あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の正月 ~ 元日の初詣に那覇の町を歩く ~

2019年01月25日 19時21分57秒 | Weblog
 今年の元日の初日の出は見ることはできなかった。
昨夜の予報では雨か曇りだったから、半ばあきらめて布団に入った。
 この数年、「紅白歌合戦」は登場する歌手も歌も馴染みがあるものが極端に少なくなったので観ることはなかった。
しかし、今回は平成最後の紅白歌合戦だと一部始終観た。 
「ゆく年くる年」を観ながら、神棚と仏壇に手を合わせた。
深夜1時をまわっていたろう。
 目覚めたときは7時半過ぎだった。
カーテンを開けるとどんよりしていた。
「この分だと初日の出は無理だったな」と半ば安堵した。

 10時過ぎに空が明るくなった。時折、青空も見えるようになった。
ベランダに出てみると暖かな南風が吹いていた。
三社詣りするには時間が足りない。
今日の初詣だけでもやっておきたい。
近くに神社はないか、ネットで調べた。近くにはない。
と、そこで気になる記事が目に止まった。
「三社詣りは、特に西日本で今でも盛んに行われている」というものだった。
特に、九州。それも福岡で・・・。
初耳だった。全国的にに行われている普遍的なものだと信じていた。
 時計は既に正午をまわっていた。
それなら初詣、「波上宮」なら間に合う。
身支度を整え、バス停に向かった。
この時分には、温度も上がり、風もなく、心地よい春日和となっていた。

 ゆっくり街の正月風景でもたのしみながら散策気分で歩いてみようと思った。
58号線まで出て、那覇ゆきのバスに乗った。
正月でもバスは5分と待つことはなかった。
30分ほどできょうの歩きの起点に考えていた農林中金前に着いた。
バスを降りて、久茂地交差点を右に回る。
近年、開通した那覇空港への海中道路へと繋がる「商業高校通り」である。
商業高校通りには観光ポイントの「福州園」「松山公園」がある。

 那覇商業高校。
NHK朝ドラの「ちゅらさん」の主役をを演じた「国仲涼子」の出身校でもある。


 海に向かって歩く。那覇商業高校の隣り合わせに松山公園。「ちゅらさん」が撮影された公園でもある。
右が松山公園。左が福州園。


 松山公園。


 福州園入口。


 300mほど進むと「若狭大通り」との交差点に出た。
この交差点を直進すると海中トンネルに入る。
那覇空港への最短ルートで、数年前に開通した。


 途中で見つけた並木に絡ませた蘭「デンファレ」
すっかり根付いていた。


 この交差点の一角に、那覇中央郵便局跡地がある。
整地された場所を見て、改めて広大さに驚いた。


 ここからは目当ての「波上宮」は近い。
交差点を左に折れ、若さ大通りに入る。
大通りから裏通りに入ると静かな住宅街である。
時が止まったような、開発の手が入っていない静かな住宅地である。


 参道に出て右に折れた。
参道の歩道に長い行列が目に飛び込んできた。参列者の列!
大きな神社ではないので、「参拝までには2時間はかかるな」と覚悟せねばならなかった。
 30分ほどで大鳥居をくぐり抜けることができた。
これから一段一段と石段を上る。


 漸く、参拝を済ませ、新しい御札や破魔矢を手にしたときは、列に加わって2時間ほど経っていた。
カメラは手に持ってはいたが、写真を撮る状況ではなかった。
石段の端に並ぶ屋台を横目に下った。
数年前までは屋台のたい焼きや太鼓焼きを買って食べたものだ。
一番のたのしみだったが、いつの間にか興味も失せていた。

 帰りは58号線へと真っ直ぐに延びる参道を歩いてみることにした。
沿道はクロキの並木になっていた。延々と58号線まで続いているのには驚いた。


 琉球料理の料亭として老舗「うらしま」に出くわして、これまた驚いた。
いつも58号線からばかり入っていたから、まさかその先に波上宮があるとは想像だにしてなかった。


 58号線に出ると右手はモノレール旭橋駅だった。
那覇バスセンターと隣接している。左がバスセンター。



旭橋駅をくぐってバスセンターに出た。
バスを待つ間、見るとはなしに周囲を見回していて、ふと気がついた。
どこにも正月の雰囲気がない。
日の丸の旗も、門松も、しめ縄も見なかった。見なかったというより気付かなかった。
それほど数が少なくなっているのかもしれない。
 本土では、昭和の頃は各戸とも日の丸を掲げ、小さくても、貧素でも玄関にはしめ縄が飾られていた。
貧しい家庭でも、ミニチュアの門松を玄関の両柱に飾っていた。
道行く車という車は車の鼻先にしめ縄をくくりつけていたし、タクシーやバスなどは日の丸の小旗をあしらっていたものだ。

