のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

どんなに暑くても、お医者さんには行かねばならぬ。

2023-08-24 17:44:13 | 日記

昨日(23日)は、近所の内科クリニックに、月一の受診とお薬を出してもらうために、行ってきた。

一番暑かった時と比べると、ほんの少し最高気温が下がっているかも知れないけれど、依然として熱中症警戒アラートが

出ている。

クリニックは9時半に診察開始だから、その時間に間に合うようにマンションを出た。

外に出ると、その時間でも、かぁ~と太陽が照りつけている。

できるだけ日陰を選んでクリニックに向かう。

クリニックに近くなったお家の玄関で、夏ズイセンが涼しげに咲いていた。

ちょっとホッとして空を見上げると、入道雲ではないが、わりと精力的な感じの雲が、青空に湧き立っていた。

  

 

 

                             

 

 

 

 

  

 

 

                        

 

 

 

 

 

クリニックに着いてしばらくして診察を受けたが、さしたる問題は無く、先生から「がんばりや!」という励ましの言葉を

いただいて、クリニックを後にする。

クリニックは中津公園のすぐ傍、久しぶりに公園に寄ってみる。

公園は、この間工事が行われたのとこの暑さとで、今までの夏と違って、何だか荒れた感じがした。

それでも、植え込みの周りに植えられたサルスベリは、まあまあ花を咲かせていた。(以前とは比べものにはならない

けれど…)

  

 

 

         

 

 

 

   

         薄いピンクのサルスベリは、ちょっとしか花を付けていなかった。 

 

 

                         

                                               白いサルスベリは逆光でうまく写せなかった。

 

 

 

    

 

 

 

 

植え込みを離れて花畑の花を見に行ったが、キバナコスモスが無秩序に群れているだけで、なんだか侘しい感じ。

そんな中で僅かだけれど、百日草が咲き残っていた。

アベリアは少し元気が無く、香りも弱かった。

大きな向日葵が1個だけ、まあまあ元気に咲いていた。

  

 

 

 

  

 

 

                            

 

 

  

 

 

 

     

 

 

 

 

 

公園を出るとき、もう一度空を撮った。

帰り道、友だちが住んでいるマンションで、薄いピンクのサルスベリが、(公園のより)綺麗に咲いていた。

 

 

 

 

                        

 

 

 

 

 

 

 

 

 


酷暑!(きょうの最高気温38度)

2023-08-20 19:44:03 | 日記

心配した台風は、(わがマンションでは)ベランダの草花に僅かな水滴を残しただけで、通り過ぎてくれた。(下の写真)

          

 

 

 

しかしその後大阪には、猛烈な暑さが襲ってきた。

昨日も、リハステージからの帰り道、僅かな距離なのに、太陽の直射を受けてとても息苦しかった。

 

今朝水やりのためにベランダに出ると、空には雲一つ無く、底抜けの青空から、太陽の光線が体に降ってくるようだった。

     

         水やりだけは怠っていないのに、カポックの葉っぱが黄色くなっている。

 

 

 

天気予報が今日の大阪の最高気温が38度であることを言って、熱中症警戒アラートが出ていると告げている。

外出を控えるように盛んに警告しているけれど、警告されなくても、この暑さの中出歩くなんてとんでもない。

昨日必要な買い物をしておいて、本当によかった!

家の中はずっとクーラーをつけっぱなしにしているけれど、それでも暑い、というか息苦しい。

 

日曜日は朝7時45分から始まる「さわやか自然百景」を見ることにしているので、それでも見て、少しでも暑さから逃れ

ようと思った。

今日の「自然百景」は、≪草津白根山 山麓の湿地群≫だったが、それ程爽やかな美しい景色に出会えたわけでは

なかった。

ちょっと不満足ながら、その番組で見た自然の情景などを、次に載せます。

  

 

 

 

 

   

                     火口付近の「湯釜」

 

 

 

 

   

             初めて現れる植物は、その名も「イオウゴケ」

 

 

         

 

 

 

 

 

   

  火口の東側に広がる「芳ヶ平湿原」、ここで初めて自然らしい自然に触れることができる。

 

 

 

 

   

           可愛い「百舌鳥」。 他の鳥の鳴き声も聞こえていた。

 

 

 

 

        

 

 

 

 

池塘には、「クロサンショウウオ」の幼生がいる。

正面から見たら可愛いのに、横から見たらずい分細長い。

        

 

 

 

 

湿原には豊富な水が流れているが、上流の方は酸性が強く、酸性の水に強い「チャツボゴケ」しか生育できないらしい。

        

 

 

 

 

下って行くと、多くはないけれど、花が咲いている。

  

 

 

               

 

 

                                

 

 

 

 

今日の番組で、絶滅危惧種の「ミヤマモンキチョウ」という蝶に出会えたのが、一番嬉しかった。

  

 

 

                   

 

 

                                  

 

 

 

 

 

最後に水辺の風景。

  

 

     

     

                

              


どうしても “酔芙蓉” だけは見たくて (7月19日)

2023-08-17 19:53:43 | 日記

年月が過ぎ、私自身の体力の衰えに加えて、今年の夏の暑さは格別で、外に出るのもためらわれるほどだ。

5年前くらいに見に行ってた花で、今年見に行けなかった花の、何と多いことだろう!

