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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

壮大な童話…『舎利』(その9)

2014-11-26 02:19:18 | 能楽
先週、『舎利』の上演が終わりました!
何というか。。波瀾万丈の舞台でした。計算したところ、工夫したところは上手く行ったのですが、勢い余って一畳台から転げ落ちるハプニングも。。
こういう、いわゆる「失敗」という事は起こさない主義の ぬえなのですが、そして万が一そんな事が起きれば今ごろ頭をかかえて引き籠もっているはずなのですが。。
まあ、今回は勇み足というか、勢い余ってというか。。自分で笑ってしまいました。
幕に入って師匠にお礼を申しあげるのですが「あ、あの。。落っこっちゃいました。。」と申しあげたところ、師匠も「お前。。大丈夫かぁ?」と。。笑いをこらえながら。。

でも、あちこち、ちょっと荒削りな能になっちゃいましたね。細かいミスは多かったと思います。夏の『二人静』の正反対の出来になりました。
ぬえは飛んだり跳ねたり、切能が大好きですけれども、今回はアクロバティックな工夫をし過ぎてしまったかも、です。もう少し冷静に、思い切りよく出来るように。。つまり稽古が足りないのだと思います。
切能を面白く見せる以上、確実な成果がなくては話になりません。1週間経ったいま、そういう自戒を考えております。

さて、この秋の早い頃、ぬえは京都に行く機会がありまして、それならば、と能『舎利』の舞台になった泉涌寺を訪れてみました。今回はその画像がメインのご報告です。

トップ画像が例の「舎利殿」で、泉涌寺では塔ではないのですね。「天井を蹴破り」まさにそういう描写が似合う(と言ってはお寺に失礼か)伽藍でした。残念ながら内部は通常は非公開でしたが、同門の先輩は拝観して、仏舎利と、その横におわします韋駄天もご覧になった事があるののだそうです。



で、舎利と韋駄天の像の実際はこんな感じ(拝観した際に購入した絵葉書を転載させて頂きました)。





韋駄天、優しいお顔なんですね。能とはちょっと雰囲気が違うな。

この「み寺」にはもう一つ大切な宝物があって、それが「楊貴妃観音」です(絵葉書より転載)。



これは舎利とともに宋から伝来した十六羅漢のうちの一体で、その表情の美しさから現在「楊貴妃観音」と呼ばれていますが、能『舎利』の中でワキが「大唐より渡されたる十六羅漢。又仏舎利をも拝み申さばやと存じ候。」と言っているように舎利と同等に往古より拝された著名な仏像であるようです。

さて。。最後に『舎利』についてとっておきのお話しをひとつ。。

じつは京都東山・泉涌寺蔵の仏舎利について、奇妙なお話しがあるのです。

それは『園太暦』(えんたいりゃく)という南北朝期の公家の日記で、そこに泉涌寺の仏舎利ほか寺宝が盗難に遭った事件があり、不思議な展開によってそれらが寺に返された、というもの。

この記事を知ったのは『観世』誌 昭和57年12月号に載る『「舎利」をめぐって』という座談会の記事の中で神戸大学の熱田公教授が紹介されたのを見たからで、ちょっと図書館で調べてみました。

『園太暦』は「続群書類従完成会」によって翻刻されていましたが、ぬえが行った国立能楽堂の図書室には『園太暦』はあったものの、『観世』誌に紹介された記事が載っているはずの「巻六」は蔵書がなく。。 仕方なくオンラインで調べてみたところ、国文学研究資料館が高知県立大学蔵の写本『園太暦抄』の影印本を公開しているのを発見しました。

