まさか…祥人さんが…
師家を通じて能楽協会から各能楽師に送られたファクスを見て愕然…
22日深夜、「急性大動脈解離」という病気で関根祥人さんが急逝されたそうです。
祥人さんは流儀の中では ぬえより少し先輩に当たる(芸歴で言えば大先輩)方で、ぬえは書生修業時代が おおよそ重なります。お家が違いますので催しでご一緒する機会こそほとんどありませんでしたが、流儀主催の若手能楽師の研鑽会のような場ではよくご一緒させて頂きました。
正直、当時は「おっかない先輩」という印象が強かったですね。ぬえは まだまだ学生気分が抜けていないナマクラ書生でしたのに対して、祥人さんをはじめとしてその世代の先輩方は、みなさん競い合うようにご自分の舞台に厳しく向き合っておられたからでしょう。
その後 それぞれ書生の立場から独立して、先輩後輩の立場こそ違え、同じ一人前(?)の能楽師同士、という関係となりまして、なぜかそれから祥人さんと楽屋でご一緒する機会も増えてきたように思います。書生時代とは もうお互いに立場も変わりましたし、祥人さんは能楽協会の公的な立場でも活躍されていましたし、頼れる先輩、という感じでした。
そして今年。2月に行われた鎌倉能舞台さん主催の「乱能」(能楽師がそれぞれの専門の役割を取り替えて演じる催し)で ぬえは能『邯鄲』の小鼓のお役を頂きましたが、そのお相手の大鼓が、なんと関根祥人さんでした(!)
乱能というのは、専門のお役では達人であっても、それ以外の分野の役を勤めることによって、勝手が違って 思わぬ失敗が飛び出したりで、お客さまにとっても抱腹絶倒の能です(中には意図的に ふざける人もいますけれども)。しかしまた一方では、専門ではないはずのお役でも専門家並…あるいはそれ以上? という技量を示す方もおられまして、そういう方は「いっぺんこの役を舞台の上でやってみたいな~」などと考えていたり。かく言う ぬえもその一人で、ぬえの場合は長く習った小鼓が得意ですし、打つのも好きなので、こういう乱能の機会はとってもうれしかったりします。
そうして出来上がってきた番組を拝見して、能のお相手が祥人さんと知ってびっくり。そして実際にお舞台でお手合わせをしてみて、祥人さんの大鼓の技量にこれまたびっくり。これは主催者の中森貫太さんの采配で、マジメに役を勤めたい人を集めて囃子方を編成したのでしょう。とは言えそれだけではマジメ一方すぎて舞台におもしろみがないので、シテや子方、ワキなどの立ち方の配役を工夫したり…これは番組を作るのは大変だったことでしょう。ぬえとしても囃子の面白さを満喫させて頂いた、幸福な催しでした。
もうひとつ、祥人さんについては変わったエピソードを知っています。もう、今から10年ほど以前になるでしょうか、流儀の機関誌のような存在の月刊誌『観世』の中に、「能楽クロスワード」が連載されていました。問題が出されて、その解答をマスに埋めると、新たな字句が浮かび出てくる、というアレですが、問題は能楽に関するものに限られていました。これがまた、ぬえなど能楽師にとってさえ激ムズの難問揃いで、ものすごい知識量で問題が作られているな…と感じてはいたのですが、あるとき楽屋でその話題になって、関根祥人さんが設問を作られている、と聞きました。関根祥人さんは、身体の利く舞台でも知られていましたが、知識としても相当な勉強家だったのですね。
真摯に、能に一途に生きた関根祥人さん。間違いなく現代の観世流を代表する演者だっただけに、急逝は本当に惜しまれます。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。 合掌