作事で、そしてまた他のどの能にも類例のない『舎利』独特の型でもあります。言い直せば、このように戯曲上ある場面をクローズアップするとき(能にはいろんな形はありますが、よく使われる手法ではあります)、地謡に拠らず囃子でその場面の雰囲気を伝えようとする場合、これは曲により内容が千差万別になるわけで、それが舞にならず短時間の所作事であれば、これを些末な分類にせず「イロエ」とひと括りにしているのかも。
『舎利』の場合、型としてはシテは脇座より立ち上がり静かに左に廻り(師家の本来の型では後ろに下がり:以下同断)大小前より脇座へ出る(再び正に向いて脇座の方へ出る)というもので、ツレも台より静かに下りて右に廻り、太鼓座前より脇正へ出る。。というもの。
上演場面としては急に役者の動きと囃子がゆっくりになるところで、解釈の仕方はいくつかあると思います。この直前にシテが袖を頭に返しているので、これは姿を隠したと考えられ、シテとツレが互いに相手の姿を見失ってその所在を探っている、というもの。ところが ぬえの先輩は、高速で戦っている場面をスローモーションで見せているのではないか、という意見でした。
どちらも成立する解釈です。そうして、この「イロエ」があるために、演出上はただ飛んだり跳ねたりする戦いの場面にひとつの転換をもたらし、それは能として大変効果があります。
シテとツレがそれぞれ脇座と脇正に行きかかるとき、再び囃子は急調になって地謡が「もとの下界に。追つ下す」と謡います。この謡い方が難しいところで、太鼓観世流ではイロエの終わりに「半打込」という短い終止の手を打って、それを聞いて地謡が謡い出すのですが、太鼓金春流では終止の手を打ち始めたところに いきなり地謡が「もとの下界に」と謡い込みます。
。。このところ、じつは観世流太鼓も本来は金春流と同じ「謡い込み」なのですが、同流の手付けには「今ハセズ」と注記があります。そして今回 稽古能を通じて囃子方に確認したところ、前述の「今ハセズ」にもかかわらず、近来は観世流でも「謡い込み」の方が実演上は多い、とのことで、それでは、というので ぬえも今回は「謡い込み」にして頂くことにしました。
地謡「もとの下界に。追つ下す。 とツレはシテを打ち、シテは安座
シテ「左へ行くも。 とシテは立ち上がり
地謡「右へ行くも。前後も天地も塞がりて。 とシテは正へヒラキすぐに台に乗り疾鬼は虚空にくるくるくると。 と左にいくつも廻り渦巻い廻るを。韋駄天立ち寄り宝棒にて。 とツレも台に上がり疾鬼を大地に打ち伏せて。 とシテは台より前へ下り台に腰掛け首を踏まへて牙舎利はいかに。出せや出せと責められて。 とツレはシテを打ち泣く泣く舎利を指し上ぐれば。 とシテは舎利を両手で右肩の上に上げ韋駄天舎利を取り給へば。 とツレは舎利を両手に持ち台より下り幕へ走り込みさばかり今までは。 とシテは台に後ろ向きに飛び上がり安座、すぐに立ちより後ろ向きに飛び下り足早き鬼の。いつしか今は。 と角へ出左にソリ返リ、幕の方へ向きグワッシ二つ仕足弱車の力も尽き。 と三之松へ行き右へ飛び返り左袖を頭に返し心も茫々と起き上りてこそ。失せにけれ。 と立ち上がり左袖を返して留拍子、幕へ引く
最後はシテとツレの戦いのクライマックスです。シテは前後も天地も塞がって往生し、空中で錐もみの旋回をしますが、韋駄天はそれを止めてシテを打ち伏せ、さらに打擲して舎利を返すように要求し、ここにいたりシテはついに観念して舎利を出してツレに渡し、ツレは喜んで舎利を捧げて幕に走り込みます。失意のシテとしては少々派手な型がついていますが、シテは角でソリ返り、さらに舞台でグワッシ、それより橋掛リに走り行き幕際にて飛び返り、あと立ち上がって袖を返して留拍子を踏んでトメ。
