のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

「中津ゆうゆうクラブ」の一日バスツアー (3) <多景島上陸~帰り>

2016-06-28 16:26:21 | 日記

 クルーズ船が多景島に到着した。

 私たちは、船着き場に降り立ち、険しい崖路を登って、初めて多景島に足を踏み入れた。

 (島の崖路は本当に険しかったので、足腰の悪い方には、かなりつらかったと思う。ツアーの計画段階で、行先について、もっと考え

 てほしかった! そのことは、ガイドさんと役員の方に伝えてはおいたけれど‥。)

 崖路を上った所から見下ろした湖面と、私たちが乗って来たクルーズ船。

                

 

 

 

 木々の間から見た、琵琶湖の水面。

            

 

 

 

 一旦、島の一番高い所まで登り、再び急な石段を下りて、崖っぷちまで行って下を覗いてみた。(なかなかのスリル感!)

            

 

 

 

 ちょうどこの時、島での見学時間が終わったので、私は再び船に乗り込んだ。 (帰り、私は甲板に上った。)

 船は島の周りを一周してから、彦根港へと帰って行く。

 島の周りに海鳥がたくさんいたのでカメラを向けたが、船は揺れ鳥たちの動きは素早くて、カメラになかなか収まらない。

 米粒みたいだけど、やっと捉えた海鳥の写真を、2枚。(姿が見えるでしょうか?)

                 

                

 

 

 

 船は弧を描いて島を離れ、私は遠ざかる多景島を、アップでカメラに収めた。 

               

 

               

              

 

 

 

 私はデッキで猛烈な風に吹かれ、船尾に湧き立つ波にも圧倒される思いだった。 (でも、結構爽快な気分!)

               

 

                  

 

 

 

 船が進むにつれて、多景島の姿が、どんどん小さくなっていく。

 その代わりに、前方の山の上に「彦根城」が姿を現わした。 (最大限のアップで撮った。)

                      

 

              

 

 

   


「中津ゆうゆうクラブ」の一日バスツアー (2)<多景島>へ向かう

2016-06-28 16:12:41 | 日記

 <多景島>という島の名まえは、今回のバスツアーまで聞いたことがなかった。

 琵琶湖中部にあり、見る角度によって異なった景色が望めることから、「多」「景」の字を当てて<多景島(タケシマ)>と呼んだとのこ

 と。

 多景島へのクルーズ船は、彦根港から出航している。

                   

 

 

 バスが彦根港に着いてから、クルーズ船の出発までかなりの時間があったので、私は港の岸近くをブラついてみた。

 しかし、コンクリートで固められた琵琶湖岸は、砂浜のある(私の大好きな)琵琶湖岸と違って、殺風景なものだった。

 それでも、多少とも心を惹かれた風景を、カメラに収めた。

           

 

 

                 

 

 

                   

 

 

                 

 

 

 

 かなりの時間が経ったあと、私たちが乗るクルーズ船が、やっと姿を現わした。

                     

 

 

 

 私たちはクルーズ船に乗り込み、席に坐った。

 私は、「甲板には出てはいけない」という声を耳にしたような気がして、仕方なく1階の船室に坐った。

 (なので、次からの写真は、全て、船室から撮ったものです。)

 クルーズ船は、船首に取り付けられた旗に風をはらみ、波を蹴立てて、多景島へとぐんぐん進んでいく。

 この頃から空には、灰色の雲が広がってきた。

           

 

      

                

       

 

 

 しばらくして、行く手に、多景島の姿が見えてきた。

                  

 

                  

 

 

          

 

 


「中津ゆうゆうクラブ」の一日バスツアー (1)昼食~<関ヶ原の大火薬庫跡>

2016-06-28 16:06:02 | 日記

 昨日(27日)は、年一回行われる「中津ゆうゆうクラブ」(高齢者の交友を目的とする団体)の<一日バスツアー>だった。

 

 実は、今回のバスツアーについては、メインの行き先が<関ヶ原の大火薬庫跡>と<多景島(たけしま)周遊クルーズ>ということ

 で、私は申し込みをちょっとためらった。

 何故って‥火薬庫跡にはあまり興味がなかったし、クルーズはいいけれど、多景島という島が、案内の写真で見る限り、ちょっと不

 気味な感じの島だったから。 (もっと美しい風景や面白いものを見たかった!)