 30年前、沖縄に来た頃は沖縄は旧正月を祝っていた。
本土の正月風景とは違っていた。
段々と本土並みに日の丸や門松やしめ縄を新正月に飾られるようになった。
車もしめ縄をつけるようになっていた。
きょうは1台もそうした車を見かけなかった。
スーパーの売り場にも小さなしめ縄はない。

 本土なら心地良い春の気温だろう午後のバス停で考え込んでしまった。
クリスマスではバカ騒ぎし、クリスマス・イブでは街中がキンキラキンに飾り付け不夜城のように輝く。
誰もがクリスマスを祝う。
クリスマスとはキリスト教徒の聖なる日であろう。馬鹿騒ぎして祝うものなのかと不思議に感じたものだった。
ハロウインに至っては話にならない。何のための祭など知る由もない。
そろそろ、バレンタインデー。街中の店でチョコレートで溢れるだろう。
日本の祭事は姿を消してゆくのになぜだ。

 いつの間に、日本人は日本という故郷を忘れたのだろうか。
10数年ほど前、テレビで見たドキュメンタリーの番組で、アナウンサーがひとりの若者に訊ねた。
「今、日本が戦争に巻き込まれ、戦う羽目になったらあなたはどうしますか」
若者は応えた。
「自分たちを守ってくれないような国ならどこかに逃げ出します」
脳天を叩かれたような衝撃を受けた。
今でも、あの衝撃的な場面を忘れることはできない。
それからというものと、安全保障とか、外交とか、平和と民主主義とかを視点を変えてで考えるようになった。

 バスが来た。
取り留めのない思考から開放された。
 一番好きな席は運転手の横の最前列である。
バスの前輪の上にある席だから揺れは直接に体にくる。
だが、この席が好きだ。何時間座っていても飽きない。
きょうはこの席に座れた。
正月の道路は空いていた。
バスが国際通りに入ると流石に観光客で賑わっていた。
通りをゆく人々の服装や顔立ちからして中国系と思われる人々が多かった。
波上宮でも前後左右には中国語が目立った。


 バス停で降り、いつもの公園では子供たちの元気な声がしていた。
半袖半ズボンの夏姿だ。
本土なら春先の気候だ。走りまわっているには寒くは感じないだろう。
この自由で平和な生活を守るのは、今の大人たちだ。
「戦争が起きたら日本を逃げる」と云った若者も、今は父親になっているだろう。
今、質問したら同じように答えるだろうか。
「俺がやらなきゃ誰がやる」
そうした日本古来の日本男児の意気は捨ててほしくはないな、と思った。




波上宮の周辺地図




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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは☆ (ベル)
2019-01-25 22:10:31
戦争が始まったら・・・考えてしまいますねぇ~
子供の頃、戦争に行った筈の父からは、あまり戦争の話は聞いてません。
8歳までは生きていたので、話してたら記憶は残ってるだろうと思いますが、
母の話では、父はあまり戦争の話はしなかったそうな(^^ゞ
義母の再婚相手の方は、戦争に行った事を、酒を呑むたびに語ってました。

父が軍医の、助手的な仕事をしていた話は、聞いた事が有ります。
その軍医さんは、家の近所にお住まいで、末期癌の父を看取ってくれました。
父の主治医で親友でしたが、もう治療法もない時代で、
苦しむ父を見て、60年前に安楽死でしたね。
父は戦争が大嫌いだったと、母が言ってましたね。
戦争の経験がないままで、人生を終えたいですね(*^^*)
長文失礼しましたm(__)m
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おはようございます (siawasekun)
2019-01-26 02:28:48
素敵なショットと解説から様子、雰囲気などが伝わってきました。