いや、なんとも童話的なファンタジーにあふれた能だと思います。『大会』のときにも思ったけれど、先人のユーモアに微笑せざるを得ませんね。
がしかし、今回この能を勤めさせて頂くについて台本をよく読むと、この曲が決してショーとしての面白みばかりを追求して作られた能とは言い切れないと思います。
前シテの長大で難解なクセの詞章。。それは仏法の礼賛であって、しかも末法の世に至って天竺ではすでに仏法は廃れ、仏法東漸によって、見仏聞法の利益が遠く離れたこの日本で実現できるという奇跡。
。。この能は童話のような楽しさがありますけれど、それは悪鬼であるシテ・足疾鬼もやはり仏法を礼賛する信者である、という善心の存在が、舎利の強奪という重苦しい話題を根底から明るく照らしているのです。
前シテも後シテも行う一畳台の上での旋回、前シテが舎利塔を奪ったあとに舎利台を踏み潰すこと、そうして後場が人間界を離れた天上界での空中戦という壮大な発想。
どれを見ても他の能にはない作者独自のアイデアにあふれた能だと思います。
今回は ぬえも作者のアイデアに敬意を表して、より面白い演出を加えてみました。
もう明日が公演当日なのですが、こういう楽しい能もあるのだという事を ぬえは広く知って頂きたいと思っております。
『大会』にも似た型ですが、面白いのは『舎利』と『大会』はどちらもシテがツレに打擲される役で、この舞働の中でも2度、戦いの中でシテはツレに打たれます。ぬえの師家ではそういう場面ではシテは膝を屈して袖を頭に返しますね。これは師家の型の特徴なのかもしれません。
二人舞台に戻って向き合ってヒラキ、地謡が謡い出してさらに追いつ追われつの展開となります。
地謡「欲界色界無色界。 と三つ拍子踏み化天耶摩天他化自在天。三十三天攀ぢ上りて。 とシテは一畳台の上を通って大小前に行き、ツレはそれを追い行き帝釈天まで追ひあぐれば。 とシテは一畳台に飛び乗り、ツレも後より一畳台に飛び乗り梵王天より出であひ給ひて。もとの下界に。追つ下す。 とツレはシテを打ち、シテは台より脇座の方へ飛び下り右袖を頭に返して下居
これより急に囃子の位が静まって「イロエ」となります。また出てきた「イロエ」!
この「イロエ」は先に問題となった「出端」の替エとは違って純然たる所作事で、そしてまた他のどの能にも類例のない『舎利』独特の型でもあります。言い直せば、このように戯曲上ある場面をクローズアップするとき(能にはいろんな形はありますが、よく使われる手法ではあります)、地謡に拠らず囃子でその場面の雰囲気を伝えようとする場合、これは曲により内容が千差万別になるわけで、それが舞にならず短時間の所作事であれば、これを些末な分類にせず「イロエ」とひと括りにしているのかも。
『舎利』の場合、型としてはシテは脇座より立ち上がり静かに左に廻り(師家の本来の型では後ろに下がり:以下同断)大小前より脇座へ出る(再び正に向いて脇座の方へ出る)というもので、ツレも台より静かに下りて右に廻り、太鼓座前より脇正へ出る。。というもの。
上演場面としては急に役者の動きと囃子がゆっくりになるところで、解釈の仕方はいくつかあると思います。この直前にシテが袖を頭に返しているので、これは姿を隠したと考えられ、シテとツレが互いに相手の姿を見失ってその所在を探っている、というもの。ところが ぬえの先輩は、高速で戦っている場面をスローモーションで見せているのではないか、という意見でした。
どちらも成立する解釈です。そうして、この「イロエ」があるために、演出上はただ飛んだり跳ねたりする戦いの場面にひとつの転換をもたらし、それは能として大変効果があります。