 でも、昼食は結構良さそうだし、見学地も食わず嫌いは良くないかと、Kさんと一緒に、結局参加することにしたのだった。

 

 昨日は梅雨真っ最中であるにも拘わらず、お天気に恵まれた。

 夕方遅くには天気が崩れるかもという予報ではあったが、それまでは好天のようだった。

 朝8時半、バスは、先ずは昼食場所~伊吹山の岐阜県側の麓にある「花伊吹」というお店~に向けて出発した。

 

 11時前、「花伊吹」に到着。

 「花伊吹]の料理は、「本格鉄板焼きのフルコース」という触れ込みだったので、私たちは大いに期待していた。

 でも残念ながら、お店の雰囲気もお料理も、それ程ではなかった。

 なので、そこでは、お店のガラス越しに見えた紫陽花(綺麗に咲いていた)だけを写真に撮った。

                

 

 


 

 

 昼食の後は、「胡麻の郷」を経て、聞くのも見るのも初めての<関ヶ原の大火薬庫跡>に向かった。

 ガイドの方の説明に依ると、この火薬庫は第二次世界大戦時に造られ、東洋一の規模なのだそうだ。

 関ヶ原という場所は、かの有名な「関ヶ原の合戦」でも戦場になって、そこに暮らしていた民衆は大変な被害を受けたが、第二次世界

 大戦でも、土地を火薬庫建造の場所として提供させられたのだ。

 今はその一部が残るのみだが、ガイドの方は、この火薬庫跡を戦争の遺産として、後世に伝えていきたいと言われていた。

                 

             見張り番が立っていた所                    火薬庫の入り口

 

                        

                                 火薬庫内部

 

 

 火薬庫の中で、戦争の悲惨さに思いを新たにした後外に出ると、火薬庫の中の暗さと対照的に、伊吹山の上に広がる空の青さが、

 目に沁みるようだった。

                

 

         

               私たちを乗せてきたバス

 

 

 

 


雨後の公園 &‥

2016-06-24 10:14:01 | 日記

 一昨日の夜から昨日早朝にかけては、大阪にもかなりの豪雨が降った。 夜中に雨の音で目覚めるくらいに‥。

 (もちろん、豪雨や土砂崩れで大きな被害が出ている、九州その他の地域には比ぶべくもないけれど。 被害を受けられた地域の方

 のご苦労を思うと、何と言っていいか言葉が見つからない。)

 その豪雨も、昨日の朝8時頃にはほとんど上がり、私は、用があって近くの友だちのマンションを訪れた序でに、公園まで足を伸ばし

 た。

 

 友だちのマンションの玄関先には、アガパンサスが植えられているが、昨日はその中に白のアガパンサスを見つけた。

 同じくマンションの植栽の中のツバキの実が、以前より更に色づいて、雨の名残りを残していた。

                  

 

 

 

 公園の地面の所々には、まだ水溜りが残っている。

 早い時間なのに、高齢の女性が花畑で花の手入れをされていた。

           

 

 

 

 

 雨後の花畑を少し濡れながら歩き、雨滴を浮かべた花たちにカメラを向けた

             

 

 

            

 

 

                                 

 

 

          

 

 

 

 花畑で、半夏生(ハンゲショウ)を初めて見つけた。 ハンゲショウも雨に濡れていた。

         

 

 

 

 蝶々がやって来て、コスモスに止まった!