花だけじゃなく、音楽界や展覧会にしてもそうだ。

歳を重ねるにつれてそういうことが多くなるのは寂しいけど、それを嘆いていても仕方ない。

 

電車で行かなければならない所の花は無理(今年の夏は特に)にしても、地元で咲いている好きな花くらいはぜひ見て

おきたい!

そう思ったとき “酔芙蓉”の花が浮かんできた。

7月の初めに一度見に行ったが、その時はまだ固いつぼみだった。

そこで19日(ずい分前ですが)に、意を決して、お日さまの照りつける外に出て、酔芙蓉が咲いている場所まで歩いて

行った。

この日の空は、所々に千切れ雲(すじ雲)が浮かぶ、真っ青な空だった。

              

 

 

 

 

市営住宅の花を見ながら、酔芙蓉が植えられている小さな公園へと向かった。

         

 

 

 

     

 

 

 

 

 

小さな公園で、酔芙蓉は真夏の太陽を照り返して、白く輝いていた。

私は何だかホッとしてシャッターを押した。

  

 

 

      

 

 

     

 

 

      

 

 

 

 

今までだったらもっと粘って、いろんな角度から写真を撮ったりしたけれど、この日はもうこれで限界!

酔芙蓉にバイバイして、帰途についた。

帰り道のお家の前で、薄いピンクのサルスベリが、空に向かって咲いていた。

         

 

 

  

 

 

                         

        

 

 

  

   

 


身近な花のスナップ写真 (7月3日)

2023-08-13 16:41:43 | 日記

(これも1ヶ月以上前に撮った写真です)

7月3日は、西宮北口のお医者さんに、薬を貰いに行かなければならなかった。

今年はもうこの頃から暑さが始まっていた。

暑さの中を阪急中津駅まで歩く。 

その途中で撮った花。

  

             幼稚園の塀で、ノウゼンカズラが精力的に咲いていた。

 

 

 

  

                         ランタナも群れ咲いて。

 

 

 

         

                                  ムクゲももう花を開いていた。

 

 

 

  

                      ハマユウも‥。

 

 

                           

                                                   エビノシッポも。

 

 

 

 

西宮北口の花壇で咲いていた花たち。

  

 

 

 

       

 

 

 

  

 

 

 

                        

 

 

 

   

 

 

 

                            

 

 

 

 

 

中津に帰ってきた。 歩きながら撮った写真。

  

                        群れ咲くムクゲ

 

 

 

                           

                                             よく見る花なのに、この花の名まえが分からない。

 

 

 

            

                           民家の前で咲く、白いムクゲ・カンゾウ・向日葵

 

 

 

          

                                 ハイビスカスとペンタス

 

 

 

 

 

久し振りに中津公園に寄ってみた。

工事で水やりができなかったこともあって、花の姿はホントに少なかった。

  

 

 

                            

                       紫陽花が少しだけ咲き残っていた。

 

 

 

         

                                 アガパンサスは満開!

 

 

 

                             

 

 

 

                            

 


6月末の2回の食事会

2023-08-13 14:45:18 | 日記

(長いことブログをさぼっていたので、ずい分前の事になりますがアップします、お許しください。)

 

<1>アメリカ在住の甥の一家が、6月、1ヶ月の休暇を取って帰国してきた。

    そして帰国の間に一度、一緒に食事しようということになった。

    そこで、府内に住む姉夫婦と一緒に、6月28日に食事会をすることにした。

    場所は、大阪市内、地下鉄・天満橋近くにある、≪青竹庵≫という和食のお店。

    青竹庵には和室もあり、私たちはそこに通された。

    和室は落ち着いた雰囲気で、部屋からは庭の緑も見え、いい感じだった。

    

 

 

 

    

 

 

                          

 

 

 

 

   私たちはそれぞれに自分の好きなメニューを注文した。

   私が注文したのは、下の写真の料理。

   

 

 

                               

 

 

 

