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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

師家蔵・古いSP盤のデジタル化作戦(その2)

2006-09-20 23:16:58 | 能楽
師家 家蔵のSP盤のリストは完成して、ぬえの友人の研究者と師匠にそれぞれお渡しして内容を吟味して頂く事となりました。いろんな発見もありましたね。

師家所蔵のSP盤の発売元は以下のようなレコード会社。
ニッポノホン、日本コロムビア、日本マーキュリーレコード、日本ビクター、能楽名盤会、ポリドール、ヒコーキ(GODO PHONOGRAPH CO.LTD.)、スタークトンレコード、キングレコード、日本放送録音(株)。

現在でもCDを発売する会社(やっぱり、現代でも「レコード会社」って呼んでいましたかね?レコードなんて作っていないのにね~)もあれば、ニッポノホン、ヒコーキなんて、当時は「ハイカラ」なネーミングであっただろうけれど、今となってはレトロな風情が漂う会社もあります。研究者によれば、この2社は当時は比較的有名なレコード会社だったらしいけれど、スタークトンレコードというのは現在残っているレコード盤の中でもレアな会社であるようです。

この研究者によれば、大正時代と昭和に入ってからの謡曲の録音は、同じSP盤なのに、録音技術も、発売された目的もかなり性質が異なっているのだそうです。いわく、まず技術面では大正時代はようやく「電気録音」が始まったような時代で、それ以前までは蓄音機の原理の逆で、録音機器のラッパに向かって演奏をして、その空気振動を針で直接レコードの原盤に刻むのだそうです。もちろん音質はよくなく、謡など声楽の場合は怒鳴るような音量で録音しなければならなかったのだとか。電気録音の技術が確立されて、ようやくマイクロフォンを使った録音ができるようになったのだそうです。

そういえば、洋楽の分野ではマイクとPA技術が発明されたことによって、それまでのオペラのような歌い方ばかりでなく、ささやくような歌い方でもコンサートでも充分に観客の耳に届くようになって、現在に続くポピュラー音楽の発展の基礎となった、と聞いたことがあります。能の場合もそれとちょっと似たような事はあって、明治以後に能楽堂が造られるようになってから、それまでの屋外での演能よりも謡の微妙なニュアンスがよく伝わるようになったそうです。そしてそのために様々な技巧も凝らされるようになったし、なにより繊細な表現を追求することで、上演時間が長くなる傾向が始まったのだ、という見解もあるようですね。

また、謡曲のレコードが製作・発売された目的も大正と昭和では異なる傾向があるのだそうで、大正時代には囃子が入った「番謡」(番囃子)の録音が多いのに、昭和に入るとほとんどが囃子を伴わない素謡や独吟などの録音なのだそうで、これはこの研究者によれば、おそらく昭和になってからは「謡曲の稽古をするお弟子さんが、自宅での稽古の参考とするための範吟として購入する事をねらって発売されたのだろう」ということで、それに対して大正時代以前は純粋に観賞用として能が上演されている雰囲気をそのまま記録するために、囃子を入れた番謡が多いのだろう、ということでした。

なるほど、録音テープなどなく稽古も口移しなのが当たり前の時代に、何度も再生できるSPレコードは、自宅での自習の教材としては画期的だった事でしょう。ぬえは内弟子としての稽古を始めた頃、ちょうどビデオが普及した頃でしたが、それでも「ビデオがない時代は、能楽師はどうやって自分の型のチェックをしていたのかなあ」と思ったものですが。。ビデオも録音もない時代。。およそ想像がつかない。

世阿弥は「離見の見」を持つことが重要、と書いています。けだし名言。