 嬉しくなって、何度もシャッターを押してしまった。

            

                   

                         

 

 

 

 これも昨日初めて見た、力強い、黄色のカラーの花。

               

 

 

 

 しばらくすると、公園の上にも青空が広がってきた。 それに伴って、道に落ちる木々の影が、クッキリしてきた。

                

 

 


 

 

 

 昨日は、Mさんとのランチ&お喋りの日だった。

 昨日のランチは、阪急32番街の「ちょうつがい」という新しいお店(和食)にした。 

 このお店は、全部の席が窓に向いていて、食事しながら、大阪の街並みや生駒山を望めるようになっている。

 昨日は一番前の席はもう一杯で、私たちは2列目の席だった。 

 コースの最後のデザートとコーヒーのとき、一応写真を撮っておいた。

                   

 

 

 食事を終わって、阪急百貨店をちょっとだけブラついた。 (二人とも日除けの帽子を買った。)

 9階の祝祭広場で、昨日は「Dior」の展示をやっていた。

 ブランドには縁のない私だけれど、ちょっとだけ写真を撮った。 

                  

 

                  

 

            

 

 


 

 

 中津に帰って空を見上げると、まっ青な空に、大きな白い雲が浮かんでいた。

               

                    

 

 


マンション近辺の、スナップ写真

2016-06-22 12:08:29 | 日記

 私の住んでいるマンションは、交通の便のいい所にあり、大阪市内の各所はもとより、京都・神戸・奈良にも、簡単に行ける。

 ただその分、マンションから見えるのは、鉄筋の建物ばかり…。

 下は、今月14日の夜ベランダから見た、ビルの上の小さな半月。 

                 

 

 

 

 昨日(21日)の夕方は、近所の友だちの所に用があって出掛け、その帰りに公園その他をブラついた。

 公園の片隅で、白い花びらを落としたあとの種が、よく見るととっても可愛い形をしていた。

                 

 

 

 

 この間咲き始めたばかりと思っていたアガパンサスが、街中でも公園でも、ほとんど満開になっていた。

                  

 

                   

 

 

 

 そして、(夏の花の)夾竹桃やアメリカンデイゴが、もう花を開き始めていた

                 

 

                

                  

 

 

 

 桔梗の花はか弱げに、折から吹いてきた風に揺れていた。

 夏の花だけではなく、(私の大好きな)秋の花のコスモスが、庭の一角でもう咲いているのには、驚いた。

                   

 

            

 

 

 

 紫陽花の花はすでに盛りを過ぎているが、枯れ色の混ざった紫陽花の花には、満開の時とは違ったサビた美しさがある。

               

 

                   

                 

 

          

 

                  

 

 

 

 淀川の堤防に上がってみた。 

 昨日の日中は、真夏のような太陽がギラギラ照りつけていたが、夕方の堤防&淀川の上の空には、すでに雨模様の雲があった。

                 

 

 

 

 夕暮れの堤防の上を、ワンちゃんを連れて散歩する人。 (空には、かすかな機影が…?)

 淀川の畔では、ひとり、三線の練習をする人、スマホを眺める人も‥。

                 

 

        

 

 

 

 最後に、街中で見た、爽やかな笹の葉。(七夕ももうすぐだ!)

                   

                    

 


初めて知った、<チェルノブイリ合唱団>のこと

2016-06-19 16:05:04 | 日記

 あの悲惨極まりない「チェルノブイリ原発の爆発事故」が起こったのが、<1986年4月26日>

 あれからすでに<30年>の年月が経つ。

 

 先日(6月4日)のNHKテレビ「NEXT」で、希望を歌った少女たち チェルノブイリ合唱団の30年>が、放映された。

 私はその番組を見て、避難先の街で子どもたちを勇気づけるために創られた<合唱団>があったことを、初めて知った。

 原発爆発前に子どもたちが暮らしていた街は、「プリピャチ」。

 1970年にかつてのソビエトが、チェルノブイリ原発で働く労働者のめに造った、原発の街だ。

 それでもチェルノブイリ原発が爆発するまでは、子どもたちはそこで、当たり前の幸せな生活を送っていた。

 