   姉夫婦はコロナの自粛期間の間、二人での散歩を日課として、ほとんど他人とは会わない自粛生活を続けていた。

   それまではアレコレと行き来していた私とも、ほとんど会う機会が無くなっていた。 (もちろん電話で喋ったり、メール

   したりはしていたけれど。)

   当然ながら、甥一家とは、この4年間全く会っていない。

   なのでお互いに久しぶりの食事会だった。

   甥一家はアメリカでの生活が長くなっているけれど、子どもも日米両方の生活にうまく適合して成長していて、一家

   で生活を楽しんでいるようだった。

   食事をしながら、たわいのない話をしていたら、アッという間に時間が経ってしまった。

 

 

 

 

<2>翌日29日は、ご近所さんとの月一回の会食の日。 2連チャンの食事会になった。

    今回の食事場所は、西梅田・ヒルトンウェストの6階にある≪燦≫というお店。

    6階の外が見える席だったので、梅田の南側の景色を撮っておいた。(特別な景色ではないけれど…)

         

 

 

 

   食事は、お値段は安いのに品数も多く、どれも美味しかったので、みんな大満足だった。

   

 

 

                

 

 

                                

 

 

 

   気心の知れたご近所さんの食事会で、いつもながら、楽しく美味しい時間を過ごすことができた。

 

 

 

 

<3>食事会ではないですが、この時季の故郷の美味しいモノ・2つを紹介させていただきます。

    (昨年も同じものを載せたと思いますが…)

    *ふるさと益田のアムスメロンは、ふるさと贔屓もありますが、全国の他のメロンにも引けをとらない、とっても美味

      しいメロンだと、私は自負しています。

    *そして、ふるさと・高津川の鮎も、鮎独特の香りの高い、とても美味しい鮎です。

    私はこの時季、この2つを食べて、とても贅沢で幸せな気持ちになります。

      

 

 

                          

                                          鮎はちょっと焼き過ぎました…(^_^;)

 

 

 

 

 

 

    


≪佐伯祐三展≫ ④

2023-08-10 22:00:25 | 日記

~2度目の渡仏~

 1927年8月、もう一度パリの壁や広告を描きたいという強い思いから、佐伯は再びパリに戻って来た。

 そして彼は、猛烈な勢いで制作を再開する。

 以下は、そうして描いた作品の数々です。

 

   

                        「カフェ・タバ」 1927年

 

 

 

   

                      「広告(アン・ジュノ」 1927年

 

 

 

        

                       「街角の広告」 1927

 

 

 

   

                        「門の広告」 1927年

 

 

 

   

                       「裏町の広告」 1927年

 

 

 

   

                       「ガス灯と広告」 1927年

 

 

 

   

               「レストラン(オテル・デュ・マルシェ)」 1927年

 

 

 

         

                    「広告貼り」 1927年

 

 

 

   

                        題名? 1927年

 

 

 

   

                         「場末の街」 1927年

 

 

 

   

           「靴屋」 1927年 (佐伯には珍しく人物を描いている)

 

 

 

 ※1928年に入ると、結核が進行して身体の衰弱が進むが、佐伯の意欲は落ちることなく制作ペースはむしろ加速して

   いったという。

   下は、1928年1月に描いた2枚の作品。

 

         

                   「共同便所」 1928年1月

 

 

 

  

                         「工場」 1928年1月

 

 

 

 

 

 ≪新しい画題を求めて!(1928年2月)≫

  パリを描くことをずっと自分の命題としてきた佐伯だが、1928年2月になって、パリを離れ、小さな村・モランで写生

  旅行を行う。

  当然のことながら、パリ時代の絵とは対象も描き方も変わっているが、色彩の使い方などには、佐伯独自のものも

  あるように思う。

   

                       「モランの寺」 1928年

 

 

 

   

                      「モランの教会」 1928年

 

 

 

   

                        「モラン風景」 1928年

 

 

 

   

                          「村と丘」 1928年

     

 

 

   

                         「納屋」 1928年

 

 

 

   

                         「煉瓦焼」 1928年

 

 

 

 

 ≪最後の作品≫

  モランからパリに戻った後の3月、風をこじらせた佐伯は床に就く日が続く。

  そんな折、佐伯家に郵便を届けにやって来た郵便配達夫の佇まいに心惹かれた佐伯は、彼にモデルになってくれる

  よう強く依頼し、描かせてもらうことになった。

  折しも、モデルとして使ってくれないかと佐伯のもとを訪れたロシアの娘がいて、室内で描いたこの2人の人物画が、

  佐伯にとって最後の作品となった。

   

            

             「郵便配達夫」 1928年                                「ロシアの少女」 1928年

 

 

 

 上の2作品と前後して、佐伯には、わずかに体力が回復した時に戸外に出て描いた、2つの“扉の絵”がある。

 それが、次の2作品。

   

