のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

小学校の校庭で行われた<中津納涼祭>

2016-07-31 19:17:22 | 日記

 北区の広報誌を見てたら、<中津納涼祭>というのがあって、30日に(昨日)、中津小学校の校庭で行われるとのことだった。

 昨日は午前中はちょっとした用事で出掛けたが、夕方からは空いていたので、ブラリと出掛けてみることにした。

 納涼祭は5時開始とのことだったが、私は30分くらい遅れて小学校に着いた。

 

 中津小学校の校庭には、小さいながら盆踊りの櫓が組まれ、提灯がぶら下げられていた。

 少しだけれど屋台も出ていて、当然ながら、子どもたちの姿が目立つ。 (子どもたちを見ていると、それだけで楽しくなる。)

                   

 

 

                 

 

 

                  

 

      

 

 

 建物の前に設けられた簡単なステージでは、太鼓の演奏が行われていた。

               

 

                  

                   

                  

 

 

 

 しばらくして、盆踊りが始まった。

 初めはキッズの踊りで、その後大人の方も加わられた。

             

 

                  

 

 

          

 

 

           

 

 

                  

 

 

 

 盆踊りの曲は、生憎、私の知らないモノばかりだった。

 立ちっぱなしで足も疲れてきたので、私は終了時間を待たずに、小学校を後にした。

 学校の門のところで振り返って写真を撮った。 その写真で、来た時よりはずい分辺りが暗くなっていることに、初めて気付いた。

                

 

 

                 

 

 


母が逝って、早や‥

2016-07-29 20:32:34 | 日記

 今日(7月29日)は、母の24回目の命日だ。 

 私は、7人兄妹の末っ子。

 私をかなりの高齢で生んだ母は、私を教育しようなどという気はさらさら無く、私は思いっきり甘やかされて育った。

 もちろん、戦後の物資不足の中で、7人の子どもを育て上げなければならない母(父も)の苦労は並大抵なものではなく、経済的には

 決して恵まれてはいなかった。 (と言うより、ズバリ、貧しさの中で育った。)

 でも私は、家族、とりわけ母の愛情だけは、有り余るくらいいっぱい受けて育ったと思う。

 思い返してみても、私は母に叱られたという記憶がない。 (たしなめられるくらいのことは、あったかも知れないけれど‥)

 そのせいで私は、とびっきりの「甘ちゃん」に育ってしまった。

 困難を乗り越える力に欠け、なんとも頼りない人間に‥。

 でもその代わりに私は、人を信じる心だけは持ち合わせた人間になれたのではないか‥と思っている。

 そしてそれは、無条件に私を愛してくれた、母のお陰だと思う。

 

 私は、この歳になっても、時々心の中で、「お母ちゃん!」と呼びかけることがある。

 そして幸せな気持ちになったり、時に涙ぐんだりする。

 

 

 ふるさとにも咲いていた、百日草と酔芙蓉の花を見ながら、母を想う一日です。

          

 

                     

 

       

 

                       

        

 

 

 

 


東洋陶磁美術館の<宮川香山展>

2016-07-29 20:27:08 | 日記

 今、中之島の「東洋陶磁美術館」で、<宮川香山(ミヤガワ・コウザン)展>が行なわれている。

 

 宮川香山氏については、ちょっと前の「日曜美術館」で紹介され、私はこの時、氏についても氏の作品についても、初めて知った

 香山氏は、1842年の生まれ、1860年には家督(窯元)を継がれ、作陶に専念される。

 そして1866年には、幕府から御所への献上品の制作を依頼される程の実力の持ち主となられた。

 明治時代になって、彼は独自の研究によって<高浮彫(タカウキボリ)>の技術を習得され、その作品は、パリ万博で「金牌」を受賞する

 など、世界の注目と絶賛を浴びることとなった。

 