 チェルノブイリ原発事故後、プリピャチの(子どもたちを含めた)住民の多くは、キエフの集合住宅に移り住んだ。

 子どもたちの中には、甲状腺がんを初め様々な病気を発症して手術を受ける者、中には亡くなっていくものも多くあった。

 次は自分ではないかという不安の中でおびえる子どもたちを、少しでも勇気づけようと、<チェルボナ・カリーナ=チェルノブイリ合

 唱団>がつくれた。

 それは、ウクライナの伝統音楽と踊りを、みんなで学び楽しむものだった。

                   

                    

 

 

 その<チェルボナカリーナ・チェルノブイリ合唱団>は、その活動を評価されて、「ドイツ」や「日本」でも公演を行ったという

 でも私は、そのことも全く知らなかった!

 そして、当時のチェルボナカリーナのメンバーだった<ナターシャ・グジーさん>(36歳)が、16年前に来日して、歌手活動をされて

 いることも‥。

                   

                   日本で歌われるナターシャさん、お顔も歌声も美しい!

 

 

 不安の中で引きこもりがちだった当時のナターシャさんは、合唱団の中で、何とか希望の灯を見つけ始められる。

                   

 

 

 彼女の傍らにはいつも、今は亡き父が、事故処理のため埋められようとしている我が家から、彼女のためにと持ち出してくれた、ウク

 ライナの民族楽器<バンドゥーラ>があった。

 彼女はバンドゥーラをつま弾きながら、原発事故で故郷を奪われた哀しみと、平和な未来への願いを、切々と歌われる。

                 

                    バンドゥーラを抱いて弾き語りされるナターシャさん

 

 


 

 

 

 番組は、ナターシャさんの他に、原発事故で苦難の生活を余儀なくされた<チェルノブイリ合唱団>の子どもの中から、あと2人を紹

 介していた。

 お一人は、<インナ・シネオカヤさん>(34歳)。

 彼女は、15歳で甲状腺がんを発症し、手術の後、合唱団に参加される。

 今では結婚して子どもを持たれている彼女だが、彼女の不安は消えてはいない。

 彼女は手術の痕を指さして、言われる。

               

                        

 

 

 彼女の妊娠が分かったとき、医者は誰もが、彼女に中絶すべきだと言ったという。

 でも彼女は、自分の命に代えてもと、出産を決意される。

 そして彼女は無事出産し、子どもを愛情深く育てられている。

 しかし今でも、彼女が癌を発症する危険性は、下がっていない。

 彼女は、下の写真のように言われる。

                    「自分がいついなくなってもいいように‥」

                 

 

                               そして…

                   ‥と。

 

 なんと切なく、そして力強い、母の決意だろうか!

 

 


 

 

 もうお一人は‥<ベロニカ・グマロカさん>(34歳)

 彼女は甲状腺がんこそ発症されていないが、事故後から今まで、ずっと頭痛に苦しめられ、今でも鎮痛剤が手放せない。

 彼女の母親は事故後早くに亡くなられ、今は、父親(ウラジーミルさん)と子どもと暮らされている。

 しかし、事故以前から原発で働いておられた父親は、事故後も生活のために原発で働かざるをえない。

 父と娘は、互いの身体を気遣いつつ、月2週間は、離れて暮らさざるをえなかった。

 しかし、今年になってやっと父親のウラジーミルさんが、原発を辞めることを決意され、平和な父娘と孫の生活が戻ってきた。

                

                   

 

 始まったばかりの3人の幸せな生活が、これからもどうか続きますように!