                「黄色いレストラン」 1928年

 

 

                            

                                                    「扉」 1928年

 

 

 

 ※この4枚の絵が佐伯の絶筆ということになるのだけれど、私はこれらの絵の力強さに強い驚きを感じる。

  これらの絵には、どこにも力を抜いたところが無い。

  むしろ力が漲っている感じがする。

  死を予感していただろう佐伯が、最後の力を振り絞って、一分の隙もなく塗り込め描いたであろう、これらの絵。

  私は、これらの絵を見ながら、何とも切ない思いになる。

  と同時に、佐伯の絵にかける強い思いを感じて、彼がいっそう好きになり、尊敬の念を強くした。

  (佐伯はその年の8月16日、パリ郊外の病院で息を引き取った。30歳の早過ぎる死だった。)

 

 

 

 


 

 

 

※帰り道でのスナップ写真  

   

           葉っぱの緑と先端のオレンジ色が、可愛いらしく感じられた。

 

 

 

 

               ~帰りに立ち寄った阪神百貨店の外壁~

            

 

 

               こんなに沢山花が植えられているとは!

 

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


≪佐伯祐三展≫ ③

2023-08-07 17:11:47 | 日記

いよいよ憬れのパリでの画家生活が始まった。

佐伯の最初のパリ生活は、1924年1月からの、約2年間。 

(2年で終わってしまったのは、病により1926年1月、一旦帰国しなければならなくなったからだが…。)

とにもかくにも、憬れてやっとたどり着いたパリで、彼は、自己の作風を模索しつつ、精力的に絵を描いていく。

 

 

ここからは、最初(1回目)のパリでの画家生活の中で、佐伯が残した作品を載せていきます。

   

    「パリ遠望」 1924年 (この絵は他の佐伯の絵とちょっと違う感じを受ける。セザンヌ風?)

 

 

 

   

                       題名? 1924年

 

 

 

   

                   「オワーズ河周辺風景」 1924年

 

 

 

   

                    「塔のある建物」 1924年

 

 

 

   

                    「オーヴェールの教会」 1924年

 

  ※「オーヴェールの教会」があるオーヴェール・シュル・オワーズは、ゴッホ終焉の地として知られている。

    佐伯は渡仏して間もなく、ゴッホ兄弟の墓を詣で、ガシェ博士という方が所蔵されているゴッホの作品20点余りを

    見せてもらったそうだ。

    上の絵は、オーヴェールを再訪した時に制作されたもので、ゴッホ最晩年の作とほぼ同じアングルと構図で教会

    堂を描いているのだそうだ。もちろん色彩的には、色鮮やかなゴッホの絵とはずい分違ったものになっている。

 

 

        

                   「煙突のある風景」 1924年

 

 

 

佐伯は1924年末に、郊外のクラマールから、パリ15区の下町のアトリエに移り住み、そこから彼の関心は専らパリの町

並み(建物)そのものへと移っていく。

そこには、当時詩情豊かなパリ風景を描いて人気を博していた、ユトリロの影響があったと言われている。

しかし佐伯は、ユトリロよりも一層、パリという街の真実に迫っているように、私には思える。

彼はパリの町並みや建物、場合によっては、一つの建物や建物の壁のみを描いて、パリという都会の真の姿、そこに

住まう人々の暮らしの様や哀感までを描き出しているように、私は思う。

それが、佐伯絵画の神髄であり、佐伯の絵画が人々の胸に刺さると言うか響く由縁なのだと思う。

以下、彼がパリの街と向き合い、格闘しつつ描いた絵を、描かれた順番に載せていきます。

       

 

 

   

                      「パリ15区街」 1925年

 

 

 

         

 

 

   

                  「街角(モロ=ジャフェリ広場)」 1925年

 

 

 

   

                      「運送屋(カミオン)」 1925年

 

 

 

       

                   「レ・ジュ・ド・ノエル」 1925年

 

 

 

   

                 「パリの街角(家具付きホテル)」 1925年

 

 

 

       

                  「コルドヌリ(靴屋)」 1925年  

  

 

 

       

                       「壁」 1925年

 

 

 

   

                          「門と広告」 1925年

 

 

 

   

                         「パストゥールのガード」

 

  ※佐伯一家は日本に帰国するため、1926年1月14日にパリを離れた。この絵はその朝、佐伯が作家・芹沢のもと

    を訪れて渡した、2枚のうちの1枚だそうだ。

 

 

 

 

 

    

 

 


