あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄と平和~基地の町沖縄~

2008年12月02日 08時48分38秒 | Weblog
「平和、平和、平和」沖縄の空港に降り立った瞬間から、この地は戦争の記憶と記録に溢れている。
平和への渇望。それは本土のわれわれが計り知れないほどだ。
写真は毎年、糸満市魔文仁の「平和祈念公園」傍で開催される「糸満平和の光」イルミネーション。


 漫画喫茶で好きなコーヒーを飲みながら、たくさんの漫画を自由に選んで暇な時を過ごす。
 「ジパング」という数巻からなる漫画がある。
日米共同演習のためハワイに向かう自衛隊のイージス艦が、嵐の中、タイムスリップして太平洋戦争に巻き込まれるというストーリーだが、なかなか読み応えがある。
この中で、ある軍人が、
「太平洋戦争を始めたのは陸軍でない、世論だ。世論は作り上げたのはマスコミである」
というくだりがある。大変感銘を受けた。
 誰かの所為にするのは簡単だし、楽だ。しかし、それでは、世の中は良くならない。間違いは正せない。われわれの生活は保障されない。
 昨今のマスコミと重なって仕様がない。
自らの理論や考えを「世論」という言葉に置き換えて、堂々と言い切る。
入試問題で読みを書きなさいと出ている時分に、「ヨロン」と臆面もなくテレビやラジオで喋っている程度だからマスコミを信じてはいけない。
われわれは、マスコミの報道や論説は正しいと無抵抗に受け入れ過ぎている。
 若い頃だった。日本は再軍備すべきか否かと騒がしい時代であったが、周囲には戦場経験のある先輩や上司がいた。諸先輩の意見は真っ二つに分かれていた。
再軍備反対者は、
「武器を持ったら使いたくなる。持たなければ、戦争は出来ない。話し合いで解決すべきだ」
という。
再軍備賛成を唱える人は、
「武器を持たないから無理難題を押し付けられる。腕力のない無抵抗な老人や女、子供が暴力の被害に合わないか。逆だろう。話し合いに引っ張り出すための力だ、軍備だ」
という。
賛成者も決して戦争礼賛者ではない。
「戦争だけはやってはいけない。どんなに悲惨なものか。言葉では云えない」
戦場経験者は戦場で体験した事は口にしない。
お酒の場で、ぼそぼそと語ることがあるが、一人の先輩から2度も3度も聞いたということはない。しかも、体験を語るときは寡黙になる。だが、その言葉で重い。
「戦争はやっちゃいけない」
と誰もが言った。
 再軍備論者はすべてが戦争賛美者みたいな決め付け方は、一億総火の玉となった太平洋戦争前夜と同じだ。マスコミの論調は再軍備反対であり、再軍備賛成の論者の意見は殆ど取り扱わない、まるで、それが世論のように。戦前に似てはいないか。
そうして作り上げられてゆく社会が怖い。争鳴百家、様々な議論が飛び交う社会でなくてはならない。

12月に入ると沖縄のあちこちでイルミネーションが輝く。
おだやかな冬の光はしあわせな安らぎを感じさせる。