 しかし私は、テレビで彼の<高浮彫>の作品を見たとき、正直、「技術的には素晴らしいんだろうけど、こんなゴテゴテしたのは、私

 のみじゃないな‥。」と、不遜にも思ったのだった。

 なので、(東洋陶磁美術館は、私のマンションから地下鉄2駅で行ける便利な所にあり、私たち高齢者は、アリガタイことに無料で入

 館できるにも拘わらず) 私はこの展覧会に行こうとは思わなかった。

 しかし、展覧会の終了期日(31日)が迫った昨日、ちょっと暇な時間ができたこともあって、私は突如やっぱり行っておこう!と思い

 直した。

 それには、展覧会に行かれた友だちの誰しもが、香山氏の作品の素晴らしさに感動し、私にもぜひ行くように勧められたことも影響し

 ているのだけれど‥。

 

 とにもかくにも、28日の午後、私は東洋陶磁美術館に向かった。

 東洋陶磁美術館は、地下鉄淀屋橋駅を降りて市役所前の道を通り、「中央公会堂」を過ぎると、すぐその向かいにある。

          

       中央公会堂の塔と、その上の真夏の空

               

 

 

 駅から美術館まで、そう長い距離があるわけではないけれど、熱せられたコンクリートの道を歩くのは、やっぱりかなり辛かった。

 なので、冷房の効いた美術館に入って外を眺めると、窓越しの緑がとりわけ涼しさを感じさせてくれた。

                

               美術館正面側                           裏側 (堂島川に面した側)

 

 

 

 いよいよ、宮川香山の展示会場に入った。

 展示は、彼の初期の作品に始まって、その後は、彼の名を世界に知らしめた、華麗な<高浮彫>の作品の数々へと移っていく。

 しかし実物を見ても、彼の<高浮彫>の作品への私の感じ方は、テレビで見たときと変わらなかった。

 あれほど複雑な造形を創り上げることは、確かに至難の技で、それを見事にやり遂げられた香山氏は、素晴らしいのだと思う。

 でも、出来上がった作品は、私の肌には、やはりなじめなかった。

 (次は、展示会の中で、撮影を許可された高浮彫の作品4点です。 全体の中では地味めなものでしたが、参考のために載せてお

 きます。)

            

 

 

            

 

 

               

 

 

 

 しかし、香山氏の作品は、高浮彫で終わったわけではなかった。

 次の展示室では、彼が家督を次代に譲られた後、更に自分の道を究めるために研鑽を積まれ、創り出された新たな<陶磁器>の

 作品の数々が、展示されていた。

 それらには、高浮彫のような華やかさはないものの、深みを増した香山氏の世界が表現されていて、私は、こちらの方がよっぽど好

 きだった。

 (それらの作品が絵葉書にでもなっていれば記念に買いたいと思ったけれど、絵葉書は高浮彫の作品ばかりだった。)

 でも、こういう作品も創られたことを知り、実際にその作品を見ることができたことで、私はこの展覧会に来てやっぱり良かったなあ!

 と思った。

 

 展覧会を後にして地下鉄まで歩く途中の、土佐堀川沿いの建物の写真を、最後に。

                   

                

                  

 

 

 


(朝ドラ「とと姉ちゃん」のモデルとなった) 「暮しの手帖」編集長・<花森安治氏>のステキな世界

2016-07-25 19:24:26 | 日記

 先日の「日曜美術館」では、「暮しの手帖」の編集長として辣腕をふるった、<花森安治氏>が取り上げられていた。

                   

 

 

 私は、「暮しの手帖」の存在は知ってはいたものの、本を買って読んだこともなく、<花森安治氏>について詳しいことは全く知らな

 かった。

 この番組を見て、私は、<花森氏>の紡ぎ出された「絵」と「ことば」に、強い衝撃と深い感動を覚えた。

 

 「暮しの手帖」の創刊は、終戦後まもなくの1948年。

 会社を興したのは、大橋鎮子氏(とと姉ちゃんのモデル)で、編集長が花森安治氏だ。

         

           大橋鎮子氏(1920~2013)

 

 