≪佐伯祐三展≫ ②

2023-07-20 15:50:03 | 日記

1923年3月、東京美術学校を卒業した佐伯祐三は、すぐに念願のパリ行きに向けて準備に取り掛かる。

彼にはその時すでに、恋愛によって結ばれた妻・米子と、愛娘・彌智子がいた。

佐伯はその妻と娘を伴ってパリに渡るつもりだったが、出発の直前関東大震災が起こり(1923年=大正12年)出発を

一時延期したが、同年11月末には妻子を伴って神戸港からパリに向かった。

 

展覧会では、「自画像」の次に、彼がパリに出発する前と病で一時帰国した時、日本(大阪と東京)で描いた絵画を紹介

していた。

        

 

    

 

 

 

<渡欧までの作品>

    

    1923年10月、渡欧の挨拶のため、大阪四条畷市の伯父を訪ねたときに付近を描いたもの

 

 

 

 

 

<1926年病で已む無く一時帰国したのち、再渡仏する(1927年)までの間に、主に暮らしていた東京で描いた絵>

   

 

 

                       

                 ~上の2枚、共に1926年頃描かれた「下落合風景」~

 

 

 

   

                  「白い壁の家(下落合風景)」 1926年頃

 

 

 

   

                           「ガード風景」 1926ー27年

 

 

 

   

                        「下落合風景」 1926年頃

 

 

 

   

                        「目白の風景」 1926年頃

 

 

 

   

                         「下落合風景」 1926年頃

 

 

 

   

                              「雪景色」 1927年

 

 

 

 

病のため一時帰国を余儀なくされた佐伯だが、再度パリ街角の絵を描きたいという思い止めがたく、1927年再渡仏する。

再渡仏に当たって、佐伯の出生の地・中津「光徳寺」で写された、記念写真。

   

   前列左から佐伯祐三、一人おいて娘・彌智子、妻・米子、母タキ。後列左から3人目が兄・祐正

   (この時父はすでに他界していた。)

 

 

 

下は、再渡仏の前に描かれた、妻・米子の像。

       

                  米子像 1927年

 

※米子は銀座の裕福な貿易商の娘とてし生まれたが、佐伯と共に2度渡仏し、2度目の渡仏では、夫・佐伯の病状悪化

 に加えて、同じく結核を発症した娘・彌智子の看病にも奔走した。

 けれども結局、1928年には、二人ともを失うという耐えがたい不幸に見舞われた。

 しかし米子は帰国後洋画家として活躍したという。

 

 

 

次に展覧会では、佐伯が描いた数少ない「静物画」も紹介されていた。

   

                「ポスターとローソク立て」 1925年頃

 

 

 

              

        (説明を見落としてしまった…。)                          「人形」 1925年頃

 

 

 

 

 

 

 


中之島美術館・開館一周年記念 ≪佐伯祐三展≫ ①

2023-07-07 17:19:35 | 日記

昨年、長年の夢を実現して完成した、「中之島美術館」。

その開館一周年を記念して、大阪が生んだ先進的な洋画家・佐伯祐三の展覧会が、4月から開かれていた。

私は今回も、終盤の6月22日になって、やっとその≪佐伯祐三展≫に出掛けた。

前にも書いたと思うが、佐伯祐三は、私が若い頃から大好きな画家だった。 

彼のパリでの作品の大半は、図録なども含めると、ほとんど見ていると言っていい程だが、一周年記念の展覧会となると、

彼の作品の全貌を、やはり直に自分の目で見たいと、ずっと思っていた。

だから必ず展覧会には行くという気持ちは持ち続けていたのだが、実際は前のピカソと同じく、行くのがずい分遅くなって

しまった。

(そして、ブログにアップするのも、展覧会に行ってからもう2週間が経とうとする今日になってしまった(ー_ー)!!)

 

6月22日は、雨こそ落ちてはこなかったけれど、、曇天の一日だった。

曇天ながら雨が降りそうにはなかったので、今回は梅田からは電車に乗らずに、堂島地下街を歩いて、直接「中之島

美術館」に向かった。

中之島美術館は、前回ブログに書いた「ピカソとその時代展」が行われた国立国際美術館と、同じ敷地内にある。

でも前に行ったときから季節が少し移ろっているので、咲いている花たちも木々の緑も、大分変わっていた。

以下、その時に見た花などを、載せてみます。

    

    高層ビルの前景は、スモークツリー (長居植物園のスモークツリーも咲いているだろうな、と思いつつまだ行っていない)

 

 

 

   

 

 

                          

   上の2枚は、シマトネリコの花。遠くから見ると花なのかどうなのか分からないけれど、れっきとした花だ。

 

 

 

 

         

   可愛いピンクの花が咲いていた。その時は花の名まえは分からなかったが、帰って調べてみると、どうも「サンザシ・シモツケ」らしい?

