のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

戦後の日本の現実を鋭く描いた…<横山操>の “日本画”

2021-01-31 18:07:25 | 日記

先週の「日曜美術館」では、日本画家・横山操(ミサオ)氏が、取り上げられていた。

「横山操」と聞いて、何か知っているような知らないような…。

「どんな人だったかなあ?」なんて、ぼんやり考えながら番組を見ていた私の目に、彼の強烈な絵が飛び込んできて、私は

かなり強い衝撃を受けた。

しかも、これが日本画だという。 

私はここから、横山操という日本画家とその絵に、強い興味を感じて、番組を見ていった。

 

(私に衝撃を与えた2枚の絵を、最初に紹介します。)

         

              (1枚目) 昭和32年、放火により焼失した東京・谷中霊園の五重塔を描いた…「塔」

 

 

 

     

                (2枚目) 戦後の基幹産業の一つだった、鉄鋼業を描いた…「溶鉱炉」

 

 

 

 

 

 

横山操氏は、下の写真にあるように、1920年に新潟で生まれた。 

戦前に生まれ、太平洋戦争を兵士として体験され(その後のシベリア抑留も含めれば10年近い年月になる)、帰国後は、

戦前からなりたかった日本画家の道へと進まれる。

その時の彼のモットーは、「日本画とは日本の現実を真正面から描く!」 というもの。

なので、下のような言葉を自室の壁に貼り付けて、彼は厳しく自分とも現実とも向き合い、創作活動をされたのだった。

          

 

 

 

                 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

(ここからは、横山氏の作品を、時代を追って見ていくことにします。)

もともと絵がすきだった横山氏は、絵の勉強をするため14歳で上京、ポスター書きなどをしながら絵の勉強を続けられ

ていた。

そして漸く絵が入選するようになったころ(昭和15年)に、二十歳の若さで召集され、中国戦線へと送られる。

          

    (絵を描きたかった青年が、二十歳の若さで戦場に駆り出されていく姿は、何とも痛ましい。)

 

 

 

 

出征後、敗戦までの5年間は中国戦線での戦いを強いられ、その後はシベリアに抑留され(4年半)、彼が帰国されたの

は、なんと昭和25年、彼が30歳になられたときだった。

その頃の心情を、彼は次のように語られている。 「熱情と憤激、これが俺の人生だ。」

 

 

その後横山氏は、(上にも書いたように)「日本の現実と真正面から向き合う」ことをモットーに、絵の制作に打ち込まれる。

当時の基幹産業は(これも上に書いたが)鉄鋼業であり、漁業もまた、食糧増産のための重要な産業だった。

彼はその二つの産業の熱気あふれる姿を、彼独特の鋭角的な手法で描かれている。

 

                    ~上にも載せた「溶鉱炉」の部分~

      

 

 

 

                      ~操業する船の様子を描いた…「網」 ~

      

 

 

 

                               

 

 

 

 

 

そして昭和32年、当時観光名所でもあった東京・谷中霊園の五重塔が、放火によって焼け落ちたという報を耳にした横山

氏は、現地に駆けつけ、黒焦げの骨組みだけがかろうじて残った「塔」の姿を、力強いタッチで描かれる。

(焼け落ちてもなお力強く立つ黒い木の骨組みが、私の心も揺さぶった。)

更に昭和37年十勝岳が噴火すると、ちょうど北海道を訪れていた彼は現地に赴き、大地の持つ凄まじい力を、絵に刻

まれる。

             

           上にも載せた「塔」の部分

     

 

 

 

                         ~十勝岳噴火の際に描かれた…「十勝岳」~

   

 

               

                               

 

 

 

 

 

その後昭和36年、40を過ぎた横山氏は、新しい題材を求めてアメリカに渡られる。

そのアメリカで描かれた代表的な2つの絵は、自然と人工物という対照的なものでありながら、共に、横山氏の眼力と技術

の高さを示す、素晴らしい作品になっている。

 

       ~アメリカの大地のシンボル・グランドキャニオンを描いた…その名も「グランドキャニオン」~

      

                    大地の鼓動が伝わってくるようだ!