 花森氏は、「暮しの手帖」の編集を手掛ける一方、表紙の絵や本の中のイラストも描かれた。

 私は、1948年という戦後の混乱も治まらぬ中で、花森氏が描かれた表紙の<優しさ><温かさ><斬新さ>に、強く心を打たれ

 た。

                

                   創刊号の表紙                            1949年7月号

 

                         

                                   1949年10月号

 

 

 もちろん表紙だけでなく、「暮しの手帖」の中味は、庶民の暮らしを大切にし、それを少しでも豊かにすることを目指したものだった。

 ある時は、リンゴ箱から椅子を作ったり(女性でも簡単に作れる方法を示したり)して、庶民が少しでも暮らしを楽しめるようにした。

         

 

                  

                        ソースのいろいろを可愛い絵で示している。 

 

 

 

 「暮しの手帖」がこのような雑誌になったのは、「日々の暮らし以上にかけがえのないものはない。」という、花森氏の固い信念

 に依るものだった。  

 そしてその信念は、花森氏自身の戦争中の苦い体験から生まれたものだった。

 花森氏は大学卒業と同時に召集されるが、病気のため除隊となり、その後は「大政翼賛会」の要望に応えて、次のような戦争協力

 のポスターを、正しいと信じて制作されたりもした。

                   

 

 

 

 1945年8月15日正午に終戦の詔勅を聞かれた花森氏は、その後あてどもなく街をぶらつき、次のようにつぶやかれる。

                 あの夜 もう空襲はなかった   もう 戦争はすんだ

                 まるで うそみたいだった

                 なんだか ばかみたいだった   へらへらと笑うと 涙がでてきた

 

 

 そんな思いの中から、花森氏のゆるぎない信念が生まれたのだ。

             美しいものは いつの世でも お金やヒマとは 関係がない

             みがかれた感覚 まいにちの暮らしへの しっかりした眼と そして絶えず努力する手だけが、

             一番うつくしいものを いつも作り上げる

 

 

 このことばを聞いたとき、私は自らをかえりみて、深く恥じ入った。

 なぜって、私の今の暮らしぶりは、彼のこのことばの真逆と言ってもいいようなシロモノだからだ。

 まあ、自分のことはさて置き、彼の言われることは、全くもって正しく素晴らしいことだ!と思う。

 

 

 次は、花森氏の仕事場(机)と、彼の制作風景。

                 

                   

 

 

 

 その中から生まれた、「暮らしの手帖」の表紙・2点。

         

 

 

 

 その後、花森氏の表紙は、写真を使ったモノ、女性を描いたモノへと、発展する。

 そして、そのいずれもが、とても斬新で個性的なのには、本当に驚かされる。

       

 

                  

 

                   

 

 

 

        

 

         

 

                     

 

 

 花森氏は、このような素敵な絵と大切な言葉をみんなに残して、1978年、66歳で逝去された。

 花森氏が提唱されたことは、現代の私たちにとっても、とても大切なことだと思う。

 彼の絵と言葉は、今でも色褪せず、と言うか、ますます輝きを増しているように思った。

    

               


Mさんと<日洋展>へ

2016-07-25 10:51:02 | 日記

 一昨日(23日)は、朝のラジオ体操&散歩のあと、Mさんのお誘いを受けて、天王寺の大阪市立美術館地下で行われている<日洋

 展>を観に行った。

 

 (が、日洋展の前に、朝の散歩の時に見つけた「チョウセンアサガオ」の実が珍しかったので、花と一緒に載せておきす。)

             

                チョウセンアサガオの実                            花

 

 

 

 <日洋展>のことは私は今まで知らなかったが、Mさんのお知り合いの方が所属し、今回も出展されているというので、一緒に行か

 せてもらうことにしたのだった。

 私は絵を描くのはカラキシ駄目だが、人の作品を観て、アレコレ(自分勝手な)批評をするのが、大好きなのだ…。(エヘヘ)

                      

 

 

 

 Mさんのお知り合いの方の絵は、色彩と構図がいいなあ♪と思った。

               

 

 

 

 その他に私が気に入った作品を、次に載せさせていただきます。

            

 

 

          

 

 

                

 

               