 

 

 

しばらく歩くと、中津でも咲いていたアガパンサスが、いろんな所で咲いていた。

                

          花を大分開いた青いアガパンサス                           まだ蕾

 

 

 

   

             美術館の黒い建物の傍の道路脇には、白いアガパンサス

 

 

                                 

                                                        アップ

 

 

 

 

美術館の建物の前にやって来た。

前にも同じような写真を載せたような気がするけれど、今回も一枚。

    

 

 

 

 

 

展覧会場に入る。

     

 

 

 

佐伯祐三は、1898年大阪に生まれ、旧制・北野中学までを大阪で過ごし、そのあと東京美術学校へと進む。

北野中学時代から絵画を描き始め、東京美術学校では本格的に絵の勉強に打ち込む。

しかし、その時すでに佐伯にはパリへの強い憧れがあった。

パリに渡り願いを果たした佐伯だが、彼のパリでの画家生活はわずか4年余りで終わりを告げる。

1928年病のため客死、30年という短くも鮮烈な生涯を終えた。

 

このブログでは、展覧会の順序に従って、彼の絵を載せていきます。

まず初めは…

    

 

 

 

展覧会では3つの自画像が紹介されていた。

                    

             1919年・21歳の自画像                               1920~23年頃

 

 

 

上2枚の自画像は、私も今回初めて見た。

下は東京美術学校の卒業制作として描かれたもの。 この自画像は有名で、私も何度か目にしたことがある。

            

 

 

 

                                                     


<マティスの絵>に癒されて…日曜美術館 ②

2023-06-24 18:27:49 | 日記

マティスが遭遇された困難の一つが、前回のブログに書いた<戦争>によるものだったとすれば、二つ目は<病によって

絵が描けなくなったこと>だった。

しかし彼の絵(造形と色彩)に対する愛は、その困難を軽々と飛び越えた。

筆を持てなくなったマティスは、筆に代わってハサミを持ち、いろんな色の紙を(下書きもなく)切っては貼り付けて、絵画に

勝るとも劣らない、新しい切り絵の世界を創り上げられたのだ。

    

         ハサミで色紙をジャキジャキ切っていかれるマティス

 

 

 

そうして作られたマティスの切り絵の作品。

  

 

 

 

               

 

 

 

                              

 

 

 

  

 

 

 

                         

 

 

 

 

 

このマティスの切り絵作品に、強く共感を寄せられる方がおられた。

それは、“葉っぱ切り絵アーティスト”の、<リトさん>。

   

 

 

 

発達障害のあった<リトさん>は、子ども時代から落ち着いて物事に取り組むことができず、ずっと自分のことをダメな

人間だと否定的に考え、苦しんでこられた。

しかしあることから、葉っぱに絵を描いて、それをカッターで切って、一つの作品に仕上げることを思い付かれる。

そしてできた作品をSNSにアップされると、徐々に注目を集めるようになり、今では“切り絵アーティスト”として活動され

ているのだ。

私は以前たまたま見た「徹子の部屋」に彼が登場されたのを見て、その精緻でしかも夢のある作品に感嘆した。

   

   小さな葉っぱに細かく絵を描かれ、それをカッターで切っていかれる。

 

 

 

そうしてできた、リトさんの作品。

   

 

 

 

              

 

 

 

                           

 

 

 

 

私は、「徹子の部屋」の時も今回も、リトさんの作品の素晴らしさに感嘆すると同時に、リトさんが、マティスの切り絵に

深く心を動かされたことを、感動を持って納得した。

 

 

 

そしてマティスは、自分の作品の集大成として、ひとつの<礼拝堂>をつくられる。

設計から全て自身で手掛けられた、この礼拝堂。

私はクリスチャンではないけれど、一度でいいからこの礼拝堂に入り、マティスが創り出された、この清らかで温かい

世界に、わが身を置きたいと強く願っている…。

    

                       礼拝堂外部

 

 

 

その内部は…

  

 

 

 

      

 

 

 

       

 

 

 

     

 

 

 

   

 

 

 

   

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

  


<マティスの絵>に癒されて…日曜美術館 ①

2023-06-23 15:52:24 | 日記

日曜日(18日)の朝、水やりをしようとベランダに出ると、蝶なのか蛾なのかよく分からないのが、壁面に止まっているの

を見つけた。

決して美しいとは言えないけれど、ベランダの壁にこんな虫が止まっているのは珍しい。

私はカメラを取ってきて、飛ぼうともしないその虫を撮っておいた。

序でに(珍しくも何ともないけれど)ゼラニュウムの赤が綺麗だったので、撮っておいた。

              

   (後でgoogleレンズで調べてみたら、どうも<キタテハ>という蝶みたい…もっと綺麗な蝶だったらより嬉しかったのに。)