 

 


 

 

 

 最後にもう一度、日本で歌手活動をされているナターシャさんに、話を戻して‥。

 彼女は事故以来、決して故郷・プリピャチに帰ってみようとはされなかった。

 (もちろんそこは今でも放射線量が高く、簡単には帰れないということもあるけれど‥。)

 でも、放射線のこと以外に、彼女には故郷に帰りたくない理由があった。

 それは、思い出の中で美しく輝いている故郷が、現実を目にすることで、消え去ってしまうように思われるからだった。

 でも、事故後30年の節目の今年、事故のことがみんなから忘れ去られることがないように、彼女はついにプリピャチの地に足を踏

 み入れる決意をされる。

 そんな彼女の前に現れたのは、予想どおりの荒涼とした、故郷・プリピャチの姿だった…。

                 

 

 

 そして、せめて実家の跡地を確かめたいと熱望される彼女だったが、その願いも、放射線量の高さによって阻まれてしまう。

 傷心の彼女は、それでも心を強く持って、避難先の子どもたちの前で、願いを込めて歌われる。

 彼女の願いを込めた美しい歌声を聴き、それを真剣に受け止める少女たちの清らかな瞳を見ながら、これから先原子力による悲

 劇が2度と繰り返されることのないよう、強く願う。

                 

 

              

 

 

 ※チェルノブイリ原発事故から30年。 未だ事故収束の道筋は見えないままだ。

  そして福島原発事故からは、5年と3ヶ月以上が過ぎた。 同じく廃炉への道はとてつもなく険しい。

  原発は、一旦事故が起こってしまうと、そこに住んでいた人々から故郷を奪い、そこは何十年も(或いは永遠に)人の住めない土地

  になってしまう。(もちろん、直接多くの人たちの命が奪われてしまう。)

  こんな原発を、政府は、なぜ再稼働したりするのだろう?

  (ましてや、なぜ原発を他国に売ったりするのだろう?)

  私には、全くそのわけが分からない。

  こんなことを続けていれば、大袈裟でなく、地球の破滅をも招きかねないというのに‥。

 

 

 

                


中津の、<ゆり>以外の「花」

2016-06-15 12:55:37 | 日記

 今、中津で咲いている花。

                  

                 

                                タイサンボク

 

 

 

 アガパンサスがもう咲き始めた!(右下)  左下は、ゼラニュームに止まったチョウ。(色がとんでしまっていますが‥)

            

 

 

 

 

 雨滴を葉に浮かべて、今も咲いているビオウヤナギ。 

                 

 

 

 

 ハマユウやカンナの花が、もう咲いていた。 椿の実(かたし)も、大きく赤くなっている。

              

 

 

                

 

 

 

 

 最後に、クチナシの花。 クチナシには一重と八重があるが、いずれも、辺りに芳しい香りを放っていた。

                   

 

                 

                 

                


中津公園では、今<ゆり>が満開!

2016-06-15 12:19:32 | 日記

 一昨日、また久しぶりに中津公園に行ったら、公園の主役は、紫陽花から<ゆり>に変わっていた。 (紫陽花もまだ残ってはいるけ

 れど‥)

               

 

 

              

 

 

 

 

 この日公園に咲いていたゆりの花を、次に紹介します。

                

 

 

                   

 

 

                  

 

 

                    

     

 

 

 

 私が写真を撮っていると、花畑の世話をしておられた女性の方が、大きなゆり(カサブランカ?)を一枝切ってくださった。

 早速家に持って帰って、玄関のいつもの花瓶に挿した。

                 

 

 今その香りが、玄関中に漂っている。


奈良県立美術館の<藤城清治~光のメルヘン展>

2016-06-13 19:18:17 | 日記

 10日に奈良に行ったのには、「小鹿の大公開」を見る以外に、もう一つ目的があった。

 それは、奈良県立美術館で行われている<藤城清治~光のメルヘン展>を観ることだった。

                   

 

 

