ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

気仙沼弾丸ツアー(その7=行きはよいよい帰りは。。)

2012-05-17 02:10:31 | 能楽の心と癒しプロジェクト
牡蠣を美味しく頂き、いよいよ ぬえは東京に帰る時刻が近づいてきました。さあて出発するか、というそこに思わぬ連絡が。。「JR大船渡線が昨夜の大雨の影響で止まっています」(゜_゜;) え?

このとき海底清掃ボランティアの中にもスケジュールの都合で横浜に帰る人が2人ほどありまして、すでに対応策がまとまっていました。早っ。でもその案はフェリーで気仙沼市街まで戻ったら、そこから一ノ関までタクシーを利用する、というもの。ん~。。貧乏ボランティアの ぬえにはちと厳しいかも。ってんで、ぬえは大船渡線の代行バスを期待して、気仙沼駅に行ってみることにしました。

とりあえずボランティアさんの車に便乗させて頂いてフェリー乗り場まで。。なんですが、昨日地元の方に頂いたワカメと昆布がとんでもない分量で、もう荷物はとても一人で運ぶことはできなくなっていました。フェリー乗り場に着くとすぐに乗船券を買い、それから荷物の一つを宅配便で自宅に送るためと、それから滞在中お世話になりっぱなしだった菅原さんにご挨拶をするために乗り場前のコンビニ「グリーンアイランドおおしま」に行きました。菅原さんはご一家。。奥様やお嬢さん、そのご主人もおられました。この若夫婦さんは昨日の公演にもいらっしゃっていましたが菅原さんのお嬢さんだったんですね! なんとこのお二人はずっと日舞のお稽古をしておられるそうでした。

そうこうしているうちに、先ほど別れたばかりのボランティアの面々もこのコンビニに到着。なんでも海底清掃が中止になった代わりの活動として、亀山に上って砂利を土嚢袋に詰めるのだそうです。ぬえにはよく分かりませんが、牡蠣の養殖に使う筏の錘? になるらしい。もとより陸上作業を想定していなかったダイバーのボランティアさんですから、作業の前にいろいろと用具の買い出しにいらしたようです。

「海をつくる会」の坂本リーダーと菅原さん、ぬえらも加わって、なんとなくそれぞれの活動の報告会と今後の打合せのようになりました。そんな中で、この8月に大島のこの「浦の浜」で花火大会が行われる、という話が出ました。しかもその期日が ぬえたちが8月に活動を予定している日程の中にうまくはまっている。。これは能の公演を組み込んで頂かない手はありませぬ。ああ、いやいや、この少し前に ぬえは菅原さんの奥様から「今度は夏に来てくださいねぇ。8月ならウニがどっさり獲れますからご馳走できますのにねぇ」と言われたから花火大会に公演の受け入れをお願いしたワケではありませぬ。決して! 。。でも考えてみると、打ち上げられた花火って。。トゲトゲのウニに似てるよねえ。(=^0^=)

そうこうしているうちに乗船時刻が迫ってきました。荷物の一つを宅配便で送る手続きを済ませて、でも装束は手で運ぶことにして。それと、生鮮食料品である、頂き物のワカメと昆布も手で運ぶのですが、こうしてくると だんだんと頂き物の重量が身体にこたえてきます。。

そこに! 菅原さんから駄目押しのひと声が! 「昨日の昆布の茎ね。ぜひこれ、持って帰ってくださいな!」と追加の頂き物をしてしまいました。

大島から気仙沼市街までの船。。行きと違って天気にも恵まれ、船中から見る気仙沼港の有様は、やはり陸上から見るよりも遙かに、復興に向けて厳しい状態が続いていることを伺わせます。と思ったそのとき、船もぐっと速度を緩めました。どうやら海上の漂流物を避けて航行するために慎重に航路を探っているようです。見れば、なんと数十メートルの長さの帯状になって、昨日の風雨のために海に落ちたのであろう流木やらが固まって浮いていました。

。。これを見た ぬえには、去年から今年にかけて気仙沼で聞いた恐ろしい話が蘇ってきました。気仙沼では3.11の日、地震のあとに津波の来襲を予期した漁師さんたちは、港に停泊していた船を海上に向けて走らせたそうです。津波の際は陸上よりも海上の方が危険が少ないのだそうで、そのために船を出したのですが。。それはそれは恐ろしい事態に陥ったのだそうです。津波の影響でしょうか、海上には大きな潮の流れができて、船は翻弄されたのだそう。海上の瓦礫に火がついて一面の火事の中、一晩ずっと潮の流れに乗って気仙沼湾を何周もめぐらされた船。。また仲間の漁船と出航して、うまく沖に出たと思って振り返った漁師さんが、いつの間にか自分の船一艘だけになってしまっていると気づいた話。。海上に出来た大きな渦に飲み込まれる漁船を目の当たりにした話。。

。。こんな現実離れした話が、1年前にここで本当に起こったのです。。