 

 

 


 

 

 

日曜日の朝、私が恒例で見るテレビ番組は、「さわやか自然百景」と「日曜美術館」。

この日は何か緊急の放送があって、「さわやか自然百景」は確か中止になった。

「日曜美術館」の方ははいつものようにあって、この日は東京で行われる美術展に合わせて、<マティス>が取り上げ

られていた。

    

 

 

 

マティスの絵はファンも多く、私も大好きな画家の一人だ。

そしてマティスについては、このブログでも何回か書いてきたような気がするけれど、この日の「日曜美術館」では、マティ

スの作品を見ながらとっても幸せな気分にさせてもらったので、もう一度書いておきたいと思った。

 

 

アンリ・マティス(1869~1954)は、フランスの画家。

いろいろな変遷をくぐりながらも、85歳まで画家としての生涯を全うされた。

   

 

 

                             

 

 

  

 

 

                              

 

 

  

 

 

 

 

赤や青などを基調とした鮮やかな色彩、ときに写実とはほど遠いかに見える造形も、実はモノの本質を的確に、躍動的

に捉えていて、お見事!と言うしかない感じがする。

そしてマティスの絵を見ていると、ある場合その強烈とも言える色彩にも拘わらず、何故か穏やかで幸せな気持ちになっ

てくる。

その訳を考えていると、番組で紹介された、次のような言葉を聞いて、深く頷かされた。

   

 

 

「すべての人の心を癒す よい肘掛け椅子のような芸術」

ホントにそのとおりだと思った。

だから私たちがマティスの絵を見ると、心が幸せに満ち、穏やかになるのだと思う。

 

 

しかしそんなマティスにも、当然ながら、いろんな困難との闘いがあった。

その一つが戦争。

第一次世界大戦で、彼の祖国・フランスも戦争に巻き込まれる。

   

             パリに進軍するドイツの兵隊たち

 

 

 

この当時のマティスの心境をよく物語る絵がある。

1914年に描かれた、「コリウールのフランス窓」。

上にも挙げた、1904年に描かれた同じ窓の絵では、窓は開放的に開け放たれているのに下の絵では完全に閉ざさ

れ、しかも中心は黒く塗りつぶされている。

  

 

 

                             

 

 

 

 

しかし彼は、戦争の悲惨さにも心を折らさず、自らの創作を続けていかれる。

第二次世界大戦さなかに描かれた「マグノリアのある静物」の頃、彼は下のように語られている。

   

 

 

「生き延びて、自分流にやれるようになった。」

苦しい状況のなかでも、自分流の芸術のあり方を探求し、自分のものにきるなんて、なんと素晴らしいことだろうと思う。

 

 

   

 

 


中津の紫陽花は、とっくに盛りを過ぎて…。

2023-06-21 18:01:47 | 日記

前回色とりどりの紫陽花の花を撮ったのは、6月9日。

それから1週間も経たない15日に同じ場所を通ると、紫陽花の花の影は薄くなり、代わりにアガパンサスが勢いよく茎を

伸ばし、先端に薄紫の花を咲かせていた。

そして、八重のクチナシの花が、豪華に咲いていた。

    

 

 

                         

 

 

 

   

 

 

                        

 

 

 

 

 

咲き残った紫陽花もあるにはあるが、以前のような色合いや元気さは失われているよう…。

紫陽花の間から、ツートンカラーの蕗の葉が勢いよく伸びていた。

   

 

 

                        

 

 

 

    

 

 

 

 

 

タワマンの傍に設けられた小さな広場の方に回ってみると、前にもそこにあった一重のクチナシが数を増していて、その

日は、広場の椅子で休憩している男性と女性の姿が見られた。

  

 

 

          

 

 

 

 

 

帰り道でもう一度タイサンボクの花を撮った。

これも帰り道の住宅の庭で、もう百日紅(サルスベリ)の花が咲いているのには驚いた。

   

 

 

 

  

 

 

                          

               (上2枚の写真、どちらも風が吹いていて、ピンボケになってしまった。)

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 


灯台下暗し! (身近なところで紫陽花発見)

2023-06-12 18:32:02 | 日記

先日近くの郵便局に行ったとき、郵便局の向かいのタワマンの外側に、タイサンボクの木が植えられていることを思い出

した。

確か、タイサンボクの花が咲くのは、この時季じゃなかったかしら?

そう思って樹上を見上げると、微かに白い花の姿を見ることができた。

タイサンボクの花は樹上高くに、上を向いて咲くので、下から花の姿の全容を捉えるのは難しい。

それでもこの季節、タイサンボクの花を見ることができるのは、やっぱり幸せな気分になる。

   

                        まだ蕾

 

 

                         

                                              こちらはほぼ開いているかな?