とても珍しい色々なショット、見せていただき、siawase気分です。

人生、ストレス解消のため、日々、ブログ関係活動など好きなことをするといいですね。
応援ポチ。
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Unknown (mari)
2019-01-26 06:56:20
noratanおはようございます!
毎朝の日課でご訪問しているので朝しか
気が付きませんでした。
お正月の初もうでのお話詳しくnoratanらしく
書かれていて良かったです。
やっぱりnoratanは詩人ですねぇ~
こちらの元旦の朝はとっても晴れていて
寝坊した私は初日の出を見られなかったので反省しています。
紅白はなんだか若者のあらしみたいで
みませんでしたよ。
でも、時々はパソコンをしながら見ていました。
最後の松任谷由美さんが良かったです。
返信する
ベルさんへ (noratan)
2019-01-26 10:29:23
 終戦の時、4歳でした。空襲をおぼろげながら覚えています。
 朝鮮戦争が始まった時は9歳で小学校4年生でした。郷里小倉には米軍基地がたくさんあり軍用車が日常的に往来していました。その米軍トラックに満載の韓国軍が「勝ってくるぞと勇ましく・・・」と日本の軍歌を歌っていました。
 中学2年の頃、理科の先生は特攻兵の生き残りでした。厳格な先生で笑うところをみたことはありません。男らしくて好きでした。頭のテッペンをコツンと殴られるげんこつは痛かった。
戦争のことは、一切口にしませんでした。
 就職したときの最初の所長が、インドシナ半島での悪名高いインパール作戦の陸軍中尉でした。
一度だけ、お酒によってインパール作戦の話を涙と憤り混じりに話してくれました。
私をはじめ社員たちは涙して聞き入りました。
「戦争だけはしちゃいかん!」と語り終え、以降、一切、戦争の話はしませんでした。
 30歳のとき、新興団地の建売住宅を購入し、町内会の副会長を努めたことがあります。
そのときの町内会長は陸軍軍曹で、戦地は中国でした。
ふたりっきりになると、よく戦場の話をしてくれました。
あるときは涙し、あるときは膝に握りしめた拳を置き、語ってくれました。
「戦争だけはしちゃいかん!」が口癖でした。

 長くなってしまいました。
今から、ブログにお邪魔しま~す

返信する
siawasekunさんへ (noratan)
2019-01-26 10:37:07
今日は冬日です。
最高が19℃。これでも冷たく感じます。
今日あたり、大雪じゃありませんか。
そちらから穂高や槍ヶ岳は見えますか。
御岳は・・・?
 早速のコメントありがとうございます。
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mariさんへ (noratan)
2019-01-26 10:51:41
 日記なのでくどくど書いてしまいました
詩人なんてお恥ずかしい
でも嬉しいですね
風貌は為五郎ですけど

 紅白歌合戦も時代と共に変わるのですね。
今回、意外な発見をしました。
なかなか面白い、含蓄のある歌詞があることに気づきました。
「歌はなあ、歌詞とメロディー、そしてリズムだ」なんて、わかったような御託を並べていました。
よくよく聴いてみると、いい曲がありますね。
・・・・でも馴染めない
返信する
noratanへ (hiro)
2019-01-30 08:25:31
おはようございます。
久し振りのブログですが、またまた力作ですね・・・
mariさんは詩人と言われていましたが、私は、小説家と呼びたいです。
私は、興味がないんで紅白は観ませんでした。
孫とお母さんは遅くまで観ていたようです。
初日の出は、写真を撮りに空港に行き1番機を撮って来ました。
「波の上」は懐かしいです。
ここは良く行きました。
「海中トンネル」は知りません。
ブログを懐かしく読ませていただきました。
ありがとうございます。

追伸:昨日は朝早く出て、夜はデータの整理でコメントが今日になりました。m(_ _)m
返信する
hiroさんへ (noratan)
2019-01-30 11:11:28
 自慢のお嬢さんも紅白歌合戦を一緒に楽しむお母さんになりましたか
一度もお目にかかったことがないのですが、洋子さんから聞いていました。
いい正月でしたね
 沖縄を股にかけていたhiroさんなら、変わり様に今浦島太郎でしょうね

 コメントのお返しなんて何時でもいいことですよ
ドンマイ、ドンマイ
返信する
おはようございます (siawasekun)
2019-02-02 03:02:04
ブログやインターネットなどでの情報を活用して、より良い生活をしたいものですね。

ブログのコメント交流、コミュニケーションで、心あたため合い、いいものですね。

応援ポチ。
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▼o・_・o▼コンニチワ♪ (すた)
2019-02-07 12:44:57
初詣、すごい人ですね~
私、初詣って行ったことがないんです。
50数年、年末年始は夫の田舎で過ごします。
田舎では初詣の習慣はありません。

>どこにも正月の雰囲気がない。
私も感じています、昔は大きな家の門や銀行などには大きな竹の門松、
戸建てやアパートにも松飾りがありました
今はお店は勿論、銀行にもスーパーにも門松、松飾りはありません。
勿論、車もつけていません。
祝日に立てていた日の丸の旗も今は立てません 
伝統や習慣は薄れてきましたよね~

少数、飾っている人たちは、スーパーや百均で買っています
夫の友人の鳶職さんは年末、駅前や道ばたに小屋を建て
松飾りを売っていましたが、今は止めました
大事な年末収入だったのに・・と嘆いていました。
もう10年も前の話です。

クリスマスやハロウィンは、大騒ぎのイベント・・
バレンタインは女性からの愛の証ではなく
高価なチョコレートを食べる日に・・
私も普段、売っていない高価なチョコレートを買って家族で食べます。
noratanのブログ中身が濃くて、いつも楽しみにしています

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