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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

殺生石/白頭 ~怪物は老体でもやっぱり元気(その16)

2009-05-08 01:52:06 | 能楽
おワキが幕に向かって謡うとき、「急々に去れ去れ」というところで払子を床に音を立てて突きます。おワキのお流儀によっては、作物が出されている場合にはこのとき払子を作物の石に向かって突く型をすることもあります。

。。じつは。玄翁道人が那須野の殺生石を教化したとき、その杖をもって石を打ったところ、殺生石は粉々に砕けて諸国に飛び散った、と御伽草子の『玉藻の草子』にあります。なるほど、現在 那須野の殺生石の史跡には大石はなく、ゴロゴロとした小さな岩がいくつもあるだけですが、能の作物として出される大きな石は、この能のワキである玄翁道人によって すでに砕かれてしまったのですね~。ちなみに、最近ではほとんど聞かれなくなってしまいましたが、かつてはカナヅチのことを「ゲンノオ」と呼ぶことがありました。この呼称は殺生石を砕いた玄翁道人が使った道具。。って杖なのですが、それから由来している言葉だったりします。

さてワキが教化の言葉を謡い終えて脇座に戻ると、囃子方は「出端」(では)と呼ばれる登場音楽を演奏します。この「出端」という登場音楽は後場に登場するシテ、あるいはツレ(あるいは子方)が登場するときに、広く演奏されるもので、すこぶる急調の『高砂』からシッカリ、ドッシリとした感じの『実盛』まで、その演奏のスピード(位、と呼び慣わしています)もかなり多岐に渡りますし、また曲により「越」と呼ばれる小段を挿入するかどうか、など演奏上の小異を持つバリエーションもいくつかあります。『殺生石』の場合は「一段」と呼ばれる 二部構成の「出端」となり、「出端」の中では割とシッカリ目に演奏されますが、わけても「白頭」のときは常の場合よりも もうひとつシッカリとした位になります。

後シテはこの出端を幕の中で聞いていますが、このときシテは幕の内側にピッタリと張り付くような位置で床几に腰を掛けています。幕のすぐ内側にいるのは、シテが囃子を聞きながらそれに合わせて謡うため、幕の内側でも囃子に少しでも近く、また謡う声が見所によく響くように、という意味でしょう。実際のところ、幕の内側では橋掛りの距離だけ離れた囃子方の演奏はかなり遠くに聞こえます。ましてやシテは面や白頭などを頭に着けていて、さらに大声を出して謡いますので、その分囃子方の演奏はよく聞こえなかったりするのです。

小書がついた能の場合、登場する前に幕の内側に立つことは 割と例が多いと思います。『養老・水波之伝』とか『小鍛冶・白頭』では幕の内側にシテが立つと幕を半分だけ巻き上げて、シテの登場の前にその下半身だけを見所に見せたりしますね。小書がない能の場合でも『石橋』や『望月』ではこれと同じ演出が採られていて、曲の位が重い場合の演出ということができると思います。また『船弁慶・前後之替』『重キ前後之替』では『殺生石・白頭』と同じくシテは幕内で床几に腰掛けて、やはり幕を半分巻き上げてシテの顔まで見せます。これは『養老』『小鍛冶』『石橋』『望月』などと違って、登場する前に幕内でシテが謡う場面があるから、下半身だけではなく顔まで見所に見せるのでしょう。

一方『殺生石・白頭』では登場の前にシテが謡うのに、幕を巻き上げて姿を見せることはありません。つまり床几に腰を掛けているシテの姿は見所からはとうとう見ることができないのです。それは、あくまで『殺生石』では石の中から声が聞こえてくる、という設定だからにほかならず、小書がつかない常の『殺生石』の場合でも、後シテは作物の石の中で最初のシテ謡を謡うのです。

後シテ「石に精あり。水に音あり。風は大虚に渡る。
地謡「形を今ぞ現す石の。二つに割るれば石魂忽ち現れ出でたり。恐ろしや。


シテも地謡もシッカリとした位で謡い、「二つに割るれば」という文句で地謡は突然急調になり、同時に幕を揚げてシテが走り出、舞台の中央で二足に飛び上がり、またまた床几に腰を掛けます。要するにこの瞬間に殺生石が二つに割れて怪物が姿を現すわけで、常の『殺生石』でも同じ文句のところで後見が石の作物を左右に押し割って、シテはその中から姿を現し、その場(一畳台の上)で床几に腰掛けます。