 

 

 

 

タイサンボクの花を見たあと、ふと地上に目を移すと、鮮やかな紫陽花の花が目に入った。

そこは、タワマンができた時に造られた、街中のごく小さな広場。

小さな広場だけれど、桜などの木やいろんな花などが植えられ、幾つかベンチも置かれている。

このときは、今が真っ盛りの紫陽花と、ちょっと盛りを過ぎたクチナシの花が咲いていた。

      

 

 

 

 

 

この小さな広場で上の写真を撮り終ってから、ふと、以前、広場に続くタワマンの正面側にも、花が植えられていたのを、

思い出した。

今も花は植えられているのだろうか?

それを確かめようと角を曲がると、突然色とりどりの紫陽花が目に飛び込んできた。

こんな近くに紫陽花の花園があったなんて!

私は感嘆しながら、いろんな紫陽花の姿を、カメラに収めた。

  

                  装飾花が色鮮やかなガクアジサイ

 

 

                            

 

 

 

   

               周りの装飾花が八重のガクアジサイ

 

 

                               

                                               こちらは装飾花が単純でカワイイ

 

 

 

  

                 周りの鮮やかな色で白が際立つ

 

 

 

                            

 

 

 

  

                このガクアジサイも見たことのない色取り

 

 

                              

                                                     色も形もカワイイなあ!

 

 

 

  

 

 

 

                             

                                              装飾花の無いガクアジサイもあるんだ!

 

 

                                 

                                                        アップ

 

 

 

  

 

 

 

        

 

  

 

 

                        

 


囚われの紫陽花 (クリニックの帰りに)

2023-06-10 16:36:51 | 日記

8日は突然体調を崩し、クリニックのお世話になった。

クリニックは中津公園のすぐ傍にある。

薬局(2階にある)で薬を出してもらい外に出ると、眼下に工事中の公園が見える。

一群れの紫陽花がフェンスに囲まれている。 まるで囚われの身のように。

   

 

 

    

 

 

 

 

 

帰り道で見た花たち。

    

                咲き始めたアベリア、甘い香りを放って。

 

 

 

     

 

 マンションの1階で咲いていた薄黄色の花、初めは何の花か分からなかったけど、葉っぱを見て夾竹桃だと分かった。

 もう夾竹桃が咲く季節かと思って見ていたら、そこからちょっと離れた所で、これぞ夾竹桃という赤い花が咲いていた。

        

 

 

   

 

 

 

 

 別のマンションで咲いていたアメリカンデイゴ……これも、いかにも夏らしい花!

    

 

 

       

 

 

 

 

 もう終わりだと思っていた黄色の薔薇が、花数を増して咲いていた。

 何だか救われたような思い…。

         

 

 

 

 

 

 

                                   


城北公園の<花菖蒲園> ②

2023-06-06 09:55:56 | 日記

平日の花菖蒲園を訪れる人は、総じて中・高年の人が多かったが、先生に引率されて来ている保育園生や小学校低学

年の子どもたちもいた。

彼らは揃って、日除け用の色とりどりの帽子を被っていて、なんとも可愛らしい。

しかし彼らはどちらかと言うと、ハナショウブよりも、水の中にいる小動物の方に興味がある感じだった。

  

 

 

                        

 

 

 

 

では①に続いて、その後に見たハナショウブ(よく似た写真があるかもですが…)を載せていきます。

   

 

 

 

    

 

 

                            

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

 

 

花菖蒲園の一番奥のところにも、東屋ふう休憩所が設けられている。

私たちはここでしばらく休憩したあと、帰りは行きとは反対側の池の周りを廻って、帰りは主に、池の外側に植えられて

いるハナショウブ以外の植物を見ながら歩いた。

        

               花菖蒲園の一番奥に設けられている休憩所

 

 

 

<後半に見た花など>

   

         「ホザキナナカマド」と標識にあった。(花の白が美しい!)

 

 

                               

                                         植えられていると言うより自生している感じの「ムラサキカタバミ」

 

 

 

   

 

  ~この白い花は何だったろう!?分かっていつもりで撮って帰ったけれど~(書き終わったあと「シモツケ」だと思いだした(^_^;)      

 

                         

 

 

 

  

 

 

 

         

              日陰で咲いていたカシワバアジサイ

 

 

        

                カシワバアジサイに出会えて嬉しかったので、もう一枚!

 

 

 

最後に、出口付近に咲いていたハナショウブと、半夏生(ハンゲショウ)。

  

 

 

                            

 

 

 

  

                半夏生の白と緑のツートンカラーが爽やかで美しい。