 藤城清治氏は、現在92歳。

 夢のある<切り絵>の作品を、今までずっと創り続けてこられ、現在も創り続けておられる。

 描かれる対象は多岐にわたっているが、対象がどうであれ、藤城氏が創り出される切り絵の世界は、私たちを夢の世界に誘い、私

 たちの心を温めてくれる。

 

 私は以前から藤城氏の切り絵の大ファンで、今までにも何度か彼の展覧会を観てきた。

 が、今回の展覧会は、藤城氏が92歳になられての展覧会だということもあって、今までの集大成的な展覧会になるだろうと思い、絶

 対に行きたいと思っていた。

 案の定、今回の展覧会は、初期の絵画からつい最近の切り絵作品までを網羅する、素晴らしい展覧会だった。

 

 展覧会鑑賞後に買った絵葉書の写真を下に載せて、藤城氏の素晴らしさの一端を紹介させていただきたいと思います。

 

 まずは、メルヘンチックな作品を幾つか。

               

                                                    絵葉書4枚を一緒に

 

               

                               絵葉書3枚

 

 

 次は、大阪の主な建物などを網羅した、サービス精神旺盛な作品。 この切り絵を見たとき、私は思わず笑ってしまった。

             

 

 

 次は、東日本大震災の後、88歳の高齢にも拘わらず、現地に(放射能汚染地区にも)足を踏み入れられ、現物を写生をされて創ら

 れた作品・4枚

 (この作品の制作過程は、NHKのドキュメンタリーでやっていて、藤城氏に対する私の尊敬の念は、ますます高まっていた。 しか

 し、完成した作品を見るのは、今回が初めてだ!)

        

 

       

                 

 

 

 藤城清治氏の切り絵の世界に対する深い感動と、氏に対する更に増した尊敬の念を胸に、私は帰途についた。

 その私の目に、奈良県庁の建物とその近くの緑が、印象的に映った。

                

 

 

 

 

 

  


「奈良公園」へ (2) <鹿苑を出て、辺りをブラブラ>

2016-06-12 16:32:42 | 日記

 鹿苑を出た私は、しばらく辺りをブラついた。

 この日は、(前にも書いたが、)梅雨なのに真夏のような暑さだった。

 「飛火野」では、その暑さを避けて、人間も鹿も日陰で憩っていた。

                

                              遠足の小学生たち

 

               

 

          

                                                     中には、暑さに負けず歩く鹿も‥

 

 

                  

 

                 

           

 

 

 

 この暑さの中絵を描いている人もおられたが、その方ももちろん、木陰の中でだった。

                 

 

               

 

 

 

 この日、飛火野の上には、真夏のような空が広がっていた。

                     

 

 

 

 そろそろ飛火野を後にしようとフト遠くに目をやると、2匹の鹿が、地平線上で草を食んでいた。

                 

 

             

 

 

 

 その後私はいよいよ飛火野を離れ、春日大社の前を通って、若草山の麓の広場に立ち寄った。

 途中の交差点では、1匹の鹿が、信号待ちしている多くの観光客をしり目に、悠然と道路を歩いていた。

                 

 

          

                                                   暑さに耐えて人力車を引く若者

 

 

 

 若草山の上にも、白い雲が湧きたっている。

 その麓の広場では、2匹の鹿が木陰でユッタリと休み、その周りを1羽のハトがせわしなく動き回っていた。

                

 

 

            

                           

 

 

 

 最後に、近くの池の水面を泳いでいた鳥(何という鳥だろう?)と、睡蓮。

      

 

                

                

              

                

                

 

 

 

 

       

        

        

     

              


奈良公園へ (1) 「鹿苑」での<赤ちゃん鹿の公開>

2016-06-11 16:33:14 | 日記

 5~6月は、鹿たちの出産のラッシュアワーなのだそうだ。

 そこで鹿愛護会では、妊娠した雌鹿を「鹿苑」に集めて出産させ、生まれた赤ちゃん鹿を、6月の1ヶ月間、その鹿苑で公開してくれて

 いる。

 昨日私はその<赤ちゃん鹿の公開>を、初めて見に行った。

 公開は11時からだったが、私はちょっと遅れて、春日大社近くの鹿苑に向かった。

 途中の通りの真ん中には、奈良ならではの下のような看板が、アチコチに置かれている。

                 