 

 

 

 Mさんと私は、展覧会の後<はるかすダイニング>で食事とお喋りをし、その後はあべのハルカス16階からの展望を楽しんだ。

 大阪のビル群と生駒山の上に、入道雲がモクモク湧き立つ、真夏の空が広がっていた。

             

 

 

 

 


真夏の日差しを浴びる、朝の公園と淀川べり (2)

2016-07-24 17:06:28 | 日記

 梅雨が明けてから淀川の堤防に上がるのは、昨日が初めてだった。

 淀川の上には、真夏のスカッとした青空が広がっていた。

               

 

 

               

       土手には野生の萩の花がもう咲いていた。

 

 

 

 堤防の野草も朝日を受けている。

                

 

 

 

 

 秋の七草の一つの葛が、いろんな所で、旺盛に繁茂している。

            

 

 

 

 

 新御堂の高架をくぐって、JRの橋の手前まで来た。

 JRの橋脚辺りの淀川の水面は、朝陽でキラキラ輝いていた。(うまく写真には撮れなかったけれど‥)

                      

 

               

 

 

 

 

 昨日は、このJRの高架橋辺りで、疾走するモーターボートの姿を、初めて見つけた。

               

               

 

 

 ジャンプに失敗して沈没! でも再び気を取り直して!

                

               

 

 

 

 

 再度、青空の写真と、淀川の岸近くの、水とヨシの情景。

              

 

 

             

 

               

 

               

 

 

 

 

              

 

 

 

                 

      


真夏の日差しを浴びる、朝の公園と淀川べり (1)

2016-07-24 16:17:39 | 日記

 昨日(23日)の朝の中津公園の上には、真夏の青い空が広がり、植物たちは強い陽射しを浴びていた。

                      

 

              

 

 

 

 

 陽射しを受けて、サルスベリの花も、松の葉も、ネコジャラシの穂も、輝いている。

 公園の影は濃さを増していた。

               

 

 

             

 

 

 

 

 ケヤキ並木は、その陰影を濃くしていた。

              

 

               

 

 

 

 

 いつもの、芙蓉と向日葵。

                

 

 

                

 

 

               

 

 

 

 


ふるさと自慢!?

2016-07-22 18:56:49 | 日記

 私の故郷は、島根県・益田市。

 私はその故郷で高校卒業までを過ごし、その後大阪に出て来た。

 今では、大阪での生活が、故郷で過ごした年数の3倍ちかくになってしまった。 (齢がバレちゃうナ…(^_^;))

 

 島根県は一つの県ではあるけれど、東部の「出雲地方」と西部の「石見地方」では、いろいろな意味で全く異なっている

 東部の出雲地方は、出雲平野が広がり、出雲大社や松江城、宍道湖などもあって、文化的にも経済的にも割と豊かな土地だ。

 それに対して西部の石見地方は、「石」を「見る」と書いて「石見(いわみ)」と言うとおり、山から海までの距離が短く、ほとんど平野ら

 しい平野が無い。

 それは豊かな耕作地が無いことを意味し、石見は全体的に貧しい土地だ。

 私の生まれ育った益田市は、その石見に属する。

 なので、私も貧しさのなかで育った。

 (私の反骨精神は、そんな生活の中で培われたのかも知れない。)

 

 話がずいぶん横道にそれてしまったが、今でも故郷・益田では、2人の姉がそれぞれの家族と一緒に暮らしている。

 その姉たちから、6月から7月にかけて、故郷の名産品が送られてくる。

 その一つが、<アムスメロン>。 (これは6月に、それぞれの姉から1箱ずつ送られてきた。)

                

 

                 

 

 

 このアムスメロンが、私の<ふるさと自慢>の一つ目。

 メロンには何万円もする高級なものもあるが、我がアムスメロンはそれ程高くもないのに、味はピカ一なのだ!(と、私は思ってい

 る。)

 

 