シテとツレがそれぞれ脇座と脇正に行きかかるとき、再び囃子は急調になって地謡が「もとの下界に。追つ下す」と謡います。この謡い方が難しいところで、太鼓観世流ではイロエの終わりに「半打込」という短い終止の手を打って、それを聞いて地謡が謡い出すのですが、太鼓金春流では終止の手を打ち始めたところに いきなり地謡が「もとの下界に」と謡い込みます。
。。このところ、じつは観世流太鼓も本来は金春流と同じ「謡い込み」なのですが、同流の手付けには「今ハセズ」と注記があります。そして今回 稽古能を通じて囃子方に確認したところ、前述の「今ハセズ」にもかかわらず、近来は観世流でも「謡い込み」の方が実演上は多い、とのことで、それでは、というので ぬえも今回は「謡い込み」にして頂くことにしました。
地謡「もとの下界に。追つ下す。 とツレはシテを打ち、シテは安座
シテ「左へ行くも。 とシテは立ち上がり
地謡「右へ行くも。前後も天地も塞がりて。 とシテは正へヒラキすぐに台に乗り疾鬼は虚空にくるくるくると。 と左にいくつも廻り渦巻い廻るを。韋駄天立ち寄り宝棒にて。 とツレも台に上がり疾鬼を大地に打ち伏せて。 とシテは台より前へ下り台に腰掛け首を踏まへて牙舎利はいかに。出せや出せと責められて。 とツレはシテを打ち泣く泣く舎利を指し上ぐれば。 とシテは舎利を両手で右肩の上に上げ韋駄天舎利を取り給へば。 とツレは舎利を両手に持ち台より下り幕へ走り込みさばかり今までは。 とシテは台に後ろ向きに飛び上がり安座、すぐに立ちより後ろ向きに飛び下り足早き鬼の。いつしか今は。 と角へ出左にソリ返リ、幕の方へ向きグワッシ二つ仕足弱車の力も尽き。 と三之松へ行き右へ飛び返り左袖を頭に返し心も茫々と起き上りてこそ。失せにけれ。 と立ち上がり左袖を返して留拍子、幕へ引く
最後はシテとツレの戦いのクライマックスです。シテは前後も天地も塞がって往生し、空中で錐もみの旋回をしますが、韋駄天はそれを止めてシテを打ち伏せ、さらに打擲して舎利を返すように要求し、ここにいたりシテはついに観念して舎利を出してツレに渡し、ツレは喜んで舎利を捧げて幕に走り込みます。失意のシテとしては少々派手な型がついていますが、シテは角でソリ返り、さらに舞台でグワッシ、それより橋掛リに走り行き幕際にて飛び返り、あと立ち上がって袖を返して留拍子を踏んでトメ。
いや、なんとも童話的なファンタジーにあふれた能だと思います。『大会』のときにも思ったけれど、先人のユーモアに微笑せざるを得ませんね。
がしかし、今回この能を勤めさせて頂くについて台本をよく読むと、この曲が決してショーとしての面白みばかりを追求して作られた能とは言い切れないと思います。
前シテの長大で難解なクセの詞章。。それは仏法の礼賛であって、しかも末法の世に至って天竺ではすでに仏法は廃れ、仏法東漸によって、見仏聞法の利益が遠く離れたこの日本で実現できるという奇跡。
。。この能は童話のような楽しさがありますけれど、それは悪鬼であるシテ・足疾鬼もやはり仏法を礼賛する信者である、という善心の存在が、舎利の強奪という重苦しい話題を根底から明るく照らしているのです。
前シテも後シテも行う一畳台の上での旋回、前シテが舎利塔を奪ったあとに舎利台を踏み潰すこと、そうして後場が人間界を離れた天上界での空中戦という壮大な発想。
どれを見ても他の能にはない作者独自のアイデアにあふれた能だと思います。
今回は ぬえも作者のアイデアに敬意を表して、より面白い演出を加えてみました。
もう明日が公演当日なのですが、こういう楽しい能もあるのだという事を ぬえは広く知って頂きたいと思っております。
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