 

 

 

 300円の入場料を払って、鹿苑に入る。

 鹿苑の全体は、こんな様子。

              

 

 

 

 係りの方のお話では、赤ちゃん鹿ほど、毛の色が濃く、斑点がクッキリしているのだそうだ。

 私は早速最前列に入り込んで、そんな赤ちゃん鹿を見つけてはシャッターを押した。

 でも、赤ちゃん鹿の可愛らしさを表す写真は、なかなか撮れなかった。

                

                  

 

                

                     

 

 

 

 昨日は梅雨の晴れ間で、鹿苑にも真夏のような太陽が照りつけていた。

 生まれてまだ間もない赤ちゃん鹿の中には、木陰で弱々しく臥せっているものもいた。(大丈夫かな‥?)

               

                  

                

 

 

 

 お母さんからオッパイをもらう小鹿。

                 

          

 

 

 

 凛として立つ母鹿。

                 

 

 

 

 小鹿とお母さん鹿の距離、いろいろ。

                  

                  

                  

 

                        

                        

 

                  

 

                 

                

               

 

 

 

 初めは、木陰で臥せっていた赤ちゃん鹿も、時間が経つに連れて少し元気を回復したようで、嬉しかった。

                

                 

                 

               

 


大阪・西梅田の<キャンドルナイト>

2016-06-09 11:14:58 | 日記

 先日新聞に入っていたJRの情報誌で、昨夜(8日)西梅田一帯で<キャンドルナイト>なる行事が行われることを、知った。

 灯りやイルミネーションが大好きな私。 これは行かないわけにはいかない!

 <キャンドルナイト>は、18:00~22:00の間行われるとのことだったが、私は8時を過ぎてから梅田に向かった。

 

 梅田に着き、キャンドルナイトが行われている場所を駅員さんに尋ねて、会場に向かった。

 会場は、ハービスエントのビル(劇団四季が入っている)前の、そんなに広くない場所だったが、そこを何か所かのエリアに分けて、

 キャンドル置かれていた。

 以下、キャンドルナイトの写真を、時に周囲のビルの灯り・内部の照明も交えて、載せさせていただきます。

 

                            ~最初の一番大きなエリア~

               

 

 

 

                  ~2番目のエリア (大阪を代表する建物とキャンドルのコラボ)~

                  

 

                 

 

                

 

 

 

                         ~エリアから見える、2つのビル~

          

                   スカイビル                              阪急オフィスタワー

 

 

 

                              ~3つ目のエリア~

               

 

                 

 

 

 

 エリアとは言えないが、こんなキャンドルもあった。

                 

 

 

 

 ハービスエントに入ってみた。  ~ハービスエント内部の照明~

                  

 

 

                

 

 

 

 再び外に出ると、ちょっと変わったキャンドルがあった。

               

 

 

 

 最初のエリアに戻って、別方向から撮ってみた。

                  

 

                  

 

 

 

 最後に、ハービスエント内のお店の、カラフルなショーウィンドー。

                  

 

 

 

                         

 

 

 

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雨が降ろうが槍が降ろうが‥

2016-06-08 14:48:42 | 日記

 昨日(7日)は、先日の発表会後、初めてのコーラスの練習日だった。

 しかし昨日は生憎の雨降り。 しかも、かなりのどしゃ降りだった。

 でも‥(前にも書いたけれど)今歌を歌っているときが一番楽しい私は、「雨が降ろうが槍が降ろうが」の心境で、雨の中を果敢に歩

 いて(20分くらい)、大淀老人福祉センターに向かった。

 

 コーラスの練習は、やっぱり楽しかった!