 私の<ふるさと自慢>の二つ目は、故郷を流れる清流・高津川で獲れる、<鮎>だ。

 高津川は、「清流日本一」に何度もなったことのある、清らかな川だ。

 そこで獲れる<鮎>の美味しさは、当然ながら格別なものがある。 

 川魚がお嫌いな方は首をかしげられるかもしれないし、私も他の川魚は余り好きではないけれど、高津川の鮎は本当に美味しい。

 首を長くして待っていた私のもとに、今日その鮎が送られてきた。

 箱を開けると、氷で冷やされた、14匹の鮎が入っていた。

                

 

                

 

 

 私は早速2匹を塩焼きにして食べ、あとは2匹ずつに分けて冷凍した。

                    

                   (写真の撮り方が悪く、一見イワシのように見えますが‥)

 

 

 「香魚」と呼ばれるにふさわしく、鮎は独特の香りと味で、今日も私を幸せにしてくれた。

 

 二人の姉上、故郷の素敵な味を今年もありがとうございました♪

 

 

 


梅雨明け直前の、中津公園の花etc

2016-07-21 15:00:35 | 日記

               ~17日、又々久しぶりに行った中津公園で、ラジオ体操のあと撮った花など~

                 

                      

                 

 

 

              

 

 

 

              

 

 

 

           

 

 

 

                     

 

                       

 

                            

 

                 

 

 

 

 

 

       


国立国際美術館の、<始皇帝と大兵馬俑展>

2016-07-20 20:52:23 | 日記

 <アート・アクアリウム展>の会場を出た私は、堂島川を隔ててすぐ向かいに、「国立国際美術館」があるを知った。

 今、国立国際美術館では、<始皇帝と大兵馬俑展>が行われている。

 

 ずい分前になるが、テレビ番組で、発掘された<兵馬俑>を見たとき、居並ぶ兵馬俑の膨大な姿に、圧倒されたのを覚えている。

 しかも数えきれないほどの兵馬俑のどれ一つとして、同じものはないのだという。 一体一体が、皆異なっているのだそうだ。

 

 現場で見ることができない私にとって、今回の<始皇帝と大兵馬俑展>は、見ておきたい展覧会の一つだった。

 そこで、アート・アクアリウム展の後、私は堂島川を渡って、国立国際美術館に向かうことにした。

 

 堂島川を渡ろうと橋に近づくと、橋のたもとに次のような説明書きがあって、美しい立派な松の木があった。

               

 

                    

 

                

 

 今は現代的なビルが林立するこの中之島界隈も、江戸時代には諸藩の蔵屋敷が建ち並んでいたのかと思うと、何か感慨深いもの

 があった。

 

 

 いよいよ橋を渡って、国立国際美術館に入る。

         

 

 

 

 国立国際美術館の展示場は、地下にある。

 エスカレーターで地下の展示場へ向かった。

        

 

 

 

 展示場に入った私は、(壇蜜さんがナビゲーターをされている)音声ガイドを聞きながら、展示物を見て回った。

 歴史に強くない私にとって、今回の音声ガイドはとっても有益だった。

 展示物は、当時の装身具や武具などから始まり、兵馬俑の展示へと続いていく。

 展示物はどれも当時の技術の高さを感じさせるもので、私は単純に「昔の人はスゴイなあ!」と感心した。

 中には思わず写真を撮りたくなるものもあったが、もちろんそれはグッと我慢して、撮影を許された兵馬俑のレプリカだけ撮った。

                      

 

               

 

         

 

 

 

 <始皇帝と大兵馬俑展覧>を見終った私は、夕食をとるために「リーガ・ロイヤルホテル」に向かった。

 ホテルのロビーの淡い緑の照明がキレイだったので、写真に撮っておいた。

               

 

 

 

 

 


<アート・アクアリウム展~金魚の艶~> 4)

2016-07-18 22:36:45 | 日記

 3)の続きです。

          

 

 

 

            

 

 

 

             

 

 

 

 

 思う存分写真を撮って満足した(また疲れもした)私は、休憩場を通って、更に上の階に上がり、そこから下を見下ろした。

            

 

 

 