 

 

 

        

                      「グランドキャニオン」の部分

 

 

 

           ~アメリカを代表する街…ニューヨーク「ウォール街」~

          

  (狭い青空によって、ようやく2つに隔てられたかのような、林立するビル群の様が、見事に捉えられている。)

 

 

 

  

 「ウォール街」の上部…“赤い尖塔と青空”の部分の拡大 (鮮やかな色彩のコントラストが素晴らしい!)

 

 

 

 

 

帰国後も彼はさまざまな新しい題材に取り組まれた。

その一つが、富士山。

彼は下の「富士雷鳴」のような、いかにも当初からの横山氏らしい絵から、様々な描き方を模索され、富士山の絵によっ

て、人気画家の仲間入りをも果たされたそうだ。

   

            いかにも横山氏らしい…「富士雷鳴」 (鮮やかな色彩と鋭いラインが素敵だ!)

 

 

 

                        

                      伝統的な日本画に挑戦して描かれた…「赤富士」 (この絵は特に人々の人気を集めたそうだ。)

 

 

 

 

 

若い頃の横山氏は、生後まもなく養子に出されたことなどもあって、故郷・新潟にさしたる郷愁も持たれていなかったよう

だが、年を重ねるにつれて、故郷への想いも深くなり、故郷・新潟の絵を描くようになられる。

 

(その中から、いろんな意味で対照的な2枚の絵~しかし、どちらも横山氏らしい絵~を、下に載せます。)

   

      「ふるさと」…赤い夕焼けが特に懐かしく思い出されたという。手前は信濃川。

 

 

 

                       

                                         新潟の冬の情景…「雪原」

 

 

 

 

 

彼は50歳を過ぎて脳の病気を患い、右半身が不自由になられた。

それでも、左手に絵筆を持ちかえて、絵に取り組まれる。

下は、左手で絵に取り組もうとしている横山氏と、彼が左手で描かれた絵。

この絵を描いている最中、彼は2度目の発作に襲われ、遂に帰らぬ人となられた。

53歳の早過ぎる死だった。

 

   

 

 

 

                       

                              「絶筆」…左手で描かれたとは思えない!しかも何という穏やかな絵だろう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                       

 

 

 

 

 


富島神社の梅も咲き始めて (1月22日)

2021-01-28 18:09:43 | 日記

ずい分前のことになるけれど(22日)、1ヶ月ぶりの美容院に行った。

美容院の前には、私が初詣に行く富島神社がある。

美容院の帰りに富島神社に寄ってみると、狭い境内に植えられた梅が、弱い雨に打たれながら、咲き始めていた。

      

 

 

 

                      

 

 

 

 

    

 

 

 

                         

 

 

 

 

     

 

 

 

                          

 

 

 

 

    

 

 

 

                            

 

 

 

 

 

 

帰り道のトベラの実も、ベランダのオタフクナンテンの葉も、雨に濡れていた。

   

 

 

 

                              

 

 

 

 

 

(付記)

 (前からしつこく載せている)ベニフジの花が今もベランダで咲いているが、ベランダではたまに私が見るくらいで、なんだ

  か可愛そうなので、枝を切って花瓶に挿した。 (序でにゼラニュームの花も一輪…)

            

 

 

 

 

 

 

 

 

 


富山の、とってもチャーミングな “ガラス工芸作品”

2021-01-20 16:02:14 | 日記

毎週火曜日の夜、BS3で放送されている≪イッピン≫は、私のお気に入りの番組の一つだ。

      

 

 

 

 

その番組で昨日、<富山のガラス工芸>が紹介された。

私がうっかりして知らなかっただけだろうけど、富山は、ガラス工芸がとても盛んな所なのだそうだ。

富山市にある「富山市ガラス美術館」には、世界の名立たるガラス工芸作家の作品が集められているとのこと。

          

 

 

 

     

 

 

                       

 

 

     

 

 

                        

 

 

 

 

 

また富山市には、<富山ガラス造形研究所>があり、全国から100人くらいのガラス作家が集まって、新しいガラス工芸

作品の創造に余念がないそうだ。

そして、まだ自分の工房を持てていない若い作家のために、<富山ガラス工房>も造られている。

     

 

 

                                 

 

 

 

 

 

 