かなり大変でしたが記事を探した結果、当該の記事は『観世』誌で紹介された「延文四年二月」ではなく同年(1356)三月十二日の条でした。

目次に「三月十二日 泉涌寺ノ舎利盗人之ヲ取ル 重テ出現ノ事」とあるのがその記事で、この目次と併せて ぬえがヘタな読み下し文でご紹介すると。。

三月小
十二日 天ノ傳聞 今日臨時ノ舎利會ヲ修ス。是件ノ御舎利 去月紛失シ、今月一日出現ス 之ニ依テ臨時ヲ修スト云々。
今月泉涌寺舎利會ノ事當寺ノ佛舎利ハ名声世ニ被リ利益他ニ異ル。而シテ今年二月盗人ノ為ニ紛失ス。廿七日付見之寺事破損之重代財宝及佛舎利多ク以テ紛失ス)今月一日不慮ニ出来リ給フ。(其子細ハ一日丑ノ刻カ)後ノ山立桂松其ノ外炬火(注=きょか=松明のこと)多クシテ高声ヲ以テ御舎利ノ事尋ネ出ス事有リト。衆僧早ク是ヲ請取ル可キ旨之ヲ示ス。僧衆恐怖ヲ成スと雖モ少之遂ヲ以テ山中ニ向フ。件ノ御舎利松樹ノ上ニ奉案シ其辺立明自余ノ財宝同ク其辺ニ積置リ。十六羅漢、種々ノ唐繪、珠幡己下(=以下)寺家ノ重宝車二両許リニ積ム程之ヲ運置シ、一部ノ物ヲ着タル小袴ノ男一人出来タリ、此ノ御舎利己下尋ネ出シ奉ル事有リ。依テ返シ渡ス所也。此ノ内少々定テ不具ノ事有ルカ。其ノ條強テ尋ネ沙汰スルニ及ブ可ラズ。若シ糾明ヲ致サバ寺家ノ為損容有ル可キカ云々。僧衆殊テ其ノ旨ヲ存ス可シ。曾テ(=かつて)沙汰ニ及ブ可カラザル之由返答ス。此ノ間山中ニ弓箭兵杖ヲ棒ル曾(勇カと注記あり)士宛モ僧衆旁傷ニ備ル心ス。然ルヲ而無為ニ請取ル事ハ家ノ大慶 衆僧高逆左右ニ能ハズ。此事寺辺謳歌ス。件ノ強盗、近辺悪徒ノ所為勿論カ。而ヲ件ノ盗人張本二人不慮ニ欠当(=決闘)損フ。今恐怖之度(ところ)八歳ノ小女ニ御舎利依託シ早寺家ニ返ス可シ。之ヲ然リトセズンバ急損己ニ後悔ス可キカ之由之ヲ言間、此ノ事ニ依テ返シ渡シ奉ル所故ニ出来カ。末代ト雖モ不可説ノ奇特ナル者乎。寺家此ノ事ニ感徹シ臨時ノ舎利會ヲ行フ。(或舎利會ハ毎年九月也)其儀早旦件ノ御舎利ヲ以テ禮ノ間ニ出シ奉リ、此ノ処ニ於テ衆儀梵讃、錫杖己下種々此用舞楽人参向 音楽ヲ奏シ、御舎利ヲ渡シ奉リ法塔ニ於テ衆僧囲繞、舞人壱ニ婁絶其曲、法塔ニ於テ相従シ奉リ、舎利講ヲ修ス。寺僧覚曾、導師ノ為式之次ニ頗敬白之子細有云々。先ズ依テ奇代之事ノ為ニ傳聞ヲ以テ之ヲ勤ム。

すいません、一部読み下すことができない部分はそのままに掲出しました。

。。それにしても、とても興味深い内容です。
現代語訳を付してもよいのですが、前掲『「舎利」をめぐって』で熱田教授が解説しておられる表現が秀逸なので、そちらをご紹介させて頂きましょう。

これは延文四年(1359)といいますから、世阿弥が生まれます四、五年前ですね。泉涌寺の舎利が盗まれるという事件がございました。この舎利とか、十六羅漢などの宝物が、すっかり寺の倉庫から盗まれたのです。舎利はもちろん最も大切な寺の宝物ですから、それが盗まれたということで、大騒ぎをしていたところ、数日後の夜中に、泉涌寺の裏山で、「舎利が見付かったぞ」という大きい声がするわけです。そこで寺の僧が見に行くと、舎利は松の木の上にちゃんと安置してあり、十六羅漢や、その他の盗まれた宝物は、二両の車に積んで置いてある。そこへ一人の男が現れ、「少し足らないかもしれないけどお返しする。これ以上あんまり追求するとためにならんぞ」というような啖呵を切って引き上げたというのです。あとで判ったことですが、盗んだのは近所の者らしく、この張本人二人が喧嘩を始め、二人共死んでしまうということがおこったのです。他の残った者が、どうしたらいいかとおののいていると、舎利が八才の少女に乗り移り、早く寺に返さなければ一味全部が死んでしまうと言うわけです。いわば託宣ですね。そういうことがあって、それで返す、その方法として、夜中に裏山へ、ということらしいのです。

『太平記』に記された、釈迦入滅時に足疾鬼が牙舎利を奪って逃げ、それを韋駄天が取り返した、という。。これは日本で生まれた物語であり、それとは系譜を別にしながら、牙舎利を伝えるという泉涌寺に起きた盗難事件と不思議な奇譚が存在するのですね。そしてさらにそういう不思議な話を統合した印象を持って能『舎利』がお客さまを楽しませる舞台として編まれる。そうでありながら能『舎利』には「信仰の深さ」という厳然としたテーマがあります。ただのショーとさせないぞ、という作者の意気込みが伝わってくるかのよう。

なんだか今回はまとまりがありませんが、そういう長い歴史の中で培われ、育て上げられた「壮大な童話」を、ちゃんと信仰を土台に敷いて能『舎利』を作り上げた名もなき先人に、ぬえは敬意を表したい、と そんな気持ちで舞台を終えました。なんだか気持ちがハッピーになる、そんな能なのではないかと思います。

【この項 了】


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