 最後に、上から見下ろした展示会場の写真を、3枚。

               

 

 

               

 

 

             

 

 

 

 

 


<アート・アクアリウム展~金魚の艶~> 3)

2016-07-18 22:28:53 | 日記

 更に先に進むと、光と金魚が織りなす世界をダイナミックに表現した、今回の展示の中で、一番大がかりな展示場に着いた。

 そこでは、光が次々と色を変え、それに伴って、水槽の金魚たちの色も表情も変わっていく。

                

 

 

              

 

 

 


 

 

               

                             

 

 

                     

 

 

 


 

 

 

                 

 

 

                

 

 

 

 

 


<アート・アクアリウム展~金魚の艶> 2)

2016-07-17 17:22:09 | 日記

 1)に続いて、いろんな金魚の姿を、載せさせていただきます。

         

 

 

 

                

 

 

                 

 

 

               

 

 

                

 

 

                 

 

 

 

 

        

 

 

 

          

 

 

 

                

 

 

 

 

              

 

 

         

 

 

 

             

 

 

                

 

 

 

 

             

 

 

 

 

      

 

 


<アート・アクアリウム展~金魚の艶~> 1)

2016-07-17 16:33:26 | 日記

 最近テレビ(主に6チャン)で盛んに宣伝している、<アート・アクアリウム展>。

 この展覧会は、沢山の「金魚」を使ってアートの世界を創り上げるという展覧会で、今年が10周年になるのだそうだ。

 テレビで見る限り、確かに華やかで美しい世界が繰り広げられていた。

 でも、余りに沢山の金魚が一つの水槽の中に入れられていたりして、「これって、金魚の虐待じゃない?」なんて、ちょっと疑問を感じた

 りもしていた。

 それで行くかどうかちょっと迷ったが、もともと、煌びやかなもの好きな私は、とりあえず見てみることにした。

 

 先週の金曜日、お医者さんに行った序でに、歩いて梅田に出、その後も歩いて、会場の「堂島リバーフォーラム」まで行った。

 「堂島リバーフォーラム」は、堂島川の岸辺にあり、周りは大企業のビルが天をついて聳えている。

 そのビルの様子を、先ずは撮った。

                 

 

 

                              

 

 

 

 

 「堂島リバーフォーラム」に着いて、チケットを買い展示会場に入ると、先ずは金魚ならぬ熱帯魚が私たちを迎えてくれた。

              

 

          

 

 

 

 

 その後は、本格的な金魚の展示が繰り広げられている。

 私が懸念していた「金魚の虐待」については、主催者の挨拶の中で、水や餌の管理に細心の注意を払っていると書かれていて、心

 配はなさそうだった。

 (以下、見学した順に、金魚が創り出すアート・アクアリウムの世界を紹介します。)

             

 

 

             

 

 

 

                

 

 

 

             

 

 

                     

 

 

 

              

 

 

                

 

 

 

              

 

 

 

                

 

 

              

 

                

 

                 

 

              

              

     


参議院選の投票日

2016-07-11 15:46:45 | 日記

 昨日は参議院選挙の投票日。 投票所は、近くの小学校。

 私は朝早くに小学校に向かった。

 小学校の校庭には小さな池があって、昨日は金色の鯉が1匹、ゆったりと泳いでいた。

         

               

              

 

 校庭にはその他に子どもたちが育てた植物がいろいろあって、それを見るのも楽しみの一つだ。

 昨日は、ランタナの向こうに植えられたゴーヤが、だいぶ大きくなっていた。

               

 

 

 

 子どもが1鉢ずつ育てているアサガオの植木鉢も並べて置かれている。

 ミニトマトも一部色づいていた。

             

 

           

 

 

  微笑ましく思いながらひととおり見て回った後、私はやっと投票所に入り、投票を済ませた。

 

 

 ※昨日から今朝にかけて分かった選挙の結果は、私にとってはとっても残念なものでした。

  非力で怠け者の私‥、どれだけのことができるか分かりませんが、平和を求める人々の列にこれからも加わり続けたいと、願って

  います