番組では、そんな新進のガラス作家の中から、3人の方を取り上げていた。

私はその3人の方(期せずして3人とも女性だったが)の作品を観て、その斬新さと、人の心をフッと優しく包むような温かさ

に、強く心惹かれた。

そこで、お三人の作品をブログにアップさせていただいて、長く心に留めておくことにした。

 

まずお一人目は…三重県から来られているという≪金津沙矢香≫さん。

彼女の作品は、『スノードーム』と呼ばれるモノで、とてもメルヘンチックというか、郷愁をかきたてられる素敵な作品だ。

できれば私も手元に一つ置いておきたい!って思わせる作品の数々だった。

(ネットで検索してみると、当然ながらお値段が高くて、ちょっと私には無理なようだったけれど。)

          

 

 

 

       

 

 

 

                        

 

 

 

   

 

 

 

                           

                                        スノードームに至る前の作品…これもステキ!

 

 

 

 

 

 

次の作家は、幼いころ、父上の仕事の都合で来日され、その後富山でガラス作家の道に進まれた≪キム・ドンヒ≫さん。

    

 

 

                             

 

 

 

 

上のように言われる彼女の作品は、とても斬新で軽快で可愛く、彼女の言葉どおり、カラフルで温かみのあるものだ。

     

 

 

 

     

                  上から見ると、底の模様もいいなあ!

 

 

 

                           

                                                  料理も映える素敵な器

 

 

 

 

彼女がこんな器を作りたいと思われたのには、彼女のために彼女のお母さんが作ってくださった「ひざ掛け」が影響してい

るのだそうだ。

お母さんが一針一針編んでくださった、ひざ掛けのカラフルな模様は、彼女に、鮮やかで温かいガラス作品を生み出さ

せてくれた。

彼女はさまざまな色の板や丸い球を組み合わせて一枚の板を作り、そこから上のような作品を作りだされる。

この器も、1個でいいから欲しいなあと思って、ネットで調べてみたけど、うまく行き当たらなかった。

     

            お母さんが彼女のために編んでくださったひざ掛け

 

 

 

    

 

 

                             

 

 

 

 

 

 

3人目の方は、富山を代表する新たな作品を創り出そうという市(県)の計画に参加して、その作品が認められた≪北村

三彩≫さん。

彼女のワイングラスは、富山の花・チューリップをイメージした、上品で素晴らしい作品。

このワイングラスは、見ただけで手が届きそうにないことが明らかだったので、検索はしなかった…。

             

          自分の作品について語られる北村さん

 

 

 

 

 

 

 

 


ベランダのシクラメンとベニフジ

2021-01-19 16:00:47 | 日記

雪こそ降らないけれど、大阪も今年は寒さが厳しく、強い北風がほとんど毎日のように吹いている。

そんな中マンションのベランダは、植物にとっては特に劣悪な環境なのだが、それでも鉢植えの植物はよく耐えてがんばっ

ているなあ!と感心しながら、私自身は、暖かい部屋の中でテレビのお供ばかりしながら、申し訳程度の水やりをしている。

 

そんな私の冷たい仕打ちにもかかわらず、去年買った鉢に再び花を咲かせてくれたシクラメンと、何年目かに沢山の花を

咲かせてくれたベニフジ。

2つの花を、感謝の気持ちを込めてカメラに収めた。

              

 

 

 

 

    

 

 

                               

 

 

             

 

 

 

 

 

 

 

 

       


公園から “淀川”へ (前のブログの続き)

2021-01-17 22:51:36 | 日記

公園を出たあと、これも今年になってまだ行っていない“淀川”に向かった。

残念ながら今、河畔の工事のため、淀川の堤防へ上がる路は、完全にシャットアウトされている。

なので、いつもの新御堂の架橋に上って、淀川を眺めるしかない。

 

昨年何度もアップした淀川の風景と変わりませんが、(撮った順番に従って)下に載せさせていただきます。

     

 

 

 

                      

 

 

 

     

 

 

 

     

 

 

 

                        

 

 

 

               

                          最大限のアップでも豆粒ほどにしか撮れなかった小鳥たち

 

 

 

       

 

 

 

     

                   淀川の上に広がる青空とすじ雲 

 

 

 

   

                    新御堂筋を走る車と青空  

 

