バナナの花は最初に見たときは大きさに驚くだろう。芭蕉はその樹形からバナナと見分けるのがむつかしい。観光バスの車窓からは、馴れないうちはバナナと芭蕉の見分けがつかない。民謡「二見情話」で有名な二見に行ったとき、真近かに芭蕉の花と実を見て驚いた。バナナの花と実を小さくしたもので、形状は全く同じであった。
前号で沖縄県の人たちに県外の人に押し付けてはいけないと、旅人の心情から触れた。
後先になるが、旅人にはその土地に足を踏み入れたとき、最低限守らなければならないエチケットとルールがあることに触れよう。
一番多くて不愉快なものが沖縄と日本というように表現する時である。
「沖縄はおかしいよ。日本ではーーー」だという表現である。40歳代以上の人に多い。
沖縄が戦後長い間、米軍政下にあったとき、同じ日本でありながら、沖縄を往来するにはパスポートに代わる「身分証明書」が必要であった。その名残であろうが、沖縄県民は本土復帰にどれだけの期待をしていたか。まるで外国扱いである。
このような無神経さは基地問題を論議する時に顕著になる。
「沖縄がいくら反対しても、地理的条件から言っても、アメリカサイドから見ても沖縄が一番いい。基地反対なんて言っても無駄だよ」
と沖縄の地で沖縄の人を相手に平然と言ってのける。
「27年間、異民族支配に堪えてきた。なのに復帰しても何ら変わらない。それどころか、仕方ないだろう、我慢しろ」というのかと県民は怒る。
だから、県民の多くの人はアメリカ下の施政をあまり言わない。
「日本政府は、ナイチヤーは沖縄の痛みを知らない」と憤慨する。
同胞という意識からくる期待に裏切られた所以だと思う。
日米安保の是非論をどうこう言っているのではない。その前に、米軍基地が日本全体のの75%を占めている沖縄の現状認識と痛みを理解してくれと言っているのだ。
こんなこともあった。
那覇市松山の客筋のいいスナックでの話。
ずいぶん前のことであるが、恰幅のいい、しかしどことなく傲慢な感じのする紳士風の男が入ってきた。
カウンターには4,5人の客がいた。その男はひとりでママ相手に飲んでいたが、近くにいたわたしに声をかけた。ナイチヤーとみたらしい。
「沖縄の酒の飲み方はかわっているなあ。家に帰ってシャワーを浴びて、食事を済ませてから飲みにでるという。だから、飲み始めは9時ごろになる。そして、深更まで飲んでるそうな」という。沖縄に来て間もないらしい。
「そうだよ。健康的でいい。タクシー代も安いし、気楽に家を出て、いつでも帰る事ができる。終電なんてないからね」と応えた。
「酒の飲み方としては外道だ。内地じゃあ飯を食う前に酒を飲み、そして最後に飯を食う」と声を荒げた。
外道!皆さんどう思います?
「外道なんて失礼じゃないですか。あなた、お国はどこですか」むっとした。
「栃木だ」確かにそう言った。群馬だったかもしれない。
「本土すべてがそうじゃないでしょう。あなたのお国の習慣でしょう」
「いや、そうだ。大体、沖縄のーーー」と下らない自説をふりまわした。
「家は貧乏だったが、母からしっかり言われた。すきっ腹の酒はうまいというけれど、そんな酒飲みの飲み方はするな、せめて、肴をつまみながら飲まなくてはいい酒とは云わない」
まあこんなやりとりをして、居づらくなったのか、すごすごと帰って行った。
いい客になるのかもしれないのにと気付いてママに謝った。ママ曰く、
「あんな客はいらない。うちの店はいい客だからあんな人が来るとみんな嫌がる」
少しはほっとしたが、すまないと心底思った。
地方には独自の文化がある。
自分の地域の文化が全国共通であると認識している連中の多い事に、沖縄に来て初めて気付いた。狭い世界で生き、狭い視野しか持ち合わせていない連中だ。
自分もその一人であった事を、今、深く恥じている。
前号で沖縄県の人たちに県外の人に押し付けてはいけないと、旅人の心情から触れた。
後先になるが、旅人にはその土地に足を踏み入れたとき、最低限守らなければならないエチケットとルールがあることに触れよう。
一番多くて不愉快なものが沖縄と日本というように表現する時である。
「沖縄はおかしいよ。日本ではーーー」だという表現である。40歳代以上の人に多い。
沖縄が戦後長い間、米軍政下にあったとき、同じ日本でありながら、沖縄を往来するにはパスポートに代わる「身分証明書」が必要であった。その名残であろうが、沖縄県民は本土復帰にどれだけの期待をしていたか。まるで外国扱いである。
このような無神経さは基地問題を論議する時に顕著になる。
「沖縄がいくら反対しても、地理的条件から言っても、アメリカサイドから見ても沖縄が一番いい。基地反対なんて言っても無駄だよ」
と沖縄の地で沖縄の人を相手に平然と言ってのける。
「27年間、異民族支配に堪えてきた。なのに復帰しても何ら変わらない。それどころか、仕方ないだろう、我慢しろ」というのかと県民は怒る。
だから、県民の多くの人はアメリカ下の施政をあまり言わない。
「日本政府は、ナイチヤーは沖縄の痛みを知らない」と憤慨する。
同胞という意識からくる期待に裏切られた所以だと思う。
日米安保の是非論をどうこう言っているのではない。その前に、米軍基地が日本全体のの75%を占めている沖縄の現状認識と痛みを理解してくれと言っているのだ。
こんなこともあった。
那覇市松山の客筋のいいスナックでの話。
ずいぶん前のことであるが、恰幅のいい、しかしどことなく傲慢な感じのする紳士風の男が入ってきた。
カウンターには4,5人の客がいた。その男はひとりでママ相手に飲んでいたが、近くにいたわたしに声をかけた。ナイチヤーとみたらしい。
「沖縄の酒の飲み方はかわっているなあ。家に帰ってシャワーを浴びて、食事を済ませてから飲みにでるという。だから、飲み始めは9時ごろになる。そして、深更まで飲んでるそうな」という。沖縄に来て間もないらしい。
「そうだよ。健康的でいい。タクシー代も安いし、気楽に家を出て、いつでも帰る事ができる。終電なんてないからね」と応えた。
「酒の飲み方としては外道だ。内地じゃあ飯を食う前に酒を飲み、そして最後に飯を食う」と声を荒げた。
外道!皆さんどう思います?
「外道なんて失礼じゃないですか。あなた、お国はどこですか」むっとした。
「栃木だ」確かにそう言った。群馬だったかもしれない。
「本土すべてがそうじゃないでしょう。あなたのお国の習慣でしょう」
「いや、そうだ。大体、沖縄のーーー」と下らない自説をふりまわした。
「家は貧乏だったが、母からしっかり言われた。すきっ腹の酒はうまいというけれど、そんな酒飲みの飲み方はするな、せめて、肴をつまみながら飲まなくてはいい酒とは云わない」
まあこんなやりとりをして、居づらくなったのか、すごすごと帰って行った。
いい客になるのかもしれないのにと気付いてママに謝った。ママ曰く、
「あんな客はいらない。うちの店はいい客だからあんな人が来るとみんな嫌がる」
少しはほっとしたが、すまないと心底思った。
地方には独自の文化がある。
自分の地域の文化が全国共通であると認識している連中の多い事に、沖縄に来て初めて気付いた。狭い世界で生き、狭い視野しか持ち合わせていない連中だ。
自分もその一人であった事を、今、深く恥じている。