気仙沼大島にある「総合開発センター」での公演は、大雨と強風という悪条件の下でしたが、大勢のお客さまがお出でになって頂き感激でした。広い体育館に響き渡っていた屋根を打つ激しい雨音も上演時刻には少しおさまってきたようです。
この日は横浜から海底清掃のために参加する「海をつくる会」「ともに浜をつくる会」(海をつくる会と同じように横浜を拠点として、こちらは潜水をするのではなく砂浜の再生活動を展開している団体。気仙沼大島への支援活動を一貫して行っておられます)の一行も参加の予定でしたが、大雨とGW渋滞のために到着が大幅に遅れ、一部のメンバーが到着したところで能『羽衣』を上演。終演後は恒例の装束着付け体験も実施し、終演は閉館ぎりぎりの午後9時になっていました。
急いで装束を片づけて宿となっている「椿荘」さんへ。ところがこの頃届いた情報で、「海をつくる会」のみなさんは大島に渡る最終のフェリーに乗り遅れてしまったのだそう(!)。ええ~~っ! 大島の菅原さんなどの助言もあって、大島に渡るためには定期航路のほかにも舟をチャーターしたり、海上タクシーみたいなものを使う方法もある(!)そうでしたが、なんせ一行はバスを仕立てて移動しているもので、結局一行は気仙沼市街で一夜を明かすことになりました。ここからが大した行動力で、女性など一部のメンバーのために地元の議員さんの事務所を借りて宿舎としたそうです。それでも大部分はバスの中で車中泊。ま、ようするに宴会場が旅館ではなく気仙沼の復興商店街と車中に予定が変わっただけ、という説もあったようですが。(^◇^;)
そのおかげで(?)ぬえは大部屋泊の予定が個室を頂いちゃいました。ついでに一行の夕食(宴会)の料理が丸々残ってしまって、これをおつまみに「海をつくる会」の先発隊(トラックで移動していた機材班)としばし宴会。このメンバーは面白い人たちばかりでした。機材班だけあって元・自衛隊員とか現役レスキュー隊員とか、強者ぞろい。水つながり、なのか、釣り師さんも常駐メンバーにおられまして、こういう潜水はせずにもっぱら陸上班として活動する方もおられます。
しかし伺ってみると海底清掃というのは大変な作業ですね。手作業で海底のゴミをひとつひとつ拾ってくるのです。やっぱり武勇伝というものもあって、両手両足に計4本のタイヤをぶら下げて海面に運んだメンバーの話なども伺いました。こうしてみると意外に大変なのは陸上班かも。おそらく漁船などを使って海上にゴミを引き上げて、これを陸上に運ぶのでしょうが、舟に大きなゴミを引き上げるのは重労働でしょう。
さて1日に3回の公演があった ぬえはお先に休ませて頂き、その翌朝の5月4日。天気は回復に向かっていました。宿からすぐ下の方に浜辺が見えていたので、まずはそこに行ってみることに。
じつはこの2日前に一ノ関から大船渡線で気仙沼に向かった際、初めて見る車窓からの景色に目を奪われました。桜が咲いている! 。。これは桜ではないですね、杏かな~?
でもその向こうには土台だけになった家屋の跡が無惨な姿をさらしていました。
嵐が過ぎ去りつつあるけれども荒波が打ち寄せる海岸も、防波堤が破壊されている姿が痛々しく、これは去年9月に南三陸の泊浜で見た堤防よりも甚大な被害を受けてしまったようでした。
震災から1年が過ぎたというのに車も積み上げられただけで放置されたまま。
宿に戻って朝食を頂くと、やがて「海をつくる会」の本隊が早朝のフェリーに乗ってようやく到着。作業についてのミーティングが行われていました。
この日は横浜から海底清掃のために参加する「海をつくる会」「ともに浜をつくる会」(海をつくる会と同じように横浜を拠点として、こちらは潜水をするのではなく砂浜の再生活動を展開している団体。気仙沼大島への支援活動を一貫して行っておられます)の一行も参加の予定でしたが、大雨とGW渋滞のために到着が大幅に遅れ、一部のメンバーが到着したところで能『羽衣』を上演。終演後は恒例の装束着付け体験も実施し、終演は閉館ぎりぎりの午後9時になっていました。
急いで装束を片づけて宿となっている「椿荘」さんへ。ところがこの頃届いた情報で、「海をつくる会」のみなさんは大島に渡る最終のフェリーに乗り遅れてしまったのだそう(!)。ええ~~っ! 大島の菅原さんなどの助言もあって、大島に渡るためには定期航路のほかにも舟をチャーターしたり、海上タクシーみたいなものを使う方法もある(!)そうでしたが、なんせ一行はバスを仕立てて移動しているもので、結局一行は気仙沼市街で一夜を明かすことになりました。ここからが大した行動力で、女性など一部のメンバーのために地元の議員さんの事務所を借りて宿舎としたそうです。それでも大部分はバスの中で車中泊。ま、ようするに宴会場が旅館ではなく気仙沼の復興商店街と車中に予定が変わっただけ、という説もあったようですが。(^◇^;)
そのおかげで(?)ぬえは大部屋泊の予定が個室を頂いちゃいました。ついでに一行の夕食(宴会)の料理が丸々残ってしまって、これをおつまみに「海をつくる会」の先発隊(トラックで移動していた機材班)としばし宴会。このメンバーは面白い人たちばかりでした。機材班だけあって元・自衛隊員とか現役レスキュー隊員とか、強者ぞろい。水つながり、なのか、釣り師さんも常駐メンバーにおられまして、こういう潜水はせずにもっぱら陸上班として活動する方もおられます。
しかし伺ってみると海底清掃というのは大変な作業ですね。手作業で海底のゴミをひとつひとつ拾ってくるのです。やっぱり武勇伝というものもあって、両手両足に計4本のタイヤをぶら下げて海面に運んだメンバーの話なども伺いました。こうしてみると意外に大変なのは陸上班かも。おそらく漁船などを使って海上にゴミを引き上げて、これを陸上に運ぶのでしょうが、舟に大きなゴミを引き上げるのは重労働でしょう。
さて1日に3回の公演があった ぬえはお先に休ませて頂き、その翌朝の5月4日。天気は回復に向かっていました。宿からすぐ下の方に浜辺が見えていたので、まずはそこに行ってみることに。
じつはこの2日前に一ノ関から大船渡線で気仙沼に向かった際、初めて見る車窓からの景色に目を奪われました。桜が咲いている! 。。これは桜ではないですね、杏かな~?
でもその向こうには土台だけになった家屋の跡が無惨な姿をさらしていました。
嵐が過ぎ去りつつあるけれども荒波が打ち寄せる海岸も、防波堤が破壊されている姿が痛々しく、これは去年9月に南三陸の泊浜で見た堤防よりも甚大な被害を受けてしまったようでした。
震災から1年が過ぎたというのに車も積み上げられただけで放置されたまま。
宿に戻って朝食を頂くと、やがて「海をつくる会」の本隊が早朝のフェリーに乗ってようやく到着。作業についてのミーティングが行われていました。