 

 帰り、雨は少し小降りになっていた。

 いつも一緒に行っていたIさんが最近体調をこわされて、私は昨日も一人だったが、<ココット>の看板を見つけると、やっぱり入っ

 て、窓際の席に坐った。

          

 

 

 

 店内の壁には、それまでの「カンディンスキー」の絵の代わって、夏仕様の版画が掛けられていた。

 私は昨日は、いつものスパゲッティ・セットを止めて、目先を変えて、リゾットのセットを頼んだ。

 すると、スープと前菜が一緒になって、大きなお皿に載って出てきた。

 今までの出し方と変わっていて珍しかったので、写真に撮った。

          

 

 

 

 ラザニア・セットも、とっても美味しかった!

 食後のコーヒーを飲み終った私は、また雨の中を歩いてマンションに向かった。

 それでも途中、雨滴を浮かべた葉っぱや花を見ると、雨で濡れるにもかかわらず、カメラを取り出して写真を撮った。

 (雨に濡れそぼった道路にカメラを向けたりも‥。)

                 

 

 

         

 

 

 

                  

 

 

 

                

 

                   

 

                  

 

 

          

 

 

 

 マンション近くの公園で、いつもは見過ごしていた看板を、雨の中なのに立ち止まって読んだりもした。(よっぽどの暇人!?)

 私が今住んでいる所の歴史を書いた看板だということが分かって、それも写真に撮っておいた。

                      

 

 

 


ランチの後、<舞洲・ゆり園>へ 

2016-06-07 16:18:50 | 日記

 昨日はご近所の友だちと、梅田のお肉のお店でランチすることになっていた。

 この日行った<Ron(ロン)>は、私には初めてのお店だった。

               

 

 

           

 

 

 お店の感じも良く、ステーキのコース料理はどれも美味しかったが、メインのステーキ以後の料理の写真は、食い気が勝って、撮る

 のをスッカリ忘れてしまった。

 

 


 

 

 食事のあと、Kさんと私は、大阪湾に造られた<舞洲のゆり園>に行くことにした。

 <舞洲ゆり園>は、数年前に造られた新しい観光スポットだが、余りに人工的な感じがして、私は今まで行くのを敬遠していた。

 しかし、先ごろY新聞社から<ゆり園>の割引入場券をもらったことで、今年は行ってみようかな?と思うようになっていた。(お金に

 はやっぱり弱い!)

 

 昨日は、雨こそ降らなかったが、空には雲が多く、海も青くはなかった。

 百合を見る(撮る)にはあまりいい条件とは言えなかったが、私は初めての<ゆり園>を楽しんだ。

 以下、ゆり園を廻りながら撮ったスナップ写真を、下に載せさせていただきます。

              

 

 

                  

 

 

               

 

             

 

              

 

 

               

 

 

                  

 

 

 

                 

 

                               

 

 

                               

 

 

                  

 

              

               

 

 

                

 

        

 

             

 

 


ゆり園の後、「ロッジ舞洲」の<あじさい園>へ

2016-06-07 15:13:56 | 日記

 ゆり園を堪能したあと、私たちは序でに、ゆり園のすぐ近くにある「ロッジ舞洲」の<あじさい園>にも行ってみることにした。

 ロッジ舞洲の庭では、紫陽花が今まさに盛りだった。

             

 

                

 

 

 

 <あじさい園>では、いろんな種類の紫陽花が、色とりどりに咲いていた。

 私は次々と、目に付いた紫陽花にカメラを向けては、写真に撮った。

            

 

 

 

           

 

 

 

               

 

 

 

           

 

 

 

                      

 

 

                      

    

 

 

 

 ロッジ舞洲の敷地内には、小さいながらキレイに整えられた池があった。

 その池の傍にも、紫陽花が咲いていた。 

                 

 

                    

 

 

 

 

 あじさい園には、紫陽花以外のいろんな花も植えられ、それぞれが美しく咲いていた。