 

 

 

 

新御堂筋の架橋を下りて、家路についた。

帰るまでの間に目にした花(植物)たち。   

    

 

 

 

                           

        上2枚は、あるマンションの玄関先の植栽…「ボックスウッド」(日の光を受けて輝いていた。)

 

 

 

 

 

                      ~市営住宅の庭の花たち~

    

 

 

                

 

 

                             

 

 

 

      

 中津公園ではまだ蕾が固かった梅が、そろそろ咲き始めていた。 (白梅の方が少し早めに花を開いていた。)

 

 

 

            

 

 

 

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    


新年になって初めて行った “中津公園”

2021-01-15 21:15:57 | 日記

いつもの年だったら、元日か少なくとも三が日の内には中津公園に行っているのに、今年のお正月はとても寒く、外に出る

気にならなかった。

その寒さはその後も続き、昨日からやっと暖かくなってきた。

その暖かさは今日も続き、私はやっと中津公園に行ってみる気になった。

 

公園の前のマンションの1階の塀の上で、ナンテンの実が、折からの日の光で光っていた。

同じくその1階の庭に植えられている柿の木は、その実を鳥たちにすっかり食べられていた。

      

 

 

 

                        

 

 

 

 

 

公園に入ると、入り口付近の葉っぱを落とした木々で、小鳥たちの鳴き声がにぎやかだった。

多分ヒヨドリと雀だと思うけど、カメラを向けると鳥たちはパッと飛び立ち、なかなかカメラに収まらなかった。

      

                     多分ヒヨドリが数羽?

 

 

                            

                                               雀がアチコチに止まっている。

 

 

 

 

 

 

その後公園を花壇の方に向かったけれど、冬の花壇にはほとんど色彩が無い。

そんな中でも健気に咲いている花を見ると、何だか愛おしくてカメラに収める。

     

 

 

 

                             

 

 

 

     

 

 

                               

 

 

 

                   

 

 

 

 

 

ふと花壇から顔を上げると、公園傍の電線に、今度は鳩が並んで止まっていた。

          

 

 

           

                                                          空を飛んでいる鳩を撮ろうとしたが…

 

 

 

 

公園の梅がそろそろ蕾を膨らませているのでは、と期待したが、蕾はまだ固かった。

桜はもう枝の先端に、小さい蕾を付けていた。

    

                     梅の、まだ固い蕾

 

 

                              

                                                    桜の蕾

 

 

 

 

 

ケヤキ並木の中にあるドウダンツツジが、赤い葉をわずかに残していた。

(木の名まえがよく分からないけれど)まだ散り残っている葉っぱに日が当たり、枯れ葉なのになかなか綺麗だった。

   

 

 

 

                        

 

 

 

 

 

ケヤキ並木の端っこに、ジュウガツザクラの木があるのを思い出して、行ってみた。

ここのジュウガツザクラの木は前から大分弱っていたので、花が咲いているかどうか不安だったが、か弱く数も少ないけ

れど、何とか花は咲いていた。

     

 

 

                           

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

             

 

 


暑さにも寒さにも弱い私…続く “巣ごもり生活“

2021-01-13 10:56:47 | 日記

9日(土曜)は、今年初めての≪リハステージ≫の日だった。

リハステージでの運動は体にもいいし、そこに来られてる方やスタッフの方との他愛もない会話で、精神的にも元気にな

れる。

なので、リハステージは大好きなんだけれど、最近の大阪でのコロナの感染拡大と、その日の気温の低さを考えて、行

くかどうか、私は大分迷った。

でもその日の朝の体調がかなり良かったので、私は行くことに決めた。

案の定、今年初めてのリハステージでの運動&人々との何気ない交流は、とっても楽しかった。

プラス、この日はもう一つ嬉しいことがあった。

それは、この日の体力測定で、脚の筋力やその他の運動能力が(スタッフの方も驚かれるくらい)、かなりアップしていた

ことだ。

元来私は、帯状疱疹後神経痛(それもちょっと厄介な)が左手の腕から指先にかけて残り、退院後も左手が使えない状

態だった(今はその時よりは大分良くなっているんだけれど)ため、要支援1が出てリハステージにも行けることになった。

なので、歩くのには支障はないのだけれど。

 

