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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

殺生石/白頭 ~怪物は老体でもやっぱり元気(その18)

2009-05-11 01:25:15 | 能楽
玄翁道人にコンコンとお説教をされて改心した狐は(←ムーパさんへのコメントで思いついて我ながら気に入った)、自分の往古からの悪行を懺悔して。。というか謡の感じでは得意満面に悪行を自慢しているようにも聞こえるけれども。。で、さらにこの那須野でついに矢傷を負って命を失った有様を仕方話で演じます。

おおっとその前に、後シテの面「野干」に触れておきながら、装束について書くのを忘れていました。

常の『殺生石』では後シテの面・装束は次の通り。

面=小飛出、赤頭、赤地金緞鉢巻、襟=紺、着付=段厚板、半切、法被、縫紋腰帯、修羅扇

これが「白頭」の小書がつくと次のように替わります。

面=野干または牙飛出、白頭、袷狩衣(衣紋着け)、あとは同じ。総体白式にも

面白い装束付けですね~。狩衣を「衣紋」と呼ばれる、胸を開くような特殊な着付方で着るのは、『養老・水波之伝』や『船弁慶・前後之替』『三輪・白式神神楽』など、比較的重い小書の場合に多く例があるほか、常の能でも『絵馬』の後シテが衣紋着けにすることがあります。

そして白式。。『三輪・白式神神楽』を引き合いに出すまでもなく「白式」は白ばかりの装束を取り合わせて高貴、清浄を表す手法なのですが、どうもそれだけの意味合いではないらしい。『融・白式舞働之伝』という、『融』のシテの意外な側面を見せる演出に白式が使われることもありますし、『船弁慶・重キ前後之替』には好んで白式の装束にされることが多いように思います。

それでも『三輪』は別格として、貴公子の『融』や、また『船弁慶』の後シテも化け物とはいいながら、知盛は敦盛や経正と同じく平家の公達なので白式にはまだ納得がいく。しかし『殺生石』のシテは本来的に悪業を重ねてきた「悪者」なのであって、これが白式の装束を身にまとうのは、ほかの曲とはちょっと違う意味でしょう。

だけれども、なぜか『殺生石』の「白頭」には白式は似合います。ぬえも今回は白式にするつもりで師匠と相談しようと思っています。不思議だ。。たとえば『土蜘蛛』の後シテが白頭を着て白式になるのはどうも合わないでしょう。同じく『紅葉狩』にも似合いません。

おそらく『殺生石』が白式にできるのは、劫を経た老狐の老獪さの強調になるからで、その上に注意しなければならないのは、『殺生石』の後シテは懺悔のためにその姿を現したのだということ。『土蜘蛛』や『紅葉狩』など、武士と闘争する役目なのではなく、『殺生石』ではシテが内に秘めた力が強大であるほど、それが懺悔の姿として登場して、ワキに両手をついて辞儀をすることで逆説的に仏法の慈悲が浮き彫りになるのではないか? と ぬえは考えています。

もっとも『善界』など、少数ではありますが「白頭」の小書を持ち、その際に装束を白式にする選択を許す曲もあります。これらの曲が『土蜘蛛』などと同じく舞台で闘争を繰り広げるのに白式が成立する理由は、おそらく『土蜘蛛』と違って闘争の相手が武士ではなく僧だからでしょう。僧は白刃を交えることはしません。そうなれば舞台上では悪者が一方的に威勢を奮うことになり、相手の僧はひたすら祈り伏せ、調伏するのみ。それでも僧が勝つことによって暴力よりも仏法が勝利することが印象づけられ、これは本質的に『殺生石』と意味合いが重なるのではないか? そんなふうに ぬえは考えています。

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