リハステージの翌日、近所の友だちがぜひ一緒に行こうと誘ってくださったので、≪清荒神(キヨシコウジン)≫(宝塚市にある)

にお参りに行くことになった。

≪清荒神≫は、元来“火の神”“台所の神”で、家内安全・商売繁盛を祈る神社として、大阪の方は荒神さんと親しみを込

めて呼ばれ、よくお参りされる。

元来が“大阪人”ではなく、未だに大阪人に成りきれていない私にとっては、清荒神さんにお参りに行くという習慣は全く

ない。

なので私は、お参りに行くというより、歩きに行くという感覚で、ご一緒することにした。

清荒神は、阪急・清荒神駅で降りて、山道を3.40分くらい登ったところにある。

前日のリハステージで自信を持った私は、この位の距離は大丈夫だという自信があった。

しかし、(風はあまり吹いてなくてヨカッタけれど)何しろ気温がかなり低い。

距離的にはそんなに遠くはないのだけれど、寒さと山道で私はかなり疲れた。

それでも、やっと清荒神に到着した。

 

荒神さんにはいろんなお堂があるが、その中で中心のお堂だけを、来た記念に撮っておいた。

      

 

 

 

        

 

 

 

     

           (お供えの線香やろうそくの煙が辺りに充満している。人も結構、密!)

 

 

 

 

お参りを済ませた私たちは、今度はひたすら駅に向かって下りた。

参道の道には沢山のお店が出ていたけれど、私たちはそれには見向きもせず、下って行った。

帰りの電車は、行きと比べると少し人が多かったが、それでも十分乗客全員が座れた。

電車は冬でも窓を開けて走っているし、この位の乗客の数では、感染のリスクは低いようにように思う。

中津に帰ってスマホの歩数計を見たら、8665歩歩いたことになっていて、これで十分だと満足した。

 

 

でもよかったのは、ここまで。

友だちと別れて家に着き、食事を済ますと突然疲れが私を襲った。

もう、眠くて眠くて仕方がない。

私は最低のことを済ますと、ベッドにドッと横になってそのまま眠ってしまった。

それで終わったらそんなに問題ないのだけれど、眠気はその翌日も私を襲った。

朝食を食べゴミ出しをすると、何もやる気が起こらない。

その上、清荒神にお参りした前日より、大阪の気温はぐっと下がった。

部屋の中は20度以上の温度にしているのに、寒さが身に沁みてきて、身体にこたえる。

私はこの日は、(ゴミ出し以外は)部屋の中から一歩も出ず、ぐうたら過ごした。

そしてそれは、昨日も続いた。

そういう自分がほとほとイヤにはなるのだけれど、体が動かないのだから仕方ない!

 

今朝になってやっと、少し体が動くようになってきた。

今日からしばらく大阪はだいぶ暖かくなるとテレビが言っていたのも、作用したかもしれない。

新年早々、だらしない巣ごもり生活を続けているのは、何とも情けないけれど、「元気になったら動けるよ!」と自分に言い

聞かせて、ぐうたら生活を是認している私です(^_^;)

 

 

 

 

 

 

 


新年になって…早や七日!

2021-01-07 18:57:20 | 日記

去年の大晦日の夜は、年越しそばを食べるとすごく眠くなって、紅白もEテレのクラシック番組も見ずに寝てしまった。

さすがに翌日の元日は早く目が覚めた。

センリョウと白と黄色の菊だけを花瓶に差してテーブルの上に置き、その前に買ってきていたお節を置いて、お屠蘇とお雑

煮と一緒にいただいた。

            

 

 

 

 

 

今年のお節は、(去年最後のブログにも書いたけれど)下のスーパーで初めて頼んだものだったが、やっぱり今までのと

比べてかなりお粗末だった。

(それを嘆いていたら、ご近所の友だちがまだ沢山残っているからと、翌日の2日に持ってきくださり、お昼に一緒にいた

 だいた。新年早々申し訳ありませんでした。ありがとうございました♪)

 

(元日に話を戻して、)お節をいただいた後は、毎年お参りしている近くの富島神社に、お参りに行った。

         

 

 

      

 

 

                              

 

 

 

 

 

元日は年末からの寒波が続き、とても寒かったので、富島神社にお参りした後は、公園に行くこともせずに帰った。

     

             帰り道で目にした、民家の壁に絡まっている蔦

 

 

 

 

 


 

 

 

 

3日の日の朝、NHKのテレビで、『たけしくん ハイ!』の再放送をしていた。 (それ以前にもやっていたらしいが…)

      

 

 

 

 

『たけしくん ハイ!』は、私がまだ若かった頃に放映されたドラマで、北野たけし氏の少年時代を描いたものだ。

私は申し訳ないけれど、大人になられてからの北野たけし氏は、あまり好きになれなかった。

でもこのドラマは本当に面白かった!

社会の底辺で生きる西野家族(北野家族をモデルにしたもの)の日々を、実に生き生きと描いていた。

大酒飲みで自分の思うようにならないとすぐに暴れて、手のつけようがない父親。

その父親を、時にはなだめすかし、時には体を張って押さえつけて、支え続ける母親。

そんな家族のドタバタの中、たけしはそれに翻弄されながらも、たくましく健気に生きていく。

そのたけしの姿がたまらなく愛おしい!

そしてまた、彼の両親の、一見ハチャメチャな生き様にも、貧しさの中で生きる庶民の姿を感じて、私は同じような愛おし

さを感じた。

 

このドラマの成功は、台本の素晴らしさに依るのは元よりだが、それぞれの役者の演技の上手さにも依っている。

              

                                                 たけしを見事に演じた「小磯勝弥」くん

 

 

 

                

                たけしの父                                 たけしの母

 

 

             

 

 

 

            

                                          竹次郎の母親を演じた、今は亡き「千石規子」さん(彼女の演技も素晴らしかった!)

 

 

 

たけし少年の、いたずらっぽさと内に秘める優しさを、見事に演じられた「小磯勝弥」くんは、今どうしておられるのだろう?

そう思ってネットで調べてみると、彼は比較的最近結婚され、引き続き役者として活躍されているとのこと…。

私は何だかホッとし、とても嬉しくなった。

 

今回 『たけしくん ハイ!』(の一部だが)を見て、このドラマは今でも決して古くはない!と思った。

でも一方では、今の若い人たちが、このドラマを見てどう思うんだろう?とも思った。

戦後の貧しさがいっぱい残っている『たけしくん ハイ!』の世界、それを若い人たちは理解することができるだろうか?

そんなことを思いながら、私は自分のことをつくづく、「昭和の人間やなあ」と思った次第です。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

6日の日は、帯状疱疹後神経痛の薬を貰うため、西中島南方のお医者さんに行った。

その後、地下鉄で久しぶりに梅田に出た。 百貨店でちょっと見ておきたいものがあったので。

その時、毎年、阪急百貨店のショーウインドーに飾られる、嵯峨流の生け花を見た。

本音を言うと、私はこのような、どちらかと言うと豪華絢爛な感じの生け花は、あまり好きというわけではない。

でも、このような場所には、こんな生け花が合うのかも…。

    

 

 

 

          

 

 

 

   

 

 

 

 

 

そのあと、私は阪神百貨店の食料品売り場に行って、使い物に適当な物がないか、物色した。

いろんな売り場を見てまわったが、結局これという物は決められず、私は自分用に、お菓子と七草粥の材料を買った。

       

 

 

    

 

 

 

 

お菓子は6日のうちに食べてしまったが、七草粥は、今朝用意をしていただいた。 

    

 

 

 

 

 

全国的に押し寄せている寒波が、大阪にも押し寄せ、今日はとても寒い。

ベランダに出ると、肌を刺すような風が吹き渡っている。

その風で、だいぶ花数を増やしたベニフジの鉢が倒れてしまっていた。

私は慌てて鉢を起こし、今日のベニフジをカメラに収めた。

    

 

 

                            

 

 

 

 

 

 

コロナ感染者は増加の一途をたどり、寒波による雪などで、いろんな所で死者を含む被害が出ている。

新しい年は、とても厳しい船出となった。

私たちはコロナに感染しないよう細心の注意をしなければならないが、国の指導者の方に々は、適切な方針を素早く打ち

出